第34話 始まりの舞踏会~事件の影

 エスト様が出て行ったので、さっそく私とえりかは着替え始めた。


 サングラスは円盤で固定していたから外れる心配は無かったけれども、やっぱり外している方が楽だ。あぁ階級章の効果を切って付け替えないと。小物類はなくすと大変だから気を付けて、と。


 私と同じように着替え慣れてるはずのえりかの動きが先程から止まっている。


「えりか?」


「あ……ごめん。ちーちゃん。これ、脱ぐの、手伝ってもらってもいいかな?」


 変則ボレロとドレスは脱げたけど、ストッキングは脱げなかったのか。不安な表情をして微かにふるえていることにえりかは気づいていない。きっとストッキングに触るのも耐えられないんだろう。


「もちろん。さ、座れるところに移動して」


「うん」


 こちらの世界で開発された強化糸ストッキングは伝線しないのがいいよね。

 まぁでも、これは洗濯しても、えりかはもう着れないだろうな。


 役柄から離れた時、まだこんな風になってしまうのか、と忌々しく思う。


 強化糸で作られた物は普通のストッキングよりも着圧がキツいので、まずはえりかの前でかがんだ私の肩に手を置いてもらい、一気にヒップ部分を抜いた。その後、ベッドに腰掛けてもらって少しずつ丁寧にずらしていく。


 えりかはもう着ないだろうから、洗濯してメイドさんたちに渡そう。また新しい物が開発されるかもしれないからね。


「……妹ちゃん、大丈夫だよね?」


「大丈夫だよ。私たちが彼女を見つけたのはいなくなってから割とすぐだっただろうし。それに警備隊員の証人が二人もいるんだから」


「うん。そうだよね。大丈夫だよね」


 自分に言い聞かせるようにしながら、スリップ姿のえりかは自分の両腕をぎゅっと抱えて震えている。


 あぁ。えりかは自分の時と重ねてしまっているのか。

 確かに、イスに縛られて絶望した様子は昔のえりかを彷彿とさせた。


 私は手を止めて、えりかをそっと抱きしめた。


「大丈夫。気になるんだったらエスト様かムトゥさんに聞いたら教えてくれるだろうし、私たちが迷路で見聞きしたことも話そう」


「……うん」


 腕の中で細かくふるえていたえりかの体が、ゆっくりと落ち着いていくのがわかった。


 それにしても、貴族っぽい男がいやらしい表情をしていたのは、まだ救いだった。

 もしあの男が当たり前みたいな、なにが悪いのかわからないような顔をしていたら、私は自分の役柄を忘れて、警備隊員も縛られてる子も放っておいて、貴族っぽい男に殴りかかっていたかもしれない。


「そういえば、あのチョーカーが探していた首飾りだったんだ?」


「そう! あれって銀線細工に似てるんだよ。日本では銀線細工と言えば秋田県が有名なんだけど、長崎の平戸を通じて海外から技術が入ってきたから平戸細工とも呼ばれていて、金属製の透かし細工って意味でフィリグリーとも言うんだけど、プレート状の物を型抜きするんじゃなくて、すっごく細い銀の糸を加工する繊細な細工なんだよ!」 


 良かった。ちょっと元気が出てきたみたいだ。


 私はそっとえりかを抱きしめていた腕をほどいて、えりかの太ももまで下げていたストッキングに向き直る。


「海外ではマルタのお土産として有名で、なんで銀線細工に興味を持ったかって言ったら、小説に出てきた主人公の一人がアラベスク模様の金属のヘアバンドを着けてるって書かれてて、その子が私と同じ色素薄い子で、その子に似合うってどんなのかなって想像してた時に銀線細工の写真をネットで見て、これだぁって」


 うんうん。かなり素のえりかに戻ってきたね。


「銀線細工、ネットで調べたんだけど、指輪や耳飾りや首飾りや腕輪はあっても、ヘアバンドはなかったの。だから、いつかマルタに行って作ってもらおうって思ってるんだ」


 ストッキングは無事に脱げたので、あらためてデビュタント用のドレスを着せていく。まずは下着からだ。さっきまでは下に天使ドレスを着ていたからドロワーズを身に着けていなかったけど、今度は着なくちゃね。部屋に用意していたドロワーズに、えりかの形の良い足を通していく。


「えりかにも似合うと思うよ」


「そうだと嬉しいな。でもね、銀だから錆びるでしょ? お手入れが大変なのかなって調べたら」


 まだえりかは露出した格好はできないでいるんだな、と今回の天使衣装を見て思った。


 手袋が一緒に脱げたら困るからって言ってたけど、舞踏会で私以外の誰かと踊ることになった時に、手首だけでもうっかり触られたくないというのもあるのだろう。


 えりかが天使を演じるなら、本来なら黒ボレロも黒ストッキングもなしで、洗いざらしのような白ワンピに素手と素足になりたかったはずだ。どれだけガブリエル素足萌えな話を聞かされたか!


 えりかがコスプレを始めた頃は、行き過ぎた衣装でなければなんでも着ることができていた。自分とは違うキャラになりきれるのが嬉しかったんだろう。


 えりかが『えりか様』と呼ばれ始めたのは、今日みたいに困っている子を助けたからだ。


 あの時は格闘ゲームのコスで、無茶ぶりされて困っている子を助けるために、えりかがゲームの技と同じ型を、無茶ぶりしてきた相手にお見舞いした(護身術を習う前のえりかの力なのですごく軽い攻撃だ)。その再現度がスゴいって周囲にウケて、その場は無茶ぶりしてきた相手にも困っている子にも角が立たない形でおさまった。


 その後は若い子から頼られるようになって、えりかはどんどんコスにのめり込んでいった。

 でも、それで目をつけられて事件になったんだ。


 私がえりかを見つけた時、今日のあの子みたいに動けないでいた。

 いったいなにをしたんだとくってかかった私に、ソイツはさも心外だという風に言った。


 「写真を撮っていただけだ」と。「そんな格好してるんだから、こういう展開を求めていたんだろう?」と。


 確かに、コスプレ自体はキャラに変身して楽しむものだし、写真も残す。

 それでも、それは同意あってのものだ。


 いかにもなエロ展開を望んでいる人も中にはいるかもしれないが、全員がそれを望んでいるわけじゃない。

 むしろ純粋に、キャラクターになりきりたいレイヤーの方が多い。


 「じゃあなんでそんなエロい格好してるんだ」と言われれば、「好きなキャラの衣装がこれだから」「この衣装のデザインが好きだから」だ。


 中にはお気に入りのキャラと同じ展開を望んでいる人もいるかもしれないし、そういうプレイを否定するつもりはない。周囲に迷惑をかけずに双方納得済みでやってくれればいいだけだ。


 ただ、同意もなしに、個人の妄想を勝手に押しつけないで欲しい。


 ソイツは「そんな体つきでそんな格好をしているのだから襲われて当たり前」という理論だった。

 冷静に考えれば、ソイツがめちゃくちゃなことを言っているとわかる。


 なぜなら、ランウェイを歩くハイブランドモデルにしても、本物のアイドルにしても、どれだけスタイルが良くて際どい格好をしていたところで襲っていいってことにはならないからだ。


 アイドルを妄想ネタにするまではいいけど、実際に手を出したら犯罪だ。

 そんな当たり前のこと、みんなわかっているはずなのに。


 なぜかコスプレイヤーに関してはそうじゃないと思ってしまうのは、ネタ元が二次元だからなのか、二次元を三次元化しているものだからなのか、距離が近いからなのか。


 ソイツに話しても悪いことだとわかってもらえなかったことや、話を聞いた周囲さえも仕方ないといった空気だったことが、えりかには相当ショックだったのだろう。


 事件以来、露出のある衣装は着なくなり、キャラに準じたセリフもあまり話さなくなった。 


 普段の服も一気に地味になった。


 なんせ、えりかのスタイルはいい。そういうつもりがなくともエロい感じになるので、エロさを出さないように可哀想なくらい気をつけるようになった。


 会社でのえりかは無意識に「影のうすいOL」という役柄を演じていた。

 えりか自身は「もっと社交的になりたい」と言っていたが、周囲がえりかをどう見ているかをえりかが感じ取り、演じているのが「影のうすいOL」なのだ。


 素のえりかを知ってる私からしたら、えりかの周囲に埋没するスキルは自己防衛に思える。

 あの時は守り切れなかったけれど、今度は絶対に守ってみせる!


 ただ、どれだけ私が強くなっても限界がある。

 当たり前だけど、私一人でずっとえりかを見守ることはできない。

 スタンガンみたいな術具の開発を頼めないかな。ああ、もうあるかもしれない。

 シェヴィルナイエ家のメイドさんたちなら知ってるだろうから、屋敷に戻ったら聞いてみよう。


 えりかが一通り話し終える頃にはメイクも終え、えりかも私もすっかり最初のデビュタント衣装に戻っていた。


「ではエミリ、行こうか?」


「はい。ヒイロ」


 エスコートをするために開いた私の腕に、えりかがそっと手を差し入れる。一緒に歩き出そうとしたところで、くっと引き止められた。


「あのね。遅くなったけど、ヒイロもそれ似合ってる。とっても格好いいよ」


 耳を赤くしているから、きっとシャーベットメイクの下の頬も赤くなっているんだろう。


 それがえりかの気持ちではなくて、役柄に入り込んだゆえのただの反応だとしても、私には嬉しい。


「ふふ。ありがとうエミリ」


 えりかが必要としてくれる限り、私はえりかの騎士ナイトでいられるんだ。

 ふんわり頬に口づけて、私は扉を開けた。

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