冬狼と

 巨牙猪ファングの死体は放置する訳にもいかず、焚き火の燃料代わりにするしかなかった。枯れた木の枝や木の葉に戦車の中から持ってきた火打石で火をつけ、それを火種とした。


 燃費の悪い炉の稼動をしなくて済んだが、蛋白たんぱく質に有り付きたかった身としてはどうにも勿体もったいなさを感じてしまう。日も暮れかけて辺りも暗くなっていたことだし、ちょうど良かったと自分に言い聞かせつつ、火にあたる。じんわりと広がる遠赤外線の暖かみを感じていると、ざくっと雪を踏む音が聞こえた。この静かなの森の中では周囲の音がよく聞こえるのだ。


 だんだんこちらへと近づいてくる。咄嗟とっさに雪の上に置きっぱなしだったジソウに手を伸ばす。


 ふっ、とその顔が焚き火の明るさによって浮かび上がった。


「お前……さっきの冬狼じゃないか」


 忘れるはずもない。さっきもさっきの出来事だ。傷の位置すら正確に覚えていた。こちら一点をじっと見つめてくる。そんなに物欲しそうな目で見ないで欲しい。俺だって食料はほとんど何も持っていない。むしろ欲しいぐらいだと言うのに。


「ぐるぅ……」


「そんな声を出したって無理なもんは無理だ」


 それでも冬狼は退く気配を見せなかった。言葉は通じないにしろ、こちらの意図したいことぐらいは伝わっているはずなのに。もう少し前に来てくれれば、多少なりとも火種になる前の猪を食べさせてやったと言うのに。今から一度火を消し肉を取り分け、再度点火するのは手間なので気が進まない。


「はぁ……」


 白く染まった溜息が焚き火の煙と寄り添うようにして天へと登っていった。手に持った刀をそっと置く。


 畢竟ひっきょう、俺が根負けした。車内に何かないか探してみることにする。暫く色んなところを漁っていると足に何か硬い感触を感じた。


 何かと思って拾い上げてみると、それは缶詰だった。蓋の部分に取っ手があり、手だけで開けられるようになっているタイプのものだ。いつか訪れた国でまとめ買いしたと思われるそれは、何かの拍子に床に転がって存在を忘れてしまっていたのだろう。側面に印字された賞味期限を確認すると、二週間ちょっとオーバーしていた。缶詰だし、火を通せば何とかなるだろうと思いながら、ハッチを開けて外に出る。そこにはまだ律儀に座っている冬狼の姿があった。焚き火は見る限りまだまだ燃え続けてくれそうだ。


 缶詰を手で開ける。中身は白身魚だった。確か魚にはスパイスが効いているとかいう触れ込みだったような気がする。雪を缶詰に入れていく。手がかじかまないように、缶詰を使って直接すくうようにして集めた雪は真綿まわたのように白く美しかった。それを車内から一緒に持ってきたスタンド付きの金網に乗せる。

 

 冬狼は俺から焚き火の上の缶詰へと視線を変える。本能的にそれが食料かどうかの区別がつくのかもしれない。日は完全に落ちすっかり夜になった頃、缶詰からは湯気が出始めた。ことことと良い音を立てながら、金網の上で缶詰は震えている。思惑通り、魚のスープが出来上がっていた。心做こころなしか、ちょっと俺から離れた位置でそれを見ている冬狼の目も輝いているように感じた。


「よし、完成だな。ってこれで二人分……いや、一人と一匹分って冗談だろ」


 狼は人語を解さないのは分かっているものの、ぼやいてしまう。この極寒の中だと体温を維持することが最優先事項となるため、そういう意味でも食料は必須となってくる。本当だったら、今日出会ったばかりの狼なぞに上げる分などない。


「けど、お前はそんなこと分からないよな」


 口では愚痴をこぼしつつも、俺は金網と一緒に持ってきた皿と火バサミを手にする。そっと、ホロホロになった缶詰の中身を均等に皿へとよそう。それをそのまま狼から少し離れた場所に置き、俺は後ろへ下がり様子を伺ってみる。狼はなかなか食べようとしない。なにかお気に召さないのだろうか。


「まさか、俺に毒味をしろと?」


 当然返事がある訳ではないが、何となくそんなことを言いたげな視線を送っている。俺は何度か息を吹きかけて、中身の半分ぐらいを食べる気持ちで一気に缶をあおった。


「あっつ!」


 やはりまだ熱は残っていたようだ。急いで飲み干す。それでも口の中がひりひりとしている。正直痛いレベルだ。体を張ったおかげか、狼は皿の上に盛られた魚を食べ始めた。少しずつ丁寧に口でつまみ咀嚼そしゃくする。それを繰り返している。俺も残りをそっと雪で缶を冷ましながら食べる。先程は熱さが先行してあまり味を感じ取れなかったが、こうして食べてみるとなかなかに美味い。元が濃い味付けだったようで、こうしてスープにしても充分に成り立っている。スパイスによって体が内側から温まる。


 職業柄、俺は一人で食事することが多い。こうして自分以外の誰かと同じ飯を喰らうだけでも、何か料理とは別の温かさを感じた。不思議と旨みも増しているような気もする。そうしている内に、狼はとっくに食事を終えさっさときびすを返してしまった。彼らにとってはこれが常識であり日常なのだ。生きるためだったら手段を選ばない。その野生特有のしたたかさこそが種の繁栄を支えている。俺もいつまでもここに長居していると凍えてしまいそうだったので、いそいそと戦車へと戻った。


 ◆


 真夜中になるに連れてどんどん気温は落ちていった。肩を抱きながら簡易ベッドに向かう。しかし酷く底冷えした空気の中では、毛布は全く役にたってくれなかった。目を瞑るもなかなか寝付けずにいると、外から何やら声がする。


 それは伸びのいい遠吠えだった。しんと静まり返ったこの銀世界に響く声は、雪に吸収される前にこちらの耳朶じだを打ってくる。もぞもぞとうようにして寝床から出ると、ハッチを少しだけ開けて外の様子を伺ってみた。思った通り、そこにはちょこんと正座した冬狼が居る。何かと思っていると、急に助走をつけてこちらへ猛突進してきた。俺は虚をつかれたため、一切の回避行動が取れなかった。まずいと思ったのも束の間、冬狼は戦車の凹凸を利用して器用にハッチのある所まで登ってくる。


「は……?」


 もし攻撃の意思があるのなら、既に喉元なりどこかを噛みつかれていなければおかしい。 けれど、奴はじっとこちらを見つめたまま動かない。まだ餌を欲しているのかと思い、ハッチを閉めようとするとあろうことかあいつは顔をそこに突っ込んできた。


「……む。あげられるもんは何もないぞ」


 それでも頑なに挟まったままなので、ちょっと閉める力を弱める。


「うおっ!?」


 その瞬間にできた隙間からするりと体を入れ、中に入ってきた。冬狼は我が物顔で車内を歩き回り始めた。きょろきょろ周囲を見回し、所々体をこすり付けたり匂いをいだりしている。どうやら、もうここは奴の縄張りとして認識されているようだ。困ったものである。血の垂れた口元が視界にふと入り、とても追い出す気にはなれなかったのだが。


「今晩だけだからな」


 その言葉はこの闖入者ちんにゅうしゃ相手というよりむしろ自分に言い聞かせるようだった。


 けれど、問題はここからだった。ゆっくりと寝場所を探しているかと思うと、堂々と俺のベッドの上に乗っかってしまう。何度か足で踏みつけ、寝心地を確かめると気に入ったのか、そのまま足を畳んで丸くなり眠る姿勢に入る。おいおいおい、と思わず言いかけたがすんでのところで言い留まる。相当に疲れていたのだろう。あっという間に夢の世界へ旅立ってしまった。これを起こしてしまうのは流石に気が引けた。何とも気持ちよさそうにいびきをにかいている。仕方無しに脇の空いたスペースに潜り込んだ。


 そして気づく。ベットが温かいのだ。あんなに寒いところに居たにも関わらず、体温は毛によって守られていたらしい。奴を中心にじんわりと熱が広がっている。そして、あんなにさっきまでは来てくれなかった睡魔すいまが現れた。


 まぶたが重力に引かれるかのように閉じていく。やっと寝ることが出来そうだ。そういう意味では奴を招き入れたことは良かったのかも知れないと考えた所で、俺の意識はぷっつりと途絶とだえたのだった。

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