第35話 始まりの舞踏会~御使い様降臨
足ばかり映していた映像が動き、野外用のイスに縛られた令嬢が見えたと思ったら、令嬢は結界に守られた。
「発言をお許し下さい。同じ場所でもうひとつ使われたようです。映しますか?」
「映せ」
ムトゥもテーブルの上に円盤を設置すると、自分の階級章を置いた。
ふたつの階級章はちょうど向かい合った位置にいる人物に使われているらしく、一気に立体映像の範囲が広がった。
今見えるようになった映像の中に、階級章の結界に守られながらも戸惑う表情の警備隊員がいる。
「どうして警備隊員が結界に守られている?」
「今までの映像はこの人物の視界だったのか」
男性陣は疑問に思いながらも妙に納得した。
新たな映像は先程の令嬢の視界なのだろう。主に足しか見えていなかった映像とは違い、付け足された映像の中では、もうひと組が戦っていた。
さきほどの足の映像には顔こそ映っていなかったけれど、えりかを知る者たちは皆、あの足はえりかだと見当がついていた。
しかし追加された映像の中には、教会の祭服に似た見慣れない白装束の人物がいた。目元が不思議な物で隠されており、動きもどこかぎこちない。
「これは誰だ? なぜ警備とやりあっている?」
「ほぉ。これはまた素晴らしいの!」
「すごいな」
「見ない技だ」
イリヤもアロールもムトゥも、王の質問に気づかず映像に見入っている。
アロールとムトゥ、サンクトスには白装束の人物が千尋だとすぐにわかった。
サンクトスは千尋が遊撃隊に正式に入隊したいと聞いた時、反対した。
ソルに特殊諜報部隊に入ってもらった件にしても、当然ながらソルに色事や諜報活動の訓練をしてもらうつもりはなかった。入隊という形をとったのは、裏事情を知られてしまったので、お互いに情報交換しましょうという取り決めのためだ。
女人であるえりかや千尋だって同じように特別処置にする予定だった。わざわざ正式に入隊して訓練を受けなくても、千尋には異能『異能消し』を使ってくれればそれでいいのだ、と。
しかし千尋は笑って言った。
「訓練を受けられる機会があるのなら、ぜひやらせてほしいな」
その心意気やよし! とムトゥが千尋を気に入り、丁寧に育て始めたのにはアロールも驚いた。
ムトゥも一時期はアロールやエストと同じ色事担当だったのだが、ある時から、もう女性と関わりたくないとムトゥ自身が申告し、今の外回りメインの仕事になったのだ。
アロールは映像の千尋を真剣に見るムトゥを観察する。
ムトゥが自分から女に関わるなんてなぁ。これだけ腕が立つから女と認識しなかったのか?
「あぁ、よく見えません」
ソルが円盤に力を注ぐと、立体映像がぐぐっと大きくなった。
「おい勝手に」
「私もお手伝いしましょう」
ホルシャホルの力も加わったことで、もはやテーブルの上にはおさまらないくらいに立体映像は大きくなった。
「これでは返って見えぬの」
今度はイリヤが力を注ぎ、えりかや千尋が等身大以上に拡大された立体映像は、王族が囲むテーブルからやや離れた場所、ダンスホール上空へと移動した。
「まぁ! なんですの?」
「新たな催しかしら?」
「なんと破廉恥な!」
「なぜ戦っているのだ?」
当然、会場にいた人々は驚いた。
なにしろ、薄黒いストッキング越しとはいえ普段は閨でしか形を見ることのない足がハッキリにょっきり見えているし、その反対側では高度な戦いが行われているしで、殿方ご婦人方どちらも映像に見入ってしまった。
ダンスは中断され、音楽を奏でていた楽団の手も止まる。
映像を見上げざわめきだけが広がる中、突然、攻防が止まった。
一体どうなるのかと皆が映像に集中したところで、男が悶絶した。
「あら?」
「なにが起きましたの?」
「うっ」
「あれは痛い」
アロールはえりかの急所蹴りを視認していたため、思わずひゅんっとなった。
よく誤解されるが急所は竿じゃない。玉だ。あのお嬢ちゃん、明らかに玉を狙って蹴り上げていたぞ。恐ろしい。
しかしその後、イスに縛られた少女をえりかが抱きしめ、なにやら言葉をかけ再び抱擁したとき、虚ろだった少女の瞳が輝きを取り戻し、涙を流しながら唇が「御使い様」と動くのが見えたことで、皆はこの足の持ち主を御使い様だと認識した。
そして首飾りを手に惜しげも無く太ももから足をさらし、白装束の人物と共に天にかえっていく様は、まさしく皆が思い描く御使い様の姿だった。
音のない視覚からなる断片的な映像を見ていた会場の皆は「不当に首飾りを取得した悪漢に御使い様が制裁を下され天にもどられた」と解釈し、えりかと千尋が消えた瞬間、どわぁっとホールに歓声が響いた。
その声に我に返った王が、急いで円盤からふたつの階級章を外し立体映像を消したが、ホールのざわめきは大きくなるばかりだった。
「まぁあ! 今のご覧になりまして?」
「えぇ、えぇ! よぉく見ていましてよ!」
「首飾りの話は本当でしたのね!」
「御使い様の護衛の方もお強かったですわぁ」
「素敵でしたわねぇ」
「うぅ、まだなんか痛い気がする」
「アレはかなり痛いよな」
「ちょうど集まってきたところにアレはないだろ」
「あんな格好、どうしたって(足を)見ちゃうもんなぁ」
「今回の『始まりの舞踏会』がここまでいつもと違うとは思いませんでしたわ」
「『強い装い』というのも、先程の御使い様のようにあれ、ということなのでしょうね」
「きっとこれからは今日のような装いが流行りますわね」
「装いといえば、御使い様の装いは着る勇気はありませんけれど、素敵でしたわ」
「あのままはさすがに誰も着れませんわ。でも、取り入れてみたいですわよね」
「……奥や。今日はもう帰ろうか」
「まぁ。まだ舞踏会は始まったばかりですのに?」
「奥と二人だけで過ごしたくなった」
「ま、まぁ。それはその。えぇ今すぐ帰りましょう」
王はソファにぐったりと身をあずけた。
「やってくれたな……」
正確なところ、この場で映像を映すのを許可したのは王だし、映像を大きくしたのはソルとホルシャホル、映像を皆の目に入る場所に移動させたのはイリヤなのだが、王はえりかと千尋にしてやられたとしか思えなかった。
「なんと、なんと! フェルビコスよ、先程のあの強い人物は誰かの?」
イリヤは王をぐいぐい揺らしている。
「あぁ、本当に素晴らしいですね!」
「話には聞いていたが、黒い線がこれほど引き立つお召し物、かつ、あのようにお強いとは、さすが御使い様!」
ソルとホルシャホルは感極まって祈りを捧げている。
「あれはなかなか証拠を押さえられなかったヤツだな」
「すぐに手配を。御前失礼します」
アロールはこの機会を逃さないよう指示を飛ばし、ムトゥが現場に駆けつけることになった。
「…………」
王妃は無言だったが、大変な衝撃を受けていた。
一瞬で皆の目を奪う、可憐を通り越して破廉恥な格好でありながら、大の男を軽々と倒し、弱き者に身を寄せ、信頼する者とともに超然としてある。
あれこそが強さなの?
いいえ。強いかどうかなんていう問題ではなくて。
なんて、なんて自由なのかしらーー!
わたくしもあのようになりたい!
「……わたくし、お先に下がらせていただいても?」
「あ、ああ。この場はもう良いから、ゆっくりするといい」
王妃は優雅な仕草で礼をし、護衛と共に自室へと向かった。
王妃の幼い頃は、王も王弟も将軍もなく、3人とはただ仲の良い幼馴染だった。
いつからか王妃は、もし3人のうち誰かと婚姻を結ぶのなら、粗野なアロールや冷たいフェロビコスよりも優しげなホルシャホルがいいと思うようになっていた。
令嬢たちからは「王太子であるフェロビコス様の方が良いのでは?」「フェロビコス様の方が素敵ではありませんか?」とよく言われた。
でもフェロビコスはいつだってホルシャホルを優先する。その様を外から見ている分には良い。他の令嬢と兄弟二人の仲を邪推するのだって楽しい。でも、自分が二番目になるのは悲しいことだ。
ホルシャホルも自分に好意を持っているように感じていたので、このままホルシャホルと婚姻を結べるものと思っていた。
それがホルシャホルのためならなんでもすると言っても過言ではないフェロビコスが、まさかホルシャホルから横取りする形で自分と婚姻を結ぶとは思わなかった。
驚いた。「二人の兄弟から奪い合いになるなんて羨ましいことですわ」と令嬢たちから言われ、それほどわたくしを想ってくれているのならばと覚悟を決めれば、初夜の閨で「すべてはホルシャホルのためだ」と告げられた。
そ、そうよね、フェロビコスですものね、と拍子抜けしたものの納得した。元々ホルシャホルに想いを寄せていたこともあって、当時の王妃は心からフェロビコスの言葉に頷いた。
フェロビコスは「いつか国と王妃をホルシャホルに返す」という宣言通りに、王妃を丁寧に扱った。
心配していた閨でも義務感だけではなく優しく気遣ってくれたし、人目にふれるときもふれないときも、これ以上ないほど大事にしてくれた。
「ホルシャホルに渡すまでに国を整えたい」と、フェロビコスは政策にも全力で当たっていた。
王妃は、最初は王妃として慣れることに精一杯で、フェロビコスのことまで気が回らなかった。
でも、外交中にさりげなく気遣いを受けていることに気づけるくらいにまで慣れてきた頃から、王妃はいつしかフェロビコスを好ましく想っている自分に気がついた。
フェロビコスとホルシャホルの顔は似ている。
ホルシャホルがいればなによりホルシャホルが優先されるが、普段の生活にホルシャホルはいない。他の女など歯牙にもかけない王の気配りを一心に受けるのは王妃である自分だった。
フェロビコスが優しくて仕事に真面目なパートナーだと気づいてしまうと、もう気持ちが動くのを止められなかった。
王妃からもフェロビコスを思いやるようになり、二人はまさに理想的な王夫妻となっていた。
だが、王妃にとって幸せそのものの生活は長くは続かなかった。
待望の第一子サンクトスを無事に出産したことで、フェロビコスが王妃と寝室を共にすることがなくなったのだ。
「ホルシャホルに悪いからな。それにお前も心苦しいだろう」と言われてしまえば、それ以上なにも言えなかった。
フェロビコスの他での態度は変わらないのに、まるで王妃は王からの寵愛を失ったと言われるようにもなった。
そもそもそんな寵愛などなかったとわかっていても、王妃自身傷ついたし、そんな自分を嫌悪した。
最初から納得済みだったことじゃない。わたくしがお慕いしていたのはホルシャホル様だったじゃないの。
ホルシャホルは教会に降りてからは、時を止めたかのように当時のままの姿で聖務にはげんでいる。
透明感の増したその姿を美しいとは感じても、もう昔のような気持ちはわかなかった。
むしろ、昔と同じようにホルシャホルを気遣うフェロビコスの態度に、嫉妬するようになってしまった。
フェロビコスがホルシャホルに王位と王妃を返すという期限を聞いていなかったのも悪かった。
なんとなく、国が落ち着くまでだろうと思い、王妃も積極的に王の政策に協力していたが、いつまで経っても気配すらなく、フェロビコスも焦っているようだった。
最初は可愛く感じていた我が子サンクトスのことも、「この子が産まれさえしなければ」と思うようになってしまい、遠ざけるようになった。
「愛されないのはこのキツい顔つきのせいなのか」と、化粧や服にもこだわるようになった。
フェロビコスとの距離は変わらないまま、仕事にも熱心で流行にも敏感な賢妃として名声は上がっていった。
心の底ではわかっていた。
王妃として誇り高くあろうとも、いくら外見を変えようとも、王の寵愛は戻らない。いや、そんなもの最初からない。
ただ、フェロビコスの一番は変わらずホルシャホルのままなのだ。
一途な想いは尊いものだと思うけれども、王妃には残酷なだけだ。
花園で涙をこぼしてしまったのはそんな時だった。
こんな状態で二十年たった。いったいいつまでこのまま続くのか。
苦しい心をどうすればいいのかわからなくて、ソール神におすがりしたかった。
あの時、たまたま通りかかったホルシャホル様に、思わず「貴方にしかわたくしを助けられないわ」と言ってしまった。
ホルシャホル様が「必ず力になりましょう!」と約束してくださったからか、それ以来、ソール教徒の前に御使い様が降臨されていると聞いた。
まさか舞踏会で御使い様のお姿を拝見できるなんて思わなかった。
王妃には、形式通りの型でありながら型破りなドレスも、たおやかさが尊ばれるご婦人が殿方を足蹴にしていたことも、軽やかに空に消えたことも、がんじがらめな自分とは違って自由に見えた。
まるで、「もっと自由に生きて良いのですよ」と体現してくれたように思えたのだった。
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