代償の先には

 緩衝地帯の森で出会った狩人の彼女は薬草の対価として、薪調達の手伝いを要求してきた。こちらとしては、寧ろそんなものでいいのかと思ってしまった。燃料としての薪調達は今までにも沢山やってきたので手慣れている……つもりだったのだ。


「おい、この程度でへばられたら困るぞ」


 今、俺はその言葉に対して言い返せないほど疲れ切っていた。戦車にスプルを寝かせたまま、二人で近くの木々を切ることにしたのが一時間ほど前。沢山の木々から手頃な一本を見つけて切りに行くのかと思いきや、彼女が目を付けたのは一人の大人が精一杯手を回して何とか囲めるぐらいの大きさの木。獲物を見つけた目は見たことがないほど輝いていた。


「お前はこちらの木を頼む。木を必要以上に傷つけないようにな。私は別の木を探してくる」


 狩人は小屋から持ってきたもう一本の斧をこちらに手渡してきて、切ることをこちらに委ねてきた。自分だってさっき斧を投げて不必要に木を傷つけてたじゃないか、と喉まで出掛かったが俺自身が燃料にされかねないので控えておく。


 そしていざ切り倒すという段階になってようやく気づいたのだが、俺は斧を使って木を切ったことが無い。いつもはジソウなどの自前の武器を使って切っていたから斧の勝手が分からないのだ。取り敢えず振りかぶって根本近くに一撃を入れる。驚くほどについた傷は浅かった。もう一撃を加えるもやはりほんの少ししか刃は食い込まない。テトラロニアを使えればとんでもない怪力を持ってものの数分ほどで切り倒せてしまうだろう。しかし今は燃料である『熱晶』が不足しているために動かすことはできない。


 致し方なく、俺は慣れないこの斧で作業するしか無かった。何度も何度も振り下ろしている内に段々コツをつかんでくる。腰の入れ方、柄の握り方、見る場所、良い手応えと悪い手応え、音。白銀の世界で一人湯気を上げるようになる頃には、面白いくらいに刃が進むようになっていた。半分より少し奥まで切ったあたりだろうか、音を立てながら少しづつ木が自重をさせられなくなってかしいでいくを感じた。横に避けておくと先ほどまで俺がいた位置に向かって木は倒れた。舞う雪煙がいつもより美しく感じられた。


 倒すことができた、ということを認知してからどっと疲れが押し寄せてきた。アドレナリンが切れたのか、高揚感が抜けていくのに合わせて疲労感が付与されていく。息遣いはだんだんと落ち着いて来るものの、しんどさは今の方が増している。辺りを見回してみると少し離れた位置で狩人が勢いよく斧を振り下ろしている。その傍には幾つかの丸太が既に置かれており、格の違いをまざまざと見せつけられたように感じた。


 汗を拭いながら彼女は毛皮のコートを脱ぐ。体全身を覆っていたコートがはらりと落ちて雪と接吻する。露わになった肢体に俺は息を呑むことしかできなかった。フードから飛び出してきたのはしなやかに流れる銀髪は高い位置で結われている。光の加減でくすんだように見えていたが実際はスプルに負けず劣らずの輝きを持っていた。顔つきも目のみを見ると大変強烈であるものの、全体として女性らしい柔和さを感じさせる。その下についている体は筋骨隆々で、肩幅の広さからして段違いであった。きめ細やかな白い肌であるのに盛り上がる筋肉の塊で、はっきりとした凸凹のコントラストが生まれている。疲労のあまり視界が揺らいでいる俺に対して彼女はこう言った。


 「おい、この程度でへばられたら困るぞ」


 ◆


  狂気的な作業量を乗り越えた先に一体何が待ち受けているのか。体のあちこちから救難信号が上がっている。まともに歩くことすら少し難しい。倒した最後の木に寄りかかりながら俺は溜息をついた。白い息が天へと昇って霧散していく様を目で追いかけてから、胸が絶えず上下していく感覚に意識が移る。


「このまま、消えてなくなりそうだな」


 ふと零れた自分の言葉に心を動かされ、ゆっくりと消化していく。大いなる自然の中で、普段の自分が見たら呆れ返るほど無防備な姿勢のままで居るのだ。元に戻りつつある呼吸のリズムと蒸発する思考。雪の感触が臀部でんぶを介して伝わり、心地よい冷たさをもたらしてくれる。このまま何も考えずに時間を過ごせたらどんなに良いか。放射冷却によって気温が低下しているこの森で、俺は自分の世界に入り込んでいた。


「いつまでそこで座っているつもりだ、風邪を引くぞ」


 その声で現実に引き戻された。自分でもどこを見ているか分からない状態だったが、焦点が声の主に定まっていく。視線の先には斧を肩に担ぎながら歩み寄ってくる女狩人がいた。彼女は一切疲れた素振りを見せない。本当に疲れていないのだろうか、汗一つ出していない。彼女から手を差し出されて俺は少しの間を置いた後に握る。その腕力は、やはり厳しいこの環境を切り抜けてきたことの証左であった。


 彼女の案内で小屋まで戻り、中に入れてもらった。壁、天井、椅子や机に至るまで木があしらわれている室内は、木材特有の温かみと香りに包まれていた。時間の流れすら遅くなっているのではないかと錯覚してしまう。隅には煉瓦で作られた暖炉が置かれており、そこから真っすぐに金属の筒が伸びている。あれが天井に向かって煙を出してくれたことでここまで辿り着けたのだと思うと、感慨深いものがあった。外出中だったからなのか、火は宿っていない。


「少し待っていてくれ、炉を稼働させる」


 彼女は両脇に大量の薪と枯れ枝を抱えながら俺の横を通り抜けて、暖炉まで向かった。暖炉の前で屈みながらまず彼女は火掻きで灰を掻いた。こうすることで灰が柔らかくなり吸気口への通りが良くなるため、火が長持ちするのだという。そして吸気口を開けて火種となる枯れ枝を山状に組む。マッチで最初の火を付けて、そっと炉に放り込むと枯れ枝が徐々に燃え始めていく。そこですかさず薪を投入していく。炉内の温度を早めに上げることにより、煙突に向かう上昇気流を発生させているのだと彼女は語った。更にその温まった空気を逃さないために吸気口もこの時点で閉じるらしい。そして火と格闘してからある程度時間が経過するとそこには立派な火床ほどが出来上がっていた。輻射熱によって部屋全体が暖められていき、火特有の赤みが少し足される。


「ではこのまま飯にしようか、それとも風呂に入るか?」


 新婚夫婦みたいなことを訊かれて、一瞬固まってしまう。でも、どちらも頂けるというのなら本当にありがたい話だ。特に暫く入れていなかった風呂に入れるということで、俺はとても高揚した。三大欲求の一つである食欲すら凌いでしまうほどに、あの湯の魔力は大変恐ろしいものだった。俺は迷うこともなく、彼女の質問に対して後者だと答えていた。

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