第8話クリティカル系男子とファンブル系女子
時計で時間を確認するとデジタルに午後7時43分と表示されている。
外はすでに暗く夏場とはいえ校内の空気は冷えているように感じる、多分これは心霊的な、悪寒的な嫌な意味でだが。
教室から少しだけ顔を出し、廊下をクリアリングする。
…まあ、誰もいない、か。
廊下を照らすのは非常口用のビビットな緑の明かりと時折雲間からさす月光だけであり、木造と鉄筋コンクリート、新旧入り混じった継接ぎである我が校の不気味さに拍車をかけているようにすら思えた。
ここに殺意マシマシの大型犬より一回りくらいデカい喋る化け物がプラスされるのである、正直勘弁してほしい。
「っふう〜…さて、と」
上履きを脱ぎ教室の隅に隠す。履き替える暇なく吹っ飛ばされたので仕方がなくこれで外を歩いたが、案の定靴裏が泥だらけである。
こりゃ持って帰って洗濯しても1日以上かかるし明日はスリッパ借りるしかないか。
上履きを脱いだのは廊下は音がよく響くからだ、気配は消せても音が消せる確証はないしそれでバレたら間抜けすぎる。
「…行こう」
月明かりと目に痛いグリーンに照らされた気味の悪い廊下に一歩踏み出す。
ふと、これがきっとポイントオブノーリターンってヤツなんだなと思った、ちなみに俺は鍵作品で学んだ。
———
手鏡なんてそんな便利なものは手元にないので、曲がり角にさしかかる度に一応辺りを確認する。
食パンくわえた女子高生みたく正面衝突なんてミラクルは起こらないだろうがこちとら命がけである、衝突するのはイケメン転校生ではなく殺意マシマシのバケモノ、女子高生とは別の意味でハラハラドキドキはごめんだ。
…まあどこにいるかなんて大方の予想はついている。
どうせ明かりがついている教室に仁王立ちしているのだ。
俺が助けに現れなければ電波女を殺すし、逆に俺が現れれば俺を殺してから電波女を殺す。
この状況で鎌鼬にとっての圧倒的優位なポジションは北校舎でさっき明かりがついた図画工作室しか考えられない。
あそこは教室が全体的にすっきりしてるし、何より中央に模写用の石膏像を置くための小ステージがあるしな、まさにお誂え向きの間取りだろう。
つまりこの状況で詰みにならないためには、俺がまだ学校に残っていると露骨にアピールし、上手い具合に鎌鼬を図画工作室から引き離しつつ鎌鼬を封印、無理っぽかったら最悪、人間おぶって逃げないといけないわけだ。
…何このクソゲー、はっきし言ってクッソハード。
心がゲンナリしつつも気を抜かず足音を立てないように、細心の注意を払いながら北校舎の3階を目指す。
予想通り教室に鎌鼬が構えているなら釣り出すための仕掛けを先に作る、いなかったら、囚われのお姫様の健康チェックしてから仕掛け作りに移行する。
こっちだって順番が前後するだけでやることは変わらない。
————
北校舎3階、図画工作室。夜の学校に似つかわしくない眩い白色LED光が部屋から漏れ出し、薄暗い廊下をはっきりと照らす。
ようやく暗がりに慣れ始めた目が若干痛く感じる、そして同時に心臓も恐ろしく速く、痛いほど脈を刻見始める。
これ下手したら影でバレるんじゃねえか…?
冷や汗が背中をぐっしょり濡らし、初夏の火照った体とは正反対に肝は下限なく冷えていく。さらに慎重に教室側の壁を伝い、身を屈めながら工作室の入り口手前まで移動する。
扉付近は光が遮られちょうど影ができる。ここなら扉の影が俺の影を隠してくれるだろう。
短いスパンの荒い呼吸、教室から犬の呼吸音のような、それでいて鼓膜に粘り着くような不快な音が聞こえた。いる。すぐそこに存在している。
ここでの失敗はデッドエンドルート直通のクソイベだが避けては通れない。
口臭でバレたら、呼吸音でバレたら、頭をよぎる最悪は意思と行動を阻害し、深呼吸すら恐ろしくてできない。
逃げられない。仮にあいつを見捨てて俺一人で逃げても、俺が学生である以上バケモノの根城の化した学校からは逃れられない。少なくとも俺は多少なりとも青春を謳歌したいと思う人間だ。
俺に逃げ場はない、逃げない。もう引き返せないと、廊下に出た時思いながらも踏み出した。落ち着け。外で目と鼻の先まで近づかれてもバレてなかった。ならちょっと教室を覗く程度なんともない。
もう何回目かもわからない覚悟を決める。深呼吸とは言い難いような空気の反芻をする。ほらバレなかった。
ゆっくりと。音を出さないように。
限りなく四つん這いに近いような低姿勢になり、顔半分を教室外から中が見えるように位置まで突き出す。
教室内部の様子が網膜に焼き付けられたと同時に顔を引っ込める。嫌な汗がツツと頬からあご先へ伝っていき、20センチも距離がない床へ落ちていく。
随分長く感じた、でもきっと2、3秒程度だったろう。
見えたのは、案の定教室の中央付近に陣取った鎌鼬と、そのすぐ後ろに金属製の鎖でグルグル巻きにされた電波女が地面に転がされていた光景。
…金属かよ。解けるか怪しいし余計に防災倉庫に行く必要出てきたな、てか金属チェーンを切断できるようなでっかいカッターあるか…?
やることは決まった、とりあえず最優先で金属チェーンを切れるカッターを探すか。
なかったら…解けるのを祈るしかねえか。
—————
「とまあ、かなり頑張って助ける覚悟決めたんだよね」
「導入が長いんだけど、もしかして放送室の仕掛け以外は何もしてないの?」
辛辣。心にくる一言である。たいして付き合いもない奴を命がけで助けようと思った男子学生に対して、一言くらい『あ』から始まる例の言葉をくれたっていいのに…
「でも実際そうだよ。大まかな仕掛けはこれ含めて2つしかできなかった」
とはいえこちとら40分程度で、即興にしてはかなり考えて罠を張り巡らせている。
実際、鎌鼬の奴は今頃もう一つの方の罠に嵌っている頃だろう。そうであってくれ。
「以外と少ないわね」
「仕方ないだろ。罠はともかく色々細工するのに手間取ったんだよ、例えば鎌鼬をお前から引き剥がすための仕掛けとかな」
「…あ、そっか。そういえば掃除用具箱から出てきたんだから鎌鼬は一回教室から移動してるのね」
「そういうこと。んじゃ、どうやって鎌鼬を引き剥がしたかとか、仕掛けた罠とか説明したいんだけど…そろそろ移動するか」
立ち上がり尻を払いつつ軽く背を伸ばす。硬い床に隠れながら直接座っていたわけで、尻がかなり痛い。
一応けが人なので、いらない配慮かもしれないが座っている電波女に手を差し出す。お小言の一つくらいかけてくると思いきや意外なことにすんなりと俺の手を握った。
軽く引っ張って、っとちょ!?
———ミスが2つある。怪我のせいかはわからないが、引っ張った時に電波女が足をふらつかせたこと。もう一つは想像よりもずっとこいつの体が軽かったことだ。
結論から言うと、結果としてふらついた電波女が胸元まで引き寄せられ抱き合うような体制になってしまった。
急すぎて固まる体とフリーズする脳みそ、それでもわかる、鼻腔を擽る女子の甘い香りと微かな血の匂い、加えて腹部に若干柔らかい感触…ってこれじゃ変態じゃんか!?
慌てて電波女を引き剥がし、両手を上げて他意はないと暗に示す、が電波女は俯きこちらと目が合わない。
「何か、言いたいことがある?」
電波女の口から蚊の羽音のような、か細い声が漏れだす。なんとなくわかるがこれは案の定かなり怒ってらっしゃる…!?
「えと、あの。ありがとうございました、とか?」
ごまかしで軽口を言い終えると同時に俯いていた顔を勢い良く上げ、顔を朱に染めた鋭い瞳と目があう、涙付きで数え役満だ。
顔めがけて勢いよく迫る平手。
あっ、やっぱだめっぽいですね。
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