忘れられゆく陋屋

 小鳥のさえずりが起床の合図となった。目を擦りながらハッチを開けると、冷たく澄んだ冬の空気が流れ込んでくる。すっかり陽は上っており、随分と長く眠りについていたことに気づく。昨日の猛吹雪が嘘のように空は晴れ渡り、世界を明るく照らし出していた。そろそろ、戦車を進めようかと思いハッチを閉めようとした時だった。


「あれは……煙?」


 天空へと伸びる細く白い影、棚引きながらも上へ上へと昇っていく煙がくっきりと進行方向の先に見えたのだ。狼煙のろしの可能性もあるが、人がいるのはほぼ間違いないだろう。とにかく急いでそちらの方へ向かうことを決めて、エンジンを駆動させることにした。


 がこがこと音を立てながら雪道を均しながら行進する戦車は、目的地へと真っすぐに進んでいく。道なき道を木々の間を縫うようにして履帯は回転していく。視界の後ろに流れていく木々たちは底冷えした白いドレスを纏いながらも、他人に無理やり着せられたかのような窮屈さを持っている。そして、どれ一つとして同じものは無い。所々、動物たちの足跡が確認できるがそれもまばらである。招かれざる客人のような居心地の悪さすら感じてしまう。


 ベッドの方に目を遣るとスプルはまだ夢の世界にいるようだった。腹に巻いてある包帯が痛々しく毛の中で浮かび上がって、昨晩の惨劇を想起させる。極限までぶつかり合ったあの戦いは何も問題なかったのだ。むしろ満足していた。けれども、それで終わらなかった。記憶の中でスプルの体はゆっくりと倒れていく。何度も、何度も。首を振って、現実の方に意識を戻そうとするも、蟠りは残ったままだった。この気持ちで迎えるにはあまりに明るすぎる朝だった。


 徐々にその姿を大きくさせていく煙を眺めていると、腹が鳴る。そういえば、長い間何も口にしていなかった。食欲なんてどうでもよくなるぐらいの事態だったのだ。仕方なく俺は戦車を止めて、遅めの朝食を取ることにした。久しぶりに一人分の朝食を。


 今回は数日前に狩った二匹ひよどり肉を使うことにした。ここ数日は山菜ばかりがメインだったので、蛋白質をそろそろ補給しておかねばならない。既に内臓を取り除くことや産毛の焼き切りなどの下処理は済ませているものの、あまり日持ちしないので早めに食べておきたかったのだ。


 俺自ら樹を切り出して作ったまな板を、同じく手製のテーブルの上に置く。つややかな桃色を放つ鵯肉の片方を更に上に置き、調理を開始した。まず大きく硬い骨は出汁用に取り除いておき、小さい骨はナイフで切ったり叩いたりしながら細かくする。匂い消しになる香草を開いた身の部分に詰めてから塩を気持ち多めに振りかけた。柑橘類と相性が良いので出来れば使用したかったが、生憎見つけることができなかった。


 次に焼きの作業に入る。体が小さく肉汁が抜けやすいので、強めに火を入れしまうとすぐに水分が飛んでパサついた肉になってしまう。火加減に気を付けながら俺は炉に火を灯した。天板の上にスキレットを置いて、何も入れずにゆっくりと温めていく。暫くして、スキレットが温まったことを手を翳して確認すると肉を入れる。肉汁が勢いよく鉄の舞台で踊り出し、拍手にも似た音色を奏でる。香草の匂いで車内が満たされて、食欲をこれでもかと搔き立てた。スプルの方を見遣ると眠りながらも鼻をひくつかせている。


 スキレットを持ち上げて布を敷いたテーブルへと移し、今度はスープ作りに取り掛かる。二匹目の鵯肉をそのまま水の入った鍋に一匹目の骨と一緒にぶち込んでおく。水量は肉の重さと同量が良いらしいがわざわざ測るのも億劫おっくうに感じたので目分量にする。錬金術師に有るまじき行為だととがめられるかもしれないが、飽きるほど錬金術で計測をしているからこそ料理ぐらいはそれを忘れたかった。


 今度は炉の火を強めて、一気に煮ていく。これも本来は何時間もかけて丁寧に灰汁あくを取りながら煮出していくのが定石だが、今回はそれを待っている時間など無かった。途中から余った香草、自生していた野菜の切れ端、塩を入れて味に深みを出していく。それでも、数十分は煮込んだだろうか、布でしてやると薄っすらと琥珀色のついたスープが出来上がる。灰汁による濁りがあるものの、それが気にならないぐらい旨そうな温かみをはらんでいる。最後にスキレットの方をもう一度天板に戻し、ほんの少しだけ強火で加熱して肉の表面に焦げ目をつけたら朝食の完成だ。


 わざわざ皿などによそうのも面倒くさくなってしまったので、そのまま食べることにした。手掴みで鵯肉の香草焼きを頬張る。適度に火の通った肉は淡白な味わいながらも癖が無くほんのりと甘い。噛むたびに溢れ出す肉汁は香草もよく効いており、臭み消しだけでなく香り高さを一段階上げる役目も担っている。スープの方はレードルでそのまま直で飲んでみる。喉を通り抜けるまで、予想以上に様々な味が調和して俺を楽しませてくれた。野菜の旨味と肉の旨味は成分が異なり、相乗効果を生む。


 じっくりと朝食を堪能した後で俺は再び戦車をひた走らせた。絶えず煙は外に出ており、目的地として見失うことが無かった。やがて煙の根本あたりと思われる場所に差し掛かる。驚くべきことに木で拵えられた家々が点在していたが、外から伺う限りはどれ一つとして人の気配が感じられるような家屋は無かった。それらを尻目にさらに奥へと進んでいく。進めば進むほどに家の数は増していき、いつしか道は舗装され、村としての様相を呈するようになった。道幅に限界が来たため、一先ずは戦車を止めて煙の出先を突き止めることにした。手負いのスプルを置いていくのが気がかりだったが、そのまま背負っていくのは流石に無理があるので取り敢えずは寝てもらうことにした。


 ハッチから外界へと飛び出した。麗らかな昼下がりの陽気が手入れされた街路樹から木漏れ日として差し込む。ここ最近は春の兆しが徐々にではあるが見え隠れするようになってきた。どんなに待ち侘びても待ち侘びきれない春の訪れ。あらゆる恵みが芽吹くその時に恋い焦がれているのは俺だけではないだろう。豊かな自然の恵みに思いを馳せながら俺は村へと入っていった。煙が出ているはずの場所はもう近い。


 道なりに進んでいくと噴水のある広場に辿り着いた。やはり人影は感じられず、どこまでも静寂に包まれていた。しかしながら、廃墟と呼ぶにはあまりに綺麗すぎたのだ。苔などが生え、雑草が生い茂っていてもおかしくないはずなのに、そういった一切の廃墟らしさが感じられない。掃除が行き届いており未だに水を吐き出し続けることをやめない噴水は、人気のないこの空間においては少し場違いなように映った。自然の摂理に逆らうように上から下へと水が動く人工物の象徴は作り手たちの影の無い村でひっそりとその息を止めようとしていた。


 より奥へと進む。恐らくあの噴水を中心として村は円状に発展しているのだろう。歩けば歩くほどに家は疎らになっていき、小規模な畑などが代わりに増えて、最終的にはただの森に戻っていく。けれども煙の出ている場所はまだ先にあった。ひっそりとかつての村の喧騒から逃れるように建てられた小屋が俺の前に現れた。薪を置いておく倉庫やそれを割るための台などが家の前には置かれている。年季の入った木材で組まれた屋根部分には煙突が設けられており、そこからは煙が元気よく飛び出していたのであった。


 

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