第5話

 満員電車のなかでスマホを確認する。

「ようやく、着くな……微妙かもしれないけど」

「まだかな?」

「うわ、駅のホーム、めちゃくちゃ混んでるよ」

 運転再開したものの、まだ通常運転ではないんだ。

 車内ではそんな声が聞こえてくる。

 座席に座っているけど、ちょっとだけ駅のホームに人が溢れている。

 次の駅のホームはとても混雑していて、人が電車を降りていっているけど乗れていな。

 わたしのなかでちょっとだけ気にしているのは演奏会のことだった。

 もう開演時間も三十分過ぎていて、予定通り始めているのかもしれない。

 ようやく人身事故の安全確認とかが終わって、いま徐行運転しながら次の駅へ到着した。

 振替輸送も考えたけど、定期の期限が切れているので無理だと気づいた。

「ヤバイな……」

 理央が所属するオーケストラの演奏会は二曲演奏していることが多いんだ。

 二曲目のときに休憩が入るから、そのときに客席に座れればいいと思っている。

「間に合わない……よし」

 最寄り駅に着いたのは午後五時半、ここから走っていくことにした。

 着ているのはネイビーの膝より少し長めの丈のワンピースで、パンプスは大学の入学式で履きならすために履いてたんだ。

 少しだけ靴ずれを起こしてるのに走るのは無謀だったけど、そんなのは気にしてはいられなかった。



「なんとか着いた……」

 会場のホールに到着したのは六時近くだった。

 休憩時間なのか、ちょっとだけホッとした。

「良かった。休憩時間で間に合った……」

 一度メイクできる場所でメイク直ししてから、観客席へと向かうことにした。

 観客席の自由席みたいで、席はまばらだった。

 空いてそうな場所で座ると、すぐにスマホの電源を落とした。

 そのなかで休憩時間が終わるみたいで、楽団の人たちがやって来た。

 理央のチェロが目の前に置かれてあってびっくりしたけど、そんなのは気にしていられなかった。

 姿が見えてきて、ドキドキしてきた。

 黒の礼服に身を包んでいる理央はとても素敵だった。

 普段とは違う雰囲気で大人っぽく見える。

 理央が気づいたのか笑顔で手を振ってくれた。

 それにびっくりしたけど、ドキドキしながら手を振り返したんだ。

「一曲目はホルスト作曲の『惑星』より『木星』でしたが、二曲目はビバルディ作曲の『四季』より『春』をお届けしたいと思います。いまの季節にぴったりだと思います」

 指揮者の人がおじぎすると、演奏するために準備をしていくみたいだ。

 指揮棒タクトを合図でメロディーを聞くと、一気にホールのなかに春がやって来た喜びが伝わる。

 鳥のさえずりをイメージをしているなかで、いろんな自然が多く表現しているんだ。

 ときどき春の雷鳴が弦楽器の低音が聞こえてくる。

 まとまった音が体の奥に響いてくる。

 理央の真剣な表情で演奏するのは別人に見える。

 演奏するチェリストとしての姿がそこにあったんだ。

 わたしの心にどんどん刺激していくと、不思議と涙が胸が込み上げてくる。

 声を押し殺しながら涙を拭いて、オーケストラの音色を聴いていく。

 曲が終わったときにわたしは拍手をしてから、すぐにホワイエの方に向かおうと思っていたけど……まだ入口は混んでいた。

 楽団の人がもうは舞台裏に戻っていっている。

「帰らなきゃな……」

「楽しかったね~! 今度の演奏会も楽しみだよ」

 お客さんたちが感想を言いながらホールをあとにしていく。

 わたしは落ち着いてから席を立って、ホワイエの方へと向かおうとしたときだった。

舞台裏から階段を降りて、こっちに走ってくる音が聞こえてきた。

 最初は他の人かと思っていた。


結良ゆら!!」


 その声に反応して後ろに振り向くと、そこにいたのは黒の礼服に白の棒タイをしている理央がやって来た。

 普段は前髪を下ろしてるけど、いまはちょっとだけ意識してしまう。

「り、理央……演奏会、途中からしか見れなかった」

「うん。知ってた。仕方ないよ」

 そっと手を引いて、ホワイエの方に歩いていく。

 そこでは歓声が響いている。

「綾香、俺と結婚してください」

 それはさっきの指揮者の人で、理央は呆れた表情をしている。

「兄ちゃん……マジでプロポーズしてるよ」

「お兄さん?」

「再婚してできた義理の兄だけどな」

 燕尾服でめちゃくちゃ緊張した表情でプロポーズしている。

 プロポーズされた女性はお兄さんにOKしたみたいだった。

 理央は近づいて、お兄さんの肩を叩いている。

「兄ちゃん。幸せになりなよ」

「理央! サンキュー」

 いまがチャンスかもしれない、好きってことを言えるのが。

「理央! 話、しても良いかな?」

 心臓が破裂しそうなくらいドキドキしている。

「ここじゃ、聞こえないよな……移動するか」

 そう言って人気のない場所に連れていってくれた。

「え、理央……」

「ん? 俺も話があるから……ここだったら」

 理央はそのまま棒タイとシャツの第一ボタンを外して、いつもの理央に近づいたのに変に意識してしまう。

「先に言ってもいい?」

「うん……いいよ」

 いまなら言える。

「……理央のこと、ずっと好きでした」

 その言葉を言ったとき、耳に血流がブワッといくような感覚だった。

「あーあ、言われちゃったな」

 少し悔しそうで嬉しそうな表情でこちらを見つめている。

 楽しんでるみたいだけど、なんか顔が赤くなってる。

 少しずつこっちに近づいてくるのもあって、わたしは後ずさりしてしまう。

「俺も……好きだよ」

 わたしはその言葉を聞いて、びっくりしてしまった。

「ありがとう。理央、よかった……」

「うん。俺もいつか言おうとしてただけだよ。お前、明日引っ越すだろ? だから、言うのが今日しかないって思ったから」

 理央は少し照れた表情で話してくれたけど、安心した表情でこちらを見つめている。

「ありがとう、結良。お前のおかげで中高生活楽しかったよ。大学はお互い離れた場所だけど、会いに行くからな」

 そっと手を握ってくれて、わたしは止まっていた涙が流れてきてしまう。

「泣かないで」

「嬉しいのと、寂しくて、悲しいの……」

 ようやく想いを伝えることができたのに、明日から離れた場所で生活するのがちょっとだけ悲しかった。

 一人暮らしで寂しくなるのが目に見えてしまっているので、演奏会が終わってもまだ家には帰りたくなかったんだ。

「理央! こんなところにいたのか。探したぞ?」

 そこにお兄さんがやって来た。

 泣いてるわたしを見て、ちょっと困惑している。

「り、理央、泣かせたのか!?」

「違うよ! 結良が明日引っ越しだから、悲しくなったんだって」

「……そうだけどよ、泣かせたみたいに見えるから」

 そのやりとりは年が離れているようには見えない。

 まるで年の近い兄弟みたいだ。

「そうだ。結良ちゃんだっけ?」

「は、はい」

 お兄さんはわたしの方を向くと、優しい口調で話してくれた。

「兄の優弥ゆうやといいます。これから理央をお願いします。血の繋がりはないだけど、大事な弟ですから」

「はい!」

 その笑顔は理央にちょっと似ていて、三人で話したりしながらホワイエを出た。

 優弥さんの彼女さんも入口で待っていて、理央の隣にいるわたしを見てニコニコしていた。

「この子が理央くんの彼女さん?」

 彼女って……両想いになっただけで、つきあってもないけど。

「うん。綾香さん」

 めちゃくちゃびっくりしたけど、理央は嬉しそうに言っている。

「ちょっと、理央!!」

「そうなの! 初めまして、佐倉さくら綾香あやかと言います」

「あ、わたしは……深山みやま結良です」

 名前を綾香さんからスマホを渡され、メモに打った。

「結良ちゃんね。響きがきれいな名前だね」

 綾香さんもそうだけど、理央の家族はとても良い人ばかりだった。

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