第25話 当事者不在の答弁会
ソファに現れたのは、黒髪をまとめた凜とした雰囲気の美しい女性だった。
肩や胸元、背中まで惜しげも無く露出しているのに、裾は引きずるほど長い、純白のこちらでは見たこともない型のドレスをまとっている。
現れたのがエリカじゃないことに驚いたが、よく見てみると、ソファに腰掛けた女性の膝元にエリカが頭を置いた状態で丸くなっているのがわかった。
どうやらエリカは女性の腰にしがみついて眠ってしまっているようだ。
エリカを慈しむ女性のどこか侵しがたい雰囲気に、誰もなにも言えず動けなかった。
私たちの視線を感じたのか、美しい女性は顔を上げ、私たちを視界に入れた。
声を上げるわけでもなく静かに周囲を見渡すと、挨拶らしき言葉を発した。
すぐに動いたのはソルで、断りを入れて女性の
「どうもありがとうございます、天使様。皆様、座ったままで失礼します。初めまして。私は千尋、
堂々とした態度に、私たちは慌てて立ち上がった。
「こちらこそ初めてお目にかかります。私はラスーノ・サンクトス・ソラリア、ソラリア国の王太子です。こちらは将軍アロール・シェヴィルナイエ、警備遊撃隊隊長ムトゥ・イリャルギ、その副官エスト・レーヤ、天使様はご存じのようですね」
それぞれと目を合わせ簡単に挨拶を交わす。
「ご丁寧にありがとうございます。皆様のことはえりかから聞いているので、よく知っています。……それにしても良かった。本当にえりかは異世界に行ってたんだね。一度、私も訪れて挨拶したいと思ってたんだ」
膝の上のエリカを愛しげに撫でながら穏やかに話す様は、黒髪が際立つ見慣れない白いドレスのせいか御使い様に見える。
「えりかに用事なんだよね? ごめんね。えりかはさっき眠ってしまったんだ。パーティの途中で珍しくお酒に酔っちゃって」
華やかな黄色のドレスに包まれたエリカは、頬を赤くして気持ちよさそうに目を閉じている。
「パーティの途中に喚びだすとは大変失礼しました。エリカには召喚の検証で何度も喚びだしていたので、よく眠れていなかったのでしょう。
「いいよ。検証にのめりこんだのはえりかだろう? それにこっちでいくら過ごしても向こうでの時間は経たないんだよね? えりかを寝かせてあげたいし、私も休憩したかったからちょうど良かったよ。良ければこのまま少し話し相手になってもらえると嬉しいな」
できればくだけた口調をゆるしてもらえるとありがたいんだけど、とチヒロから言われ、皆快諾した。
「こちらもちょうど良かった。聞きたいことがあったんだ」
「私に答えられることならなんなりと」
チヒロはイタズラっぽく笑った。
「ボクから聞いていい? チヒロとエリカは幼馴染って聞いているんだけど、結局のところ何歳なの?」
「ぶっ。エスト様は直球だね。私とえりかは同い年で今年25歳だよ」
「…………」
チヒロはエリカより背も高く目鼻立ちのくっきりした美しい女性だが、それでも16~18歳くらいに見えていた。二人のいる世界ではそれが普通なのだろう。
しかしエリカとチヒロが同い年とは……。正直とても見えない。胸があっても私にはエリカが12歳前後に見える。
今まで散々エリカをおねぇさん呼びしてきたが、エリカが本当に自分よりも年上だとは少しも思っていなかった。
さっきソルが言っていた、御使い様の世界とこちらとでは年の数え方が違うという方がまだ納得がいくくらいだ。
「あれ? みんな知らなかったの? えりかはなんで言ってなかったんだろう?」
「それは後でエリカ本人に聞くとしよう。すまんが次は私の番だ。チヒロは25歳で結婚できるのなら、どうしてエリカはできないんだ?」
「え? えりかもできるよ? 私の国では女性は16歳、男性は18歳になれば結婚できるからね」
「ならなんでエリカは少年かできれば45歳以上が望ましいって言ったんだ?」
ムトゥの疑問に、あぁとチヒロは納得した。
「それはエリカにとって青年から成人の男性が恐怖の対象だからだよ」
それからチヒロが説明した内容は「本当は私が話すべきじゃないから、ざっくり話すね」と前置きされた通り、よくわからない部分もあったが、概ね理解できた。
エリカは以前、自分の姿を無理矢理うつしとられたことがあり、それから十代後半からおよそ四十代までの男性が受け付けなくなったらしい。父親さえも耐えがたく、家を出て一人で暮らすようになったそうだ。
「本当に悔やんでも悔やみきれないよ。コスプレに誘ったのは私だったし、えりかがちょっとずつ前向きになり始めた頃だったからね。えりかは新しい自分を作り上げる途中で、また壊されてしまったんだ。私は私を助けてくれたえりかを助けられなかった……」
チヒロの両親の仲は悪く、どちらも仕事に逃げて、子であるチヒロに向き合うことはなかった。そんなチヒロはエリカの家で過ごすことで救われたという。
それはどこか、両親に顧みられることのなかった私が、アロールを父のように慕い、エストとムトゥを兄弟のように感じて育った状況と似ていた。
「私はいつもえりかと一緒のベッドで寝て、登下校もどこへ行くのもえりかと一緒で、自宅には荷物を取りに帰るだけになっていた。えりかの家族に悪いなと思ったこともあったけど、私といることでえりかが積極的になったよと喜ばれていたこともあって、自分では止められなかった。えりかの家族と一緒にいるかわりに、私はえりかを守っているつもりだったしね。フェアな関係だと思っていたんだ。このままずっとえりかと一緒にいられればそれでいいと思い始めた頃、誰かに言われたんだよ。『そんな関係おかしい』ってね」
普通かそうでないかでいうなら普通ではないだろう。
「私にとって『好き』や『愛情』という言葉を聞いて思い浮かぶのは、えりかやえりかの家族なんだ。今まで知らなかったあたたかいものはえりかたちがくれたし、私もそれに返してきたつもりだった。でも、それが
「ううん? チヒロの言うことはよくわからんな。相手のことが好きで、相手も自分のことが好きで、相手を優先的に考えるのは特に間違っているとは思えんが」
「そうだね。でも、えりかがコスプレにハマって以前よりも人との付き合いができるようになって、嬉しいと思う一方で、私は寂しかった。本来なら応援してあげなくちゃいけないところだろう?」
「それはボクにも覚えがあるよ。よく懐いていた動物が離れていく時に感じる感傷と似たものでは?」
「そうかもしれない。でもね、その後に、さっき話した事件が起きたんだ。えりかが男性を受け付けなくなったキッカケを作ってしまって悪いことをしたと思う反面、『良かった。これでずっとえりかと一緒にいられる』とも思ってしまったんだよ。私は気づいていなかっただけで、ずっとえりかを独り占めしたかったんだって、そのとき初めてわかったんだ。えりかを人の目から庇っているつもりで、えりかを人から遠ざけていただけだったってね」
「そんなに難しく考えずに、エリカさんに好きだと言えば良いのではないのですか? エリカさんだって、貴女のことが好きなのでしょう?」
「確かに好かれているよ。でも、私のほしい『好き』とえりかの『好き』は違う。えりかの両親は普通にえりかを育てたから、えりかも自分はいつか誰かと結婚するんだと無意識に思っている。女である私はえりかの選択肢にものぼらないんだよ」
ついこの前、年齢で除外された私たち3人は、選択肢にのぼらない状態がよくわかった。
あれはちょっと、いや正直なところかなりキツい。
チヒロの話を聞きながら、私は再び父のことを思い返していた。
王である父の絶対的な一番は、父の美しい病弱な弟、ホルシャホル猊下だ。
父とホルシャホルの関係も、いうなれば歪だ。
どうして父と母が自分を見てくれないのか寂しく思っていた私に、アロールは、父が実の両親に代わり、ずっとホルシャホルを守ってきたことを話してくれた。
父の献身は今でも続いている。
今回の釣りにしても、ついでにホルシャホル猊下の権威を高めたいという父の想いがあった。
父が王を、ホルシャホルが教司皇を立派に勤め上げているから、不本意ながらも、私も母もこの状況に甘んじている。
今回、おそらく父はホルシャホルに自分だけを頼るように持っていきたかったのだろうが、エリカのおかげでそうはならなかった。
だからといって、今までの父の行動が無かったことや無駄だったことにはならない。
ホルシャホルが父を憎みきれないのも、おそらく父の献身的な行動の積み重ねがあってこそだろう。
父はホルシャホルに対してしてきたことをホルシャホルには一切明かさないし、私や母にも明かすなと命じている。「明かしてしまえば今の関係には戻れないから」と。
格好つけたいだけだと思っていた。
「そんなこと明かさなくても私の気持ちは伝わる」と言い続けながら、年々ギスギスしてきた父とホルシャホルの関係を、口には出さずとも若干いい気味だと母と一緒に思う反面、どれだけ心を尽くしても返されない父を憐れにも思っていた。だから
「……チヒロがいなければ今のエリカはいなかった。チヒロとエリカの関係がおかしいかどうかはともかく、それはなくては困るものだったし、決して無駄じゃないよ」
「っ。……ありがとう、サンクトス君」
「今の話、チヒロの婚姻相手は知っているのか?」
「はは。ムトゥさんはそこが気になるんだね。もちろん全部話したよ。そのうえで受け入れてくれたから、この人だと決めたんだ」
「ほぅ。そういう話を聞くと婚姻を結ぶのも良さそうだと思うな」
「アロールおじさんっ。『婚姻』をほのめかすのだけは絶対誤解されるから、ベッドでうっかり言わないように気をつけなよ? 本当に刺されるからね!」
「……貴方たちはそれぞれの立場があるから、最優先されるのは国かな? その方がえりかには気が楽だろう。ここで貴方たちと一緒に働くことは、えりかにとってもいいリハビリになるはずだ。どうか、えりかをよろしくお願いします」
それぞれ承諾の返事をしたところで、えりかがううーんと身じろいだ。
「ちーちゃん? ……サンクトス君もいる? ……夢?」
「夢だよえりか。まだ寝ていていい。さぁこっちにおいで」
「ん」
チヒロは慣れた手つきでエリカを膝の上に抱き上げると、腕の中に閉じ込めて、そっと眉根に口づけた。
くすぐったそうにしながらも、エリカは甘えた様子で自らもすり寄った。
「ちーちゃん、だいすき」
「私もえりかのことが大好きだよ」
チヒロが額や髪に口づけると、安心しきった様子で再びすぅすぅエリカは寝入った。
まるで恋人同士のようなやりとりに、私たちは固まっていた。
今のやりとりが向こうでは普通なのか?
家族同然のように話していたが、今のは家族の域を超えているのでは?
そういえば、エリカは触れあい自体には積極的だった。
普段なら見つめるだけで相手を虜にするはずの特殊諜報部隊の誰と見つめ合っても、エリカは照れることさえしなかった。
これだけ美しい中性的な女性と頻繁にふれあい、甘い言葉を囁かれ慣れていたのならば納得できる。
しかしそれなら、チヒロの先程までの切ない心情の吐露は?
婚姻したからえりかのことは皆に託すと言って……言ってはないな。
「ねぇ、私も聞いていいかい?」
どこか寒気を思わせる空気を醸し出しながら、チヒロはにこりと笑った。
「ソール神は本当に気前が良いみたいでね、私にも能力をくれたんだよ。おかげで誰が異能持ちで、どんな能力なのかもわかるんだけど」
「ということは『判別』の異能でしょうか?」
「でも『判別』だと発動していないとわからないんだろう?」
「ぜひ一緒に仕事してほしい!」
「それがね。能力名の近くに、消すかどうかの選択肢が見えるんだ。これってなにかわかる?」
「消すな! それは『異能消し』だ!」
「頼む! 使わないでくれ! 能力は消してしまうと元には戻せない!」
この場にいるのは『完全読解』『判別』『停止』『召喚』『経地転移』の異能だ。誰の異能を消されても困る。
「ふぅん、そうなんだ。わかった。使わないよ。でももし、えりかが泣くようなことがあったら……わかるよね?」
美しい御使い様に見える女は、最愛の存在を胸に、それはそれはきれいに微笑んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます