狩人と狩人

 煙の根元にはこじんまりとした小屋だけがあった。周囲から取り残されたままの淋しさを纏って、その場に立ち尽くしている。とはいってもこちらが勝手に憂いを感じ取っただけであり、漠然とあるがままを受け入れている佇まいで、関わりを拒絶しているようには思えなかった。


 俺は小屋の扉を数回叩いてみた。梨の礫。もう一度叩いてみるもやはり返事はない。火を付けっ放しにしたまま出掛ける人はいないだろうから、この小屋の住人は少なくとも近くにはいるはずなのだ。


 そう思っていると、裏手から誰かがのそりと出てくる。斧を右手に薪を左手に持ちながら歩いてくる威容は獰猛な野生動物にも負けず劣らずであった。フード付きの毛皮のコートを身に纏い、余計にその大きさは強調されている。フードから覗くのは少しくすんだ銀髪。目つきは酷く獰猛で、頬に何かしらの裂傷跡があり凄みを与えてきた。恐らくこちらの存在に気づき視線を向けているだけではあるのだろうが、睨まれていると勘違いしてしまうほどの眼力を有している。意外にも目の奥は虚ろというよりかは澄んでいた。


「何の用だ」


 切り株で作られた台に薪を置きながら話しかけてきた。最低限の興味しか示さないその姿勢は本人にそのつもりはないのかもしれないが無愛想なように感じられた。一気に斧を降ろして刃を薪に突き立てる。それほどの勢いをつけていなかったのにも関わらず、たったその一撃だけで深くまで刺さり、薪の三分の一が既に割れている。


「飼っている猟犬が怪我をしてしまったんだが薬草などを分けてもらえないだろうか。出来る限りの礼はする」


「お前、狩人か?」


「ああ」


 次の瞬間、返答の代わりに返ってきたのは飛翔する薪付きの斧だった。正確無比に俺の顔を狙ってくる刃をすんでのところで頭を右に動かして回避する。そこまで長くない横髪のうち数本が犠牲となって宙に散った。その死の数秒間は緩慢に流れ、視界から消え去った瞬間に知覚は元に戻った。振り向くと斧は背後にあった木へと突き刺さっていた。毛皮コートの人間はこちらへつかつかと歩み寄ってきて俺の隣を通り過ぎていく。


「狩人と見極めるために必要だった、すまない」


 通り際に俺に話しかけてきた。先程よりか口調は若干柔らかくなったが、依然として威圧感は健在している。またあの時、咄嗟に避けられなかった場合を想像すると恐ろしかった。試すためとはいえ、もう少しましなやり方は無かったのかと問い詰めたくなったがぐっと思い留まる。


「薬草ならあるし、幾許いくばくか医学の知識もある。ちょっとその猟犬を見せてみろ」


 彼に事情を説明すると、一度小屋に戻り謎の袋を背負いながら出てきた。見た目からして麻で出来たその袋は不自然に膨らんでいるが、彼が背負うと不思議と小さく見える。一体何が入っているのか不明だったが、武器である可能性も捨てきれない。日頃の行いは良いものだと信じたいが、万が一ということもあるので一応警戒はしておく。


 村の中を逆戻りして停めてある戦車の前まで案内する。その間も彼は一言も話そうとはせず、こちらも話しかける勇気が湧かなかった。どんよりとした気まずい沈黙に申し訳程度の足音だけが添加されていく。行きよりも遥かに長く感じる道程に辟易しながらも、生憎ながらこの空気感を打破するほどの語彙は持ち合わせていなかった。目線を少し後ろに移すとこちらに追いつかんばかりのスピードの大股歩きだったので、俺自身のピッチを早めなければならなかった。


 そうこうしているうちに目的地である戦車にまで辿り着く。旧世代とはいえ、大型の戦車で旅をしているのは自分ぐらいのものだろうから何かしらの反応を期待してたのだが、畢竟その表情筋のごく一部ですら動かすことはなかった。もしかするとこの緩衝地帯には壊れた戦車などで溢れていて見慣れているのかもしれない。


「これが俺の旅の足だ。旧世代だが足回りやら何やらを弄ってある」


 そう俺が紹介しても会話が進展することはなかった。まじまじと戦車を見つめているばかりで何一つ言葉を発しようとしない。俺はハッチにある位置まで登って見せて、車内への入り方を教える。一般人だと乗り込むことすら困難であるとされる戦車、それを彼は楽々と足だけで俺と同じ所まで来た。それも、お前に教わるつもりはないと言わんばかりに違うルートを使って登ったのだ。


 中に入るとあれだけ大人しそうに眠っていたはずのスプルが、がばっと飛び起きた。目をぎらつかせて歯を剝き出しにして最大限の威嚇態勢を取っている。いつでも襲い掛かれる状態で新たな客を歓迎してくれているようだ。低い唸り声でベッドの上で足を撓めるその様子からは、これまで見たことが無いくらいの必死さが表れていた。あれほどの大怪我を追ってなお臨戦態勢になるスプルはやはり野生の本能が根付いていた。


「落ち着け、スプル。この方は敵じゃない。味方だ」


 そこまで言って本当に味方と言い切っていいのかと自問する。あれほどの身体能力を持った人間に果たして打ち勝てるのかと。この場を支配しているのは彼なのではないかと。当然、貴方を心から信用していないので武器を持たせてくださいなどと口が裂けても言えない。もしそんなことをしたら本当に口を裂かれるかもしれない、と失礼なことを考えてしまうぐらいには俺は緊張していた。スプルも一応はお座りの姿勢になるも、警戒は怠っていないようだった。


 それをものともせずに彼はそっと麻袋を床に降ろした。不躾ながらも一挙手一投足を注視してしまう。そっと中から取り出したのは折り畳み式の台、擂鉢すりばち擂粉木すりこぎ、そして薬草の数々だった。


「見る限り、あれだけの動きが出来ているようだから大方は問題ない。あとは化膿を防ぐような抗菌作用のある薬草をいくつか持ってきたから、包帯の交換と一緒にそれらを摺りつぶして塗り込めばいい」


「本当か! それは良かった」


「それにしてもいい腕をしているな、これはお前がやったのか?」


「ああ、一応傭兵を遣っている時に傷の応急措置は教えてもらった」


 彼が取り出した薬草はどれも見覚えのあるもので、毒が入っているような種は見受けられなかった。この冬の時期には葉の部分は枯れて根だけが残るタイプの薬草が多く、なかなか自力では見つけることができなった。しかし、ずっとここに住んでいるであろう彼なら冬に備えて保存してある可能性は十分に考えられる。改めて、頼って本当に良かったと俺は心から思い、彼に感謝した。


 彼は自前の台で薬草の調合を始めた。体全体を使うのかと思いきや、座りながら丁寧に擂粉木の重さを使って薬草たちを擂り潰していく。片方の手は優しく添えるだけで、もう片方の擂粉木を握る手を回転させている。最初から粉状の物質を買っている俺にはあまり馴染みのない作業だが、その手腕は見事なものだということは分かる。香りが仄かに漂って俺の鼻腔をくすぐった。リラックス効果もあるのだろうか、あれだけ張り詰めていた空気感が少し和らぎ始めているような気がした。スプルも多少慣れたのか丸くなりながらこちらの様子を伺っている。擂り潰す音だけが車内に反響している、そんな昼下がり。


 彼はその後に清潔にした落ち葉を擂り潰した薬草の汁に浸して、スプルの患部に張り付けた。包帯を外すときも葉をつける時も、意外と動じないスプルに少し驚いたりもした。暴れるものだと思い俺が傍らで控えていたが、杞憂であったようだ。


「ありがとう。何とお礼を言ったらいいか分からないぐらいだ」


「礼には及ばない。困ったときはお互い様だ。も久々に人と話せて楽しかったよ」


 あれで話すのを楽しんでいたのか、と突っ込みたくもなったがそれ以上の違和感が俺の中に生まれた。特別に変という訳ではないが少しばかり引っ掛かる。その疑念を晴らすべく、俺は当たり障りのないように質問を試みた。


「ところで、つかぬことを伺うが名前を教えてもらってもいいか?」


 彼から返ってきた答えは、その地域ではごくごく有名な姓名の組み合わせだった。問題だったのは、それがの名前として広く知られるものであったということだ。つまりそれが意味するのは……それ以上の思案を俺は避ける他なかった。何故なら、怪訝そうに眉を顰める彼女にどう言えばいいのか考えるので精一杯だったからだ。

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