第4話

 不思議な夢を見た。

 いつもは空を飛んだり、天変地異が起きて暴風雨のなか避難したりするような夢とか突拍子もないことが起きてしまうんだ。

 でも、今日は違って、リアルすぎる夢だった。

 夢の中で俺はチェロを弾いていて、ステージ以外は全て照明は落とされている。

 オーケストラのなかでは隣にはもう一人、チェロを弾いてる人がいる。

 年齢はたぶん実の父さんと同い年くらいだと思う。

 離婚したときは小学生になる前だったから、あまり覚えていない。

 顔はぼやけてて見えないけど、チェロの音色が響いてくる。

 オーケストラで『G線上のアリア』を弾いていたけど、お互い燕尾服を着て……たぶん有名なでっかい音楽ホールで演奏していた。

 そのときは演奏するのがめちゃくちゃ楽しくて、一曲弾き終えた達成感がやけにリアルでびっくりした。

 席を立って観客席に向かっておじぎをすると、もう一人のチェリストの方を向いた。

理央りお、大きくなったな……」

 その言葉を最後に夢は終わっていた。



 遠くから誰かの声が聞こえてくる。

「理央、起きろ。最終リハーサルあるぞ」

 兄ちゃんの声が聞こえてきた。部屋に入ってきたみたいだ。

 俺はベッドの上からすぐに頭をかいて、あくびをするとデジタル時計の時刻を確認する。

 午前十一時半、昨日は動画を見ながら寝落ちしてたらしい。

「え? あぁ、今日は本番か……」

 兄ちゃんは再婚相手の連れ子で、一人暮らししてるけど週末は実家に来ることが多い。

「そうだぞ、お前も仲の良い娘と最後に話せるチャンスだろ?」

 結良ゆら……彼女とはずっと中学から一緒にいた友だちだ。

 母さんの再婚で名字も間宮まみやから葉山はやまに変わって、小さな頃から過ごした場所から引っ越してなじめるか不安だった。

「結良がずっと音楽教室でよく話してくれたし、この街で初めてできた友だちだよ」

「へぇ、良い子なんだ」

 昼食と歯磨き、洗顔を済ませてから、着ていたパジャマから本番で着る服に着替える。

 俺の所属するアマチュアのオーケストラは礼服にシャツに白の棒タイという服装で、指揮者を担当している兄ちゃんが燕尾服を身につける。

 今回の演奏会もそうだと聞いているので、兄ちゃんから譲り受けた礼服を着ていくことにしたんだ。

優弥ゆうや、理央。おはよう、二人の演奏を見に行くよ」

「父さん、ありがとうな」

 再婚相手の父さんは音楽が好きで、スケジュールが合えば演奏会によく来てくれる。

「理央も高校生で最後の演奏会だね」

「うん。ありがとう」

 そのあとに兄ちゃんと一緒に髪型をセットしてもらうんだ。

「取りあえず、いつものでお願いするよ」

「ハイハイ。それじゃあ、緩く前髪を残して後ろに流すやつね、俺なんてオールバックで終わらせるけどな」

「兄ちゃんは……オルバが似合うよな」

 いつもオールバックにはしてないけど、このときだけは年相応に見える気がする。

 童顔ということもあるけど、指揮者のときは真剣な表情をしてるしね。

「これでアラサーとか信じられないでしょ?」

「だよな、これでも来月で三十歳だからな~。そろそろ綾香にプロポーズしたいなってな、今日来てくれるらしいから……そのときに言うつもり」

 兄ちゃんも今日は結構緊張してるみたいだった。

「俺も……告白したい。あの……結良に」

「へぇ、応援してるぞ」

 そう話している間にヘアスタイルをきれいにセットしてくれた。

「ありがとう、兄ちゃん。それじゃあ、そろそろ行かないといけない?」

「うん。早くしよう、今日は大変だぞ!」

 演奏会は午後四時に開場、午後五時から開演するためリハーサルはその直前になる。

 兄ちゃんは音楽業界に関係する仕事をしているけど、市民オーケストラの指揮者もやっているので結構忙しいのに楽しくやってる。

「行ってきます! 遅くなるかもしれない」

「行ってらっしゃい」

 母さんと父さんは今日は演奏会には来れないみたいなので、少しだけ寂しく思ってしまうけど……結良が来てくれるのでリハーサルも上手くできた。

 リハーサルが終了すると、俺は一度ホワイエで自動販売機でジュースを買って飲むことにした。

「あら、葉山弟くん。ここにいたのね」

「加藤さん……どうも」

 加藤さんは同じチェロのパートで今日は黒のシンプルなロングスカートだ。

「葉山兄弟は気合い入ってるね」

「そうですか? 高校生最後ということもあるかも」

「そうか~、大学入ったら忙しくなるわよ?」

「そのときは辞めますよ」

 俺は大学に入学してからもオーケストラは続けるつもりでいるし、余裕が無くなってきてしまったら……そこで退団すると決めている。

「でも、俺は音楽が好きですから」

「かっこいいわ~、同級生だったら好きになるかもね」

「モテないですよ。俺は」

 そのときに結良からメッセージが来た。

『乗ってる電車が人身事故を起こして。運転再開の見込みもなくて、間に合わないかもしれない』

 確か用事が終わったあとに演奏会へ来るって話になってたけど……大丈夫だろうか。

『焦らなくていいよ』

 そのあとに涙目なスタンプが送られてきた。

 ちょっと切羽詰まっているように見える。

 人身事故は学校の最寄り駅とその次の駅の間で起きていて、たぶん時間がめちゃくちゃかかるのかもしれない。

「……結良。大丈夫かな?」

 加藤さんは麦茶を飲み干すと、ちょっとだけ不思議そうな表情をしている。

「ゆらって誰?」

「同級生ですよ。この春の定期演奏会には呼んでる」

 ずっと好きだと言えていない、彼女は明日には大学のある横浜へ引っ越す。

 結良と一緒にいたいって思ったけど、もうすぐ離れてしまう。

 ギリギリまで言えずにいたことを言いたいけど……間に合うかわからない状態だ。

「そうなのね~。うちは戻るよ」

 加藤さんは察してくれたみたいだった。

「結良……間に合ってくれ」

 心の底から願うのは、彼女が演奏会へ間に合ってほしいことだった。



 演奏会の開場時間ギリギリまで待ってみたけど、彼女は間に合いそうにないようだった。

 ホワイエにはお客さんが増えてきて、順番に席へ案内しているように見えた。

 でも、結良の姿は見かけていない。

 ちょっとだけ不安になってきた。

 俺は再びスマホを見ると、メッセージが来ていた。

『運転再開したけど、徐行運転してるから……微妙』

『わかった』

 そうメッセージを送ってスマホの電源を落とした。

 結良が来ない演奏会は久しぶりだ。

 俺は昔からあがり症で上手く力を発揮することはできていなかった。

 そんなあがり症を上手く消してくれたのは結良と一緒に演奏したときがきっかけだった。

 あのときから演奏が楽になって、とても感謝している。

「理央~! そろそろ始まる。チェロを持って」

「はい」

 チェロと弓、楽譜を持ってステージの袖に立つ。

「理央、大丈夫だ。心配はいらないよ」

「ありがとう」

 兄ちゃんが気持ちを軽くしてくれる。

 結良が来てくれればもっと軽くなると思う。

 そっと肩を叩いてくれたときを思い出す。

 拍手があがるステージへ歩き始めると、俺は緊張は少なくなってきた。

 いまは演奏に集中するしかないと思っている。

 兄ちゃんの姿を見て安心すると、おじぎをしてから演奏をする体勢に入っていく。

 一曲目はホルスト作曲の『惑星』から『木星』が始まった。

 そのときには結良のことより、演奏に集中していた。

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