決めるべき指標、残すべき墓標

 器によそられた料理が机に並べられていく。立ち上る湯気すら香ばしく感じるほど、今の俺は感覚が研ぎ澄まされていた。風呂と同じく、見た目に気を遣った料理を食したのは随分と前のことだ。正味見た目などどうでもいいと考えていたが、いざこうして美しく盛り付けられた料理たちを眺めていると、そんな意見は喉の奥へ唾と一緒に呑み込むこととなった。


 豚肉と葉茎菜類のサラダに、小腸に粗挽き肉を詰めて焼いたソーセージ、黒麦の粉に水や酵母などを入れた生地を発酵させて焼いた黒麦パンなどが食卓には並んだ。他にも紅茶やバターなども並んでおり、言い方はあれだがこんな辺鄙へんぴな地でありつけるような食事ではない。


「時折この先にある国に出向いて食料を調達するんだが、少し嗜好用にと色々買ってみたりもしたんだ。けれど、まぁ何だかんだ使い損ねていたからちょうど良かった」


  彼女はほんの僅かだけ誇らしげだった。久しく誰かと食べていなかったのだろうか、硬い表情の中にも柔らかさを感じ取ることができた。社会から断絶されたこの土地において人と人が邂逅した。この事実は寒さの抜けきらない空気の支配する森を仄かに温めていた。


 ◆


 食事が幾分か進んできた頃。スプルは肉の切れ端を食べに食べて、そのまま丸くなって心地よさそうにしていた。そして、俺は彼女に対して聞きたかったことを質問した。ずっと抱いていた疑問だったが、いきなり聞くのも失礼かと思って機会を逸してしまっていたのだ。


「どうしてこの廃……村に住み続けているのか聞いてもいいか?」

 

「廃墟でいいぞ、実際そうだからな。それにはこの村の歴史が関わっているんだ。とはいっても、そんなに長い期間の話じゃない。ここ十数年の話だ」


「やはり戦争が関係している、ということか」


 彼女は湯気の立たなくなったソーセージを咥えた後にゆっくりと首肯した。ちょうど十数年ほど前に始まったこの森を戦場とした二国間の戦争。戦いは長きに渡り、多くの死者が出たのだという。俺が通ってきた道も異常に車幅が広く取られ、それでいて整備が為されていたというより轍によって道が形成されていたような印象を受けた。恐らく急拵えの輸送路として使われたのだろう。


「平和に暮らしていたこの村からも成人の男から徐々に徴兵されていき、働き手が居なくなってしまったんだ。そしてそのほとんどが帰らぬ人になった。……私の恋人もな」


「そう、だったのか。済まん、辛いことを思い出させてしまって」


「案ずる必要は無い。下手な同情もいらない。ただ漫然と事実が存在していただけなのだから」


 急激に彼女の表情が曇り、料理を口に運ぶ手が止まってしまった。気に障る発言だったのなら謝ろうとしたが逆効果かもしれないと思い、しばしの沈黙を耐える方を選んだ。


「きっとあいつは今頃、天国で浴びるほど酒を飲んでるだろうさ。弱いくせして酒好きなもんだから、いつも私が介抱していたものだ」


 独り言のように零す彼女は感傷に浸っていながらも、どこか優しげで穏やかだった。


 錬金術師は天国や地獄などといった非科学的なものは信じない。死とはあくまで生命活動の停止に過ぎず、それ以上でもそれ以下でもないという見解が一般的だ。かく言う俺も魂の存在ならまだしも、生前の行いを神が善悪二元論的に解釈してその後の行き先を決めるなどというのは到底真実とは思えない。それに付属する転生論も実証性が無い以上、正しいとは言えない。しかし、この時ばかりは目の前の彼女のようにその非科学的な『希望』を持ったとしてもいいと思えた。そして、以前の俺だとしたらこんなことを露ほども思わなかっただろう。


 その後も彼女はこれまでの経緯を語ってくれた。村では出稼ぎや移住のためにどんどんと人が離れていき、やがてほとんど人はいなくなっていた。小さいころから慣れ親しんでいた景色が各国の思惑の下に沈んでいったのだと言う。停戦の報告がもたらされると村に残った僅かな人々はまた昔の活気が戻ってくると喜んだが、実際は緩衝地帯としてこの森が選ばれていつ戦場になってもおかしくない土地になっただけであった。結果として、村の過疎化は進むばかりで、とうとう村長とその世話役のような立場になっていた女狩人だけとなった。村長は彼女に看取られながら老衰によって亡くなったそうだ。死ぬ間際まで度重なる悲劇に胸を痛めていたのだという。譫言うわごとのように漏らされるそれを聞いて、彼女はとあることを決心したのだという。


「それが『この村で過ごし続けること』という訳か」


「ああ。この場所を生き続けさせることだけが、残された私にできる村への恩返しだ。掃除も定期的に行っているし、村の物資には手を出していない。けどまぁ白い目で見られたよ。家を取り壊さないでくれなんて頼んで、ここにいつまでも居残ろうとするのは私ぐらいだったから」


 視線を落とした彼女は自虐的な笑みを浮かべた。これまでに見せた表情の中でも特段に弱弱しい。その瞳に宿っているのは後悔、それとも決意か。あるいは……。


「とはいっても、私にやれることは数少なかったよ。老朽化を防ぐと言っても限界はあるし、私の本職は猟師だ。きこりや大工、増してや金属技師なんかでもない。最近も噴水へと続く水道が破損したから、木材で補修をしたがきっと長くは持たないだろう。年を食えば掃除することすらままならなくなる」


 ちなみに今の御年齢は? などと聞けば何をされるか分からないので、その代わりにと言ってはあれだが俺は一つの提案をすることにした。


「今の状況は良く分かった。それを踏まえた上でなんだが」


「『俺がこの村の修繕をするというのはどうだ?』だろ、違うか?」


「なっ」


 完全に見透かされていた。一字一句正確に、そして俺の口調を捉えた上で俺の発言を代弁するかのように彼女は言って見せた。一瞬だけしたり顔になった彼女はこう続けた。


「その様子を見るに図星ということらしい。……気持ちだけ有難く受け取っておく、というのが私の返答だ。私の我儘に他人を巻き込みたくないんだ。結局、この行為は誰の為にもなっていない。なんなら、緩衝地帯という情勢的にかなり繊細な場所で一人だけ暮らしている村という存在が双方の国にとって悪影響を及ぼしているかもしれない。ただ、私はそれでもこの村が消えてなくなる姿を見たくないんだ。当然、私が亡くなればあっという間に消えるだろう。それは人為的かもしれないし、自然によるものかもしれない。どちらにしろ、酷く利己的で一時的な願望でしかないという点は不変だ」


 とても短い付き合いではあるものの、彼女がこれほどまでに長く一度に自分の気持ちを吐露したのは見たことが無かった。冷淡な狩人という印象ばかりが先行していたが、こうして話を聞いていくうちに彼女の真意を聞くことが出来たように思う。ならばこちらもそれ相応の誠意を見せるべきだ。


「分かった。では、こういうのはどうだ?」


 ◆


 この日は小屋に備え付けられているベッドで寝かしてもらった。どうやら来客用として簡易ベッドがあるらしい。一緒に与えられた毛布にくるまりながらどこか物足りなさを感じて、身震いをする。いつも感じていたはずの感触が抜け落ちたかのような不安感が睡魔と戦っていた。側臥位そくがいの姿勢で床に就いていた俺の背後から物音がする。床の木々がきしむ音は俺の鼓動を早めていく。『早鐘のような』とはよく言ったものだが、この状況を強いて表現するのなら機関銃と言っても過言では無かった。振り向く勇気が欲しかった。肌からつたうはふんわりとした和らげな感覚。そして俺はこの触感に覚えがある。慣れ親しんだ生の温もりが、先程までの不安と俺の脳内で合算されて恐怖として出力された。


「ス、プル……?」


 体はそのままに俺は背後に向かって問いかける。正しく恐る恐るといった様子であり、その声は自分でも分かるくらいに震えていた。けれどその強張こわばりは奴の体温によって溶かされていく。急激に体から力が抜けていくが、決してそれは虚脱感ではない。心地良さが支配する幸せな空間がそこには形成され、俺を眠りへと誘う。俺の視界は程なくして暗転した。


 ◆


 夜が明けると、昨日までの悪天が嘘のように空は澄み渡っていた。既に言うまでもなく冷めた空気ではあるが、微かに春の温かさを感じさせる。段々と足音が近づいてきているのかもしれない。恐らく、目的地の国に着く頃には冬は去っているだろうと俺は戦車の中で揺られながらそんなことを考えていた。


 小屋を去る前、彼女には一言二言会話したのみであまり多くの言葉を交わさなかった。逆を言えば、それほどまで話さなくても良かったということなのだろう。その代わり、昨晩交わした約束をもう一度胸の中で反芻はんすうする。気持ち新たに俺は……いや俺たちは国へとひた走った。

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