銀世界の下で
本来であれば、手は
先に仕掛けてきたのはあちら側だった。四つ足をバネのように駆使しての突貫。弾丸というより、もはや砲弾。あのレベルの巨体なら、あのおんぼろ戦車なぞ簡単に大破してしまうだろう。人間など言うまでもない。けれど奴が相手取るのはただの人間などではない。それを今から証明してやる。月光だけが光源の世界で、思う存分に戦おうじゃないか。
素早く潜り込むような形で大熊の下に入り、腕を掴み足で踏ん張りながら背負い投げる。勢いをほとんど残したまま地面に叩きつけられる。一瞬反動で浮いた奴の体を思い切り蹴りあげて、空中に突き上げる。
『テトラロニア』は中心に埋め込まれた『熱晶』と呼ばれる特殊な鉱石によって周囲の『空気』を『火』に変換することで動力を確保している。その後、内蔵された高出力アクチュエーターで熱エネルギーを怪力に変換しているのだ。その性質上、本来の性能を引き出すためにはある程度時間がかかる。つまりウォーミングアップがこの強化外骨格には必要なのだ。それも俺がこの装備をあまり使わない理由の一つである。
足を
倒れた木々の先に見えるのは、仁王立ちした大熊。あれほどの攻撃を食らってもなおあの余裕、やはり並大抵の野生動物ではない。この森の主と言っても過言ではないだろう。
馬鹿の一つ覚えのように、もう一度捨て身に近いタックルでこちらに向かってくる。と思いきや、急に直前で二本足で立って前脚の爪を大きく振りかぶる。ほぼ反射的に手を合わせる。上から押さえつけられながらも、脚部に設けられたエアサスペンションによって衝撃を緩和しているおかけでまともに競り合うことができている。逆を言えば、生身であれば相手にならないということだ。
手を突き合わせている間にもぎりぎりと音を立てながら、だんだんと後方に押し出されてしまう。パーツたちが悲鳴を上げ始めているが、ここで負けているようでは勝算は薄くなるばかりだ。排気口を再度開放して圧縮空気の塊を噴射し、拮抗状態へと持っていく。更に中心部の『熱晶』により、ガソリンなどの液体燃料がなくてもロケットブースターと同様の仕組みで推進力を得ることができる。これによって、こちらがわずかながらに優勢になる。雪が熱によって融かされて水蒸気となり、剥き出しの地面が表出する。
大熊は体を目一杯に捻って外側へと勢いを逃がそうとする。直前で噴射を止め熊のどてっぱらに脚撃を叩き込んで、せめぎ合いの状態から脱出する。あのまま仲良く手を繋ぎ続けていたら、近くの木々へと勢いそのままにぶつかっていたに違いない。一瞬の油断すら命取りになってしまう極限の駆け引き。圧倒的な生存本能によって彼は突き動かされ、考えるよりも先に体が最適解を出してしまうのだろう。人間はそれを「強い」と呼ぶ。
◆
物音で目が覚めた。私の眠りを邪魔する輩は誰だろう。顔を起こしながら目を横にやると残念ながら奴はいなかった。
残念ながら……? 一体いつからあの者にそんな感情を抱くようになったというのか。あくまで利益のためだけに奴を利用してやろうとしていただけじゃないか。あの時だって
次の日は暇だから奴の『狩り』とやらにわざわざ同行してやった。そうとも知らず、奴は浮かれた顔を浮かべていたな。つくづく単純な奴だと思ったものだ。悪い気分ではなかった。体の調子が良かったから鹿を仕留めてやったりもしたぞ。
奴のつけた『スプル』とかいう名前もそれほど悪くない。まだ私の主たる器には到底及ばないが、共に暮らしてやってもいいとは思った。こちらから意思を伝えるのが困難なことがどうにももどかしい。
そこまで思索に耽った後にふと現実に引き戻される。一体、奴はどこに行ったのだ?
◆
振り出しに戻った攻防はしばらく硬直したままだった。力で挑んだとしても、結果は分かり切っている。相手の得意な分野で勝負する
「すなわち、それは…………速度!!」
今度はこちらが鋼の弾丸となる番だ。何度か助走をつけた後に地面を強く蹴り飛ばす。低い姿勢のまま、排気口はジェットエンジンと化し、途轍もない爆発力を以てして俺をぶっ飛ばしてくれる。運動エネルギーというものは速度の二乗に比例して大きくなる。つまり速度が二倍なればエネルギーは四倍、三倍になれば九倍になるということだ。その上、図体の大きな敵はそれだけ動くのにも負荷がかかる。『
それまで以上の速度に若干戸惑う様を見せる大熊だが、野性の勘なのか視線が動くよりも早く急所を逸らそうとしている。末恐ろしいまでの生存本能こそが何よりの武器となり盾となっている。しかしながら、こちらだって馬鹿みたいに突き進んでいる訳ではない。振りかぶる拳の位置を調整して、最終目標を少しずらしてやればよい。こちらが大きく向きを変えなければいけないほどの隙を与えたつもりはない。
腰を捻り最大限に速度を生かした形で強烈な一撃、すなわちジョルトブロー。浮いたまま、飛びかかって弓のように力を溜めていた腕を一気に伸ばす。拳は大熊の避けをものともせず下腹部に直撃する。伝わった衝撃が背後にまで突き抜けた感覚になり、確実な手ごたえを掴むのと同時に危険を感じて体を傾けていく。すると、先ほどまで俺の頭があった場所を鋭利な爪が通過していくではないか。奴はカウンターすらその本能だけでやってのけたのだ。戦闘に関してだけは並の人間どころかプロの格闘家にすら通用するレベルなのではないか。
それでも大熊の体躯に与えられたエネルギーは今まで体感してきたものとは段違いの物であろう。自然の生き物であの質量と音速に近い速度を併せ持つ者などそうそういない。奴は想定外の威力に驚く間もなく吹き飛ばされていく。当然、内臓も無事では済まされないはずだ。外からは見えない損傷がこれまでの攻防で蓄積されたダメージと共に牙を剥く。
かといってこちらも無傷ではない。確実な一撃は避けられているが、部品の耐久に加え中身である俺の体も限界に近づいていた。想像を絶する怪力の持ち主と戦うのは、普段鍛えていない引きこもり錬金術師にはそもそも無謀な話だったのだ。動力源である『熱晶』も消耗品であるために、気づけば運転停止がすぐそこまで差し迫っている。
先ほどまでのハイスピードなやり取りが嘘のようにのそのそと大熊の方へと歩み寄る。まさしく奴は『王熊』としての威厳を見せた。この森の頂点に君臨するにふさわしい実力で対峙してきた。元はといえばこちらの都合によって起こしてしまったにも関わらず、同じくこちらの都合で狩ってしまう俺はなんて傲慢なんだろうか。それが自然の摂理だし、咎める者なんてこの銀世界にはいない。けれども、そんな自分自身を許せてしまう俺はこの冬空以上に冷たかった。
『王熊』の死体が眼前には広がっていた。改めてその巨体さに驚かされる。どこまでもどこまでも強かった王者の大往生。俺に言われる筋合いなんてないだろうが、せめて安らかに天国に行けることを祈って手を合わせる。
そこで何かが雪を踏みつけながらこちらへと走り寄ってくる音が聞こえた。その音はだんだんと大きくなっていく。
◆
全く世話の焼けるものだ。こちらから探しに行ってやる義理などないというのに。私は空きっ放しのはハッチを
そんな懐疑的な感情を抱きながらも私は目ざとく奴の足跡を見つけそれに沿ってついていくことにした。かなりの距離があるようで、歩いても歩いても終わりが見えないし、必然的に奴の影すら現れない。どうしたものか思った矢先に何かが爆ぜるような音が聞こえた。仕方なく走るしかなかった。奴が心配だからとかそういう理由ではない。あくまでただの興味本位だ。
しんしんと降る雪のカーテンの狭間から薄っすらと人間の影が見えた。急いで駆け寄っていくと、更に先には大きな何かが倒れこんでいる。
「おいおい、スプル。駄目じゃないか、おとなしくしてなきゃ」
私をその名前で気安く呼ぶんじゃないと言いたかったが、非常に残念で真に不本意なことに言葉を話せない。出来るのは唸るか吠えるかしかない。そして奴はそれを毎度毎度都合よく解釈する。案の定、今回もにっこりとこちらを見て駆け寄ってくる。はっきりと姿が見えるようになると全身が鋼鉄に覆われ見慣れた姿でなかった。ただその
そして同時にぬらりと後ろの影が音もなく大きくなった。何故だか咄嗟に『まずい』と思った。何がどうまずいのか説明はできないが、取り返しのつかないことになるような漠然とした予感がした。その恐怖に突き動かされるようにして、奴をすり抜けて後ろの影への体当たりを敢行する。その後、横振りの衝撃により私の視界は一気に暗くなった。
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