錬金紀行

ヨルムンガンド

極寒の森編

プロローグ

 季節はすでに真冬に差し掛かり、世界は白銀に覆われていた。大陸内のとある森の動物たちはその息を潜め、次の温かい春へ向けての備えを少しづつ消費する。互いに争うこともなく、世界は静謐せいひつで満たされていた。さりとて、人間もさほど変わらない生活を余儀なくされている。それぐらい今年は厳しかったのだ。畑では不作が続き、暖を取ろうにも肝心の暖房設備が凍結している。


 そんな極寒の世界では、弱きものは簡単に自然淘汰しぜんとうたの渦に飲み込まれていく。森には動かなくなったままの動物がごろごろと転がっていた。ところどころ食い荒らされ、見るも無残な姿を晒している。寒さのせいからか、うじの類は湧いていない。


 「はあぁぁぁ……」


 ゆっくりと俺は息を吐きだした。自分の手を擦り合わせるが気休め程度の温かさしか確保できない。


 がたがたと地を這うようにして進む戦車に、俺は搭乗していた。旧世代であるがために道に落ちている小石につまずくだけでエンストを起こしそうだが、やはりそこは軍需品。かなりもってくれている。特に大きな故障もない。流石にそろそろ修理ぐらいはしておいた方が良さそうではある。


 それにしても寒すぎる。保存がきく干し肉も底を尽きそうだ。無論、スープなどという贅沢品は持ち合わせていなかった。そろそろ、炉の出番だろうか。本来の用途とは少し異なるが、この寒さならば炉の神様だって許してくれるだろう。そう思い、ハッチを開け中に入る。やはり野ざらしの天板は冷える。臀部でんぶにはうっすらしもが付いていた。


 火入れの準備を進めていると、外から何か音がする。比較的薄い装甲なので、外部の音がよく通るのだ。中の熱もしっかりと逃がしてくれるが。音から推測するに距離は近い。断続的に音が鳴っているので野生動物の類だろう。こちらから刺激しない限り、襲ってはこないのが彼らだ。エンジンをかけた状態のまま、そうっとハッチから頭を突き出してみる。進行方向から見て斜め左後ろに音源はいた。


「ん……あれは冬狼スノルフか」


 冬狼。名に恥じず、主な活動時期は冬。それも今日のような真冬にもっとも活発に狩りを行う。周辺に転がる死骸漁りの犯人だろう。だが不審な点が一つあった。その冬狼は一匹だったのだ。彼らはその性質上、群れで狩りをするのが基本である。さらにその口からつぅと赤い線が伸びている。腹部も赤く染まっているのが確認できた。


 不味い。手負いな上に、一匹狼。考えうる中で一番凶暴且つ危険な状態だ。もし敵意があるようならば、こちらも相応の対処をしなければならない。威嚇射撃で逃げてくれれば、幸いなのだが。


 そう考えている合間にも、狼は迫ってきていた。


 装甲を食い破るようなことはないだろうが、万が一ということもある。加えて『肉』である。貴重な食糧源である。今一番食いたいやつである。俺は急いでハッチに戻り、中に立てかけられていた得物を取り出す。再び天板へ。俺の手に握られていたのは、一言で言えば猟銃だった。飴色に艶めくストックは純白の世界によく映えている。俺は『モノローグ』とだけ呼んでいた。


 鎖閂式小銃ボルトアクションライフルであるモノローグは一世代か二世代ほど前の戦争で大活躍していた、いわゆる骨董品。精密な射撃性能さえあれば、装填にいくらか時間がかかっても問題ない狩りの場では今でも重宝されている。手入れも構造が簡単なため、やりやすい。装備品はT字レティクルのスコープと簡易サプレッサーだけだ。長く使い込んだ影響からか、持つだけでその重さから残弾数が分かるようになっていた。ちなみに今は空であろう。流石に弾を込めっぱなしで生活するほど危険な身でもない。いつも使用後は弾を抜くようにしているので、間違いはないはずだ。


 厚手のダッフルコートのポケットにしまいこんでいた弾を一発づつ丁寧に込めていく。棹桿ボルトハンドルを引くと小気味よい音が鳴り響き装填の完了を知らせた。安全装置の解除も忘れずに行う。速度を落として走っているので、距離は縮まる一方だった。銃を構える。コッキングを邪魔しないよう小振りに作られたスコープを覗き込む。


「ふうぅぅぅ」


 前のものとは違う意味を持つ吐息。自分の心拍まではっきりと感じる。トリガーに指をかける。少しでも力を籠めれば、死の直線が生み出される。一目散にこちらへと駆けてくる冬狼の様子はまるで愛玩動物だったが、あいにく愛しの御主人はいない。いるのはむしろ真逆の存在。


 完全に射程内であり、必中距離内でもあった。無風で、天気はどんよりとした曇り。気温・湿度も距離が短いので、考慮の必要なしと判断する。トリガーを引く直前。凄まじい音と共に狼の背後の木が荒々しく倒れていく。倒れた衝撃で周囲には雪が舞い、天然の煙幕を作りだす。とてもでは無いが、冬狼に出来る芸当ではない。何者の仕業かはすぐに判明した。低く呻くような声ともに姿を現す。


「今度は巨牙猪ファングかよ……」


 俺の数倍はあるかという体躯に加え、目立つのは口から下に突き出ている双牙。しかし、そのご自慢のうちの片方が欠けてしまっていた。さしずめ、逃げている狼にやられたのだろう。口から零れる血は、酸化されていない新鮮な深紅。血走った目は、猪の狂乱さを雄弁に物語っている。白い息を吐きながら高速で迫るそれは、もはや恐怖そのものだった。掠っただけでも大怪我をしそうである。


 木などまるでないかのように、猪が突き進んで来るのに対し、狼は木々の間を器用に通り抜けていく。いくら俊敏さで優っていても、まっすぐ進める上に体力もある猪の方が有利だ。追いつかれる姿を想像するのは難くなかった。事実、僅かだが確実に距離が狭まっている。


 危険度を鑑みて、標的を猪に変更。あいつなら一撃で、この旧世代紙装甲戦車ポンコツを破壊しかねない。息を整えてから、スコープを覗き込む。照準は猛突進する猪の眉間に合わせられている。


 雪が音を吸ってくれたおかげか、あまり大きな音はしなかった。音速を超える金属の塊が射出されていく。狙い通りの軌道で弾丸は飛んだ。硬いものが削られる音。


「うそぉ……」


 眉間に吸い込まれるはずの弾丸は、大きすぎる牙に当たる。さらにその牙も折れたわけではなく、欠けるに留まっている。二匹は一瞬たじろいだ様子を見せるが、すぐに追いかけっこを再開する。しかし猪の視線は完全にこちらへと向けられている。どうやら先程の一撃で、かなりのお怒りを買ったようである。


 次弾を装填する。空薬莢がコッキングすると同時に排出され、装甲で跳ねて軽快な音を立てていく。そうこうしている内に、距離は詰まってきていた。もう数十秒もしないうちにぶつかるだろう。気は進まないがあれを出すしかない。俺は車内に戻り『モノローグ』を壁に立て掛け、別の得物を持つ。戦車のエンジンを止め、覚悟を決める。


 ハッチの縁にもう片方の手をかけ、そのまま外に飛び出す。これまた雪がいいクッションとなり、無事着地に成功した。ブーツ越しに感じる柔らかい地面の感覚。車内に引きこもっていた身としては、新鮮にすら感じられた。


 残念ながら、彼らはそれを楽しむ余裕を与えてはくれない。眼前に迫った二匹の獣を前にして、少し恐怖を覚えた。それを無理やり押さえつけ、若干焦りつつ構えに入る。腰を低くして得物を左腰に据える。左手は長細いそれを押え、右手で先端を握る。


 つまるところ、それは刀だった。殺傷能力を上げるために反った形状の片刃かたば刀身とうしん。それに添うように周りを包むさや。とある地で出会った刀鍛冶に大まかな鍛造の仕方を教えて貰い、自分なりの工夫を施した。『ジソウ』と銘打ったその刀は、これまでも近接戦闘で大いに役立ってくれた。少し刀身を出しておいた状態にしておく。つかに付属されている小さなトリガーを引く。水蒸気が鞘の排気口から勢いよく吹き出す。


 先に唸りを上げたのは、狼の方だった。威嚇というよりは、まるでこちらへと危険を伝えているかのようだった。足をたわめ、地を蹴り飛ばすようにして構えたまま駆け出す。刀鍛冶曰く、刀を扱う上で重要なのは体の軸と重心移動らしい。直線的な動きと回転運動が融合した刀の良さを最大限生かす技を放つ。


「はあああっ!」


『居合斬り』。古くは武士もののふと呼ばれた者たちが極めたという技。低い位置から鞘走らせていく。


 明らかに猪は刀の届く範囲にいない。このままでは、空振った後に体当たりをもろに受けるだろう。しかし、俺が血迷ったわけでも目測を誤ったわけでもない。むしろ、狙い通り。再度、トリガーを引く。そして引きっぱなしのままにすると、みるみるジソウの刀身が伸びていく。


 ちょうどつばの部分で急速に鍛造たんぞうが行われているのだ。柄には高熱により液体になった鉄が貯蔵されている。同時につばで空気中の『水』を取り込み、鉄を冷却していく。


(卑金属系は四元素『土』と『風』の融合によってできる。そこにさらに『水』を加えてやると冷却される……!)


 元々卑金属を貴金属にする技術だった錬金は進化を遂げ、今や四元素から卑金属を作り出すことも可能になったのだ。


 鞭のようにしなりながら、猪へ襲いかかる。相手が気づいた時にはもう遅かった。俺は足を踏み込みながらジソウを思い切り振り抜いた。ほとんど水平に刀は走り、猪を牙ごと斬り裂く。猪は勢いを残したまま、体を傾けていきやがてたおれる。同時に狼がその走りを止める。こちらを一度見たかと思うと、元いた方へ逃げていってしまった。野生動物というのは生きることに精一杯なのか、往々にして薄情だ。


 さて、お楽しみの時間だ。予定とは違うが、ともかく『肉』を手に入れられた。スタンダードに焼肉だろうか、いやいや野菜と一緒に炒めてもいい。余った分は干し肉にしようか。そんなことを考えていると、赤く染まった雪が目に入る。


「あ」


 血塗ちまみれになった猪の死体。そう、血塗れである。これが猟であるとするならば、『最悪』の狩り方だ。完全に血に浸された肉は血腥ちなまぐささの極地。とても食えたものでは無い。酒に漬け込んだりすれば臭いを抜くことができるだろう。しかし長い時間、外にいたくはなかった。車内に持っていくにも、一人では無理な大きさだろう。


「はぁ……肉はお預けか」


 俺の淋しい独り言は、誰にも聞かれることなく雪空の中に消えていった。



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