第18話 たたみかけましょう

「まぁ。猊下。本日はいつも以上に素敵ですわね」


「花祭りの舞踏会ですものね」


 どうしたことだ。

 普段なら眩しそうに「いつもお美しいですわね」「あいかわらず神々しいですわ」などと言われることが多いのに、今日はこちらを見る目が微笑ましいというか生ぬるい。


 しかしまずは控えの間にてあにに到着の報告をせねばならぬ。確かめるのは後だ。

 護衛が守る扉を開けると、王と王妃が座り、その後ろに将軍が立つソファが見えた。私に気づいたあには満面の笑みで立ち上がり、こちらに早足で向かってくる。


 王なのだから立ち上がらなくて良いというのに!

 私と同じことを考えているだろう将軍が、苦笑いしながら付き従っているぞ!


「あぁ、ホルシャホル。待ちかねたぞ。今日も可愛いな」


 40手前の弟に可愛いはないだろう!

 しかも自分に似ているが、王冠を頂いた美丈夫に言われると、馬鹿にされてるようにしか思えない。


「陛下。いつも申し上げておりますが、私ごときに立ち上がらないでください」


「どうしてだ? 大事な弟なのだから当然だ。それに今日はまるで花嫁のようだから、じっくり近くで見たかったのだ。あぁ可愛い」


「は……?」


 花嫁?

 確かに花祭りの舞踏会用の正装は花嫁を思わせるかもしれないが、今までに数えきれぬほど着てきたのに、そんなこと一度も言われたことがない。


「なにかおかしいですか?」


「少しもおかしくなどない。とても似合っている。愛らしいお前にぴったりだ」


 あにの言葉など参考にならぬ。

 かといって無骨な将軍に聞いたところで同じ事。そうだ。幼き日を共にし、今では流行を牽引する賢妃としても名高い王妃なら正直に答えてくれるだろう。

 王が立ったことで、王妃も王の斜め後ろについてきている。


「失礼ながらお尋ねします。王妃殿下、本日の私の姿、どこかおかしいでしょうか?」 


「いいえ。大変お可愛らしいですわ。……嫉妬するくらいに」


 はあぁ?

 聞き間違いかと思ったが、王妃は荒ぶる感情を抑えているのか、ぶるぶる震える手で扇を握りしめている。


 あにと王妃と将軍と私の4人は年の近い幼馴染として育ってきたが、その頃から王妃はよくわからない言動をとることがあった。


 私から王妃への破れた恋が辛すぎて、今では王妃の名も呼べなくなった私が、王妃の隣におられぬことで兄に嫉妬するならともかく、王妃が私に嫉妬する理由など、どこにあるのだ?


 首を傾げていると、刻を告げる音が響いた。


「あぁ、もう挨拶の時間か。ホルシャホル、また後からゆっくり話そう」


 堂々とした王らしい空気に切り替えたあにがそっと私の頭上に指を沿わせると、ふわりと花の香りが漂った。


 花の香り?


 不思議に思いながらも、王と王妃に続いて舞踏会会場へと向かう。

 花の香りは馬車を降りてからずっと漂っていた。

 本日は花祭りの舞踏会だから、会場のそこここに、今歩いている通路にすら、いつも以上に花が飾られている。

 しかし飾られる花からは汚れ防止のため、事前に花粉を抜くことになっているので、こんなに強く香るはずはないのだ。


 まさか、と思いながらも舞踏会会場に着いた。とにかく今はあにに続いて挨拶せねばならぬ。国賓が集まる方へと体を向けると、ざわざわとご婦人方の声が流れてきた。


「花祭りのサプライズかしら?」

「いつものサークレットもお美しいですけど、生花の花冠も素敵ですわね」

「可憐な猊下にお似合いですわ」


「!!」


 それからいつも通りに挨拶できたのかも、どうやって屋敷に戻ったのかも覚えていない。

 でも今、目の前には見慣れたサークレットがある。


 夢か? そうだ。私は夢を見ていたんだ。

 いや、そんなはずはない。会場にいた客も花冠を見ていたし、あにに至っては触れてもいた。


 しかしあるはずの花冠はどこにもなかった。

 メイド達に衣装を外させると、専用の台には変わりなくサークレットが鎮座している。


 どうなっているのだ?


 考えたところで答えが出るわけもなく。答えの出ない問いをずっと考え続けても仕方が無い。


「……休むか」


 教司皇のサークレットは国宝だ。無くなったのなら問題だが、あるなら問題ないだろう。

 疲れていたんだと言い聞かせて眠った。


   ※


 翌朝、国賓の見送りの準備中に銀の盆が差し出された。


「猊下、またお手紙が届きました」


「まさか、また妙な手紙ですか? 見ましょう」


 今日届いたものも昨日と同じで、封筒の中にカードが一枚だけのようだ。


 昨日は【貴方に頭上の物はふさわしくありません】と書かれており、サークレットがいっとき花冠になっていた。

 確認したところ、舞踏会会場にいた者たちは皆、生花の花冠を目にしていたようだ。

 考えられないことだが、サークレットと花冠が一時的にすり替わったのだ。


 そのことを踏まえると、これはただの手紙ではない。

 だいたいこれは誰からなのだ?

 いったい今日はなんと書かれているのだ?


 ホルシャホルが戦々恐々せんせんきょうきょうとカードを取り出す。

 しっかりとした白いメッセージカードの周囲には金の装飾がしてあり、無個性な文字が見えた。


【貴方の胸を占めているものから解放します】


 どういうことだ?

 なにが私をとらえているというのだ?


 あぁ。今は考えている暇はない。見送りに行かねば。   

 姿見でしっかり自分の姿を確認する。


 頭上には金の刺繍で縁取られた白布の上に草花を模した金のサークレットがちゃんと乗っている。

 白地のマントには大きく金色でソール神の象徴である太陽の刺繍がしてあり、上側が少し欠けた太陽を背負っているように見える。マント地がしっかりしているので昨日よりも重い。重いマントを留めるのは、中心に『太陽の欠片』と呼ばれる宝石を据えて太陽を模したものだ。


 昨日の舞踏会用マントのような色味はない。

 教司皇のサークレット、太陽のマント、『太陽の欠片』のマント留めを装えるのは私だけだ。

 白と金だけの装いがソール教司皇の正装なのだ。


「行きましょう!」


 いつになく気合いの入った声を出して、ホルシャホルは屋敷を出発した。


 別段、何事か起こるわけでもなく、挨拶はつつがなく終わり、見送りもとどこおりなく進んだ。

 最後の客も見えなくなり皆の気がふっとゆるんだ時、ひときわ強い風がふいた。


 舞い上がる砂埃すなぼこりから目を守った後、ホルシャホルは妙に体が軽いことに気がついた。

 両手で触って確かめる。


 マントがない! サークレットもだ!


「猊下……! そのお姿は? まさか、今の風で飛ばされたのですか?」


「なんということだ! 皆、探せ!」


 あっと言う間に場は騒然となった。


   ※


 ホルシャホルは自室に戻ると、ソファに倒れ込むように座った。


 昨日と同じように「屋敷に戻れば現れるのでは」という期待は外れ、消えた教司皇の装いは未だに見つかっていない。


 まずい。このままでは国王になるどころか、国宝を無くした罪で今の地位さえ危うい。


 【貴方の胸を占めているものから解放します】というのは、この国から追放するという意味なのか? もしくは、この世から消し去るとでも?


 だいたいサークレットをすり替えるにしても、今回のことにしても、誰ができるというのだ。

 まさか、すべてソール神の御意志だとしたら……。


 ノックに応じると王が入ってきた。


「陛下! お一人ですか? 不用心ですよ」 


「許せ。お前が落ち込んでいるのではないかと、気が気ではなかったのだ」


「それは。その、ありがとう、ございます」


「やはりサークレットがないと落ち着かないか?」


「いえ……。どうしてなくなってしまったのかと考えておりました」


「お前が隠したのではないのだろう?」


「当たり前です! いくら私でも、それだけはできません!」


 ホルシャホルが今欲しているのは王冠だが、サークレットの美術的価値はよくわかっている。

 美しい物好きのホルシャホルは、初めて見た時から教司皇のサークレットに魅了されていた。歴史的価値もある美術品をどうこうする気はさらさら無い。


「お前はまだソール神のしもべなのだな」


「そのつもりでしたが。……ソール神は私をお見捨てになったのかもしれません」


「ほぅ? 見捨てられるような事に、なにか心当たりがあるのか?」


「……いいえ」


「……そうか。まぁ今日は大変だったな。お前も疲れているだろう。まずは休むといい」


 王に促されるままベッドに入ったものの、まだ昼過ぎ。不安で興奮状態ということもあり、ホルシャホルはとても眠れなかった。


 ソール神が本当に私を見限ったのなら、もはや王冠うんぬんという話ではない。


 ホルシャホルは兄から王位を奪ってやるという気持ちが、急速に冷めていくのがわかった。


 物心つく頃から教会に通い詰めて、教徒となって二十年間、教会と歩んできた。

 自分が教司皇になるとは思っていなかったが、ソール神を信じて、世のため人のために尽くしてきたつもりだった。


 しかし私の行為は、神からすれば赦されないことだったのかもしれない。 

 私はこれからどうすれば良いのか……。


 思考に沈んでいたホルシャホルの耳に、かすかな物音が入った。


 メイドが水を持って来たのか?

 考え込んでいた私が気づかなかっただけなのかもしれないが、ノックもなしに入室するとは。まぁいい。


「ちょうど良かった。水を……」


 身を起こしたホルシャホルの目に入ってきたのは、女性のソール教徒が着る祭服と色味は白黒と同じながら、デザインはまったく違うものだった。


 ホルシャホルが言葉を途切れさせたのは、忽然こつぜんと消えた教司皇の装いを少女が身に着けていたこともあるが、なにより短いスカートからにょっきり伸びた形の良い足が寝室の窓辺に浮いていたからだった。


「御使い様!」


 ホルシャホルはすぐに上掛けから出て床に下りると、少女の前に膝をつき頭を垂れた。

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