在りし日たちの寄せ集め
朧げな意識、退屈な空気、息が詰まりそうなほどの閉塞感。この三要素によって俺がいる環境は説明できてしまう。より厳密に語るのならば、大陸西部に位置する国のとある国立錬金学院一号館二階の教室だ。その窓際後部の席で俺は机に突っ伏していた。狂気的なまで教科書通り進む講義に嫌気が差し、教師が語る机上の空論は右から左に流れていく。リズミカルなチョークの音は適度に俺の寝ぼけた聴覚を刺激している。
「錬金術四元素の一つである『火』ですが、物理学における熱力学法則をそのまま当てはめることは…………って、おいそこ! ヘルメス、ヘルメス・シュレイヤ―!!」
教師の甲高い叫び声が、俺の安眠を妨害してくる。しかし、悪いのは明らかに授業を聞いてない俺であるので、流石に反応せざるを得ない。眠たい
「これで何度目ですか。授業を受けたくないのなら出て行ってもらって結構」
「あ、ほんとですか。了解でーす」
売り言葉に買い言葉というレベルで反射的に、そして目もくれず俺はそう返事した。流石に教師の制止が来るのかと思っていたが、俺の予想とは裏腹に溜息が背後から聞こえてきた。俺の意思に変化を与えるほどの事象では無い。教鞭を取って何年かは知らないが、俺の方がもっと上手く面白く授業ができるとさえ思っていた。他の生徒の面々が奇異の視線を向けているのに優越感すら覚えて俺はその場所を後にした。
太陽が南中高度より少し下がったくらいの位置から熱と光を運んでいる。外側がガラス張りの壁が続く廊下は、麗らかな午後特有のゆったりとした温度で満たされていた。淀んだ空間である教室とは異なり、ここは開放感に満ち溢れていながらも何処か包み込んでくれるような陽気さを持ち合わせていた。こんな平和な景色の先で人々が殺し合っているなんて馬鹿らしく思えてくる。争いは何も生まないのではなく貧困や禍根、そして次なる戦争への火種を生む。人間様の生きる社会はこれを原動力として廻っている。
「吐き気がしてくる」
純粋で美しい数式たちが、生み出した親自身の手によって血に塗れていく。それが現代の戦争であり、それは錬金術においても同じであった。錬金術を万能な力か何かと勘違いしている国の軍部共は、この学院で俺ら生徒を
足は自然と玄関に向かっていた。本能的に外の空気を吸いたくなったのかもしれない。階段を下りて外界へと足を運ぶ。吹き抜ける一陣の風に焦げ茶色の制服がはためき、脇に抱えていた参考書と革製の筆箱を落としそうになる。もうすぐ冬が来るだろうか。敷地内の木々たちは我先にと葉を散らしながら、次なる春へ向けての蓄えに入ろうとしていた。俺は暫く周囲を歩きまわりながら、手頃なベンチを探し当てた。涼しいというには若干無理があるがそこまで過ごしにくい訳でもない空の下で、俺は座りながら思案する。昨日の雨が乾ききっていなかったのか、わずかに湿り気が残っていた。
まず最初に思い浮かんだのは、田舎の故郷に残してきた家族のことだ。父と母と三歳下の妹が一人。左の胸ポケットから小型のロケットを取り出して、彼らの顔と共に付随して呼び起こされる記憶に郷愁の念を覚えた。俺が生まれ育った故郷は何にもない所だったが、何の不自由もなかった。野山が遊び場であり、よく採集なんかをしたものだ。少し大人になると親父から狩りを教わって、生き物の捌き方やどこを銃で撃てばいいかなど様々な知識を得た。月に一、二度ぐらいの頻度で訪れる行商人は都から仕入れられた珍妙な品々を売っており、村の数少ない刺激の一つであった。
丁度その頃ぐらいだったかもしれない、俺が錬金術を本格的に学び始めたのも。村の至る所で錬金術は利用されているぐらいに普及していた技術だったし、基礎的な古代文字をいくつか押さえておけば誰でも比較的簡単に扱える。俺もせいぜい日常を便利にしてくれるぐらいの認識しかないまま、それまでずっと過ごしてきた。
けれど、それは大きな間違いだった。たった一冊の入門書から学習を始めたのだが、学べば学ぶほどにその恐ろしい真実に気づいた。数少ない収入を全部勉学に注ぎ込んで奨学金を勝ち取り学院に入学する頃には、現状での錬金術の限界も知った。四元素によって構成される錬金術は、ある程度自由に物理現象に干渉できる。卑金属を貴金属に変えるなどというのは表面上の、いわば副産物でしかなく、法で金の流通量や
本質的な問題はもっと奥にあったのだ。通常、原子を別の原子に変えるのは不可能なことである。少なくとも化学反応では原子の組み合わせを変える程度しかできない。錬金術はそこに四元素という特殊な概念を用いて作用する。『元素』という名称はあくまで便宜的な理由により、仕方なく今も使われているだけの物であり、何かの物質ではない。『火』と『水』は微粒子のエネルギーを、『風』と『土』は微粒子の流れをそれぞれ司っている。つまり四元素は核融合や核分裂を引き起こす因子になるということなのだ。人工太陽、核兵器、原子力発電……
そこまで学んだからと言って俺の学習は止まらなかった。いや、止められなかったという表現の方が正しいかもしれない。もう後戻りができない程の時間と労力を費やしていた。危険なものだからこそ目を背けずにしっかり学ぶべきなんだと自分に言い聞かせていたが、果たしてそれがどこまで本心だったか今の自分には分からない。何より恐ろしかったのは事実そのものよりも、だんだんと事実に慣れていく自分自身であったのだが。
予鈴が鳴り、俺は一旦思考を中断する。無意識的に遮断していた外界の情報が再び流れ、世界は色彩を取り戻した。
◆
一体どのくらい寝ていたのだろうか。ハッチの隙間からは元気よく日光が飛び出している。隣で丸くなっているスプルは置いておいて、俺は上半身だけ起き上がりながら寝起きでぐわんぐわんと揺れている意識を何とか正常に戻そうと頭を手で押さえた。
酷く嫌な夢に限って繊細だったりするが、今回は正にそのパターンだった。確かにあれは自分で間違いない。超が付くほど生意気で問題児だった頃の自分だ。現にそれが理由で錬金術師としての免許は剥奪されているので、俺は潜りの錬金術師ということになる。とはいってもあのまま学院に居たところで、結局は政府の言いなりに兵器開発をさせられていただけなので後悔はしていない。ただもう少し真面目に授業は受けても良かったと思っているだけで。
俺はベッドから完全に起き上がって、壁の出っ張りにハンガーで雑に掛けられているダッフルコートの胸ポケットに手を突っ込む。中から出てきたのは小型のロケットで中には、俺を含む家族四人が仲良く映っている写真が収められている。そして、俺以外の顔には赤い油性ペンで×印が描かれていた。
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