11ー終

 地下へと続く螺旋状の階段は、天井も低く、手を横に伸ばすこともできないくらい閉鎖的だった。幸いなことに電気が通っていた。地上に電気の類は何もないので、この地下だけのための発電施設が備わっているのかもしれない。


「最初にルリアに話を聞いた時から、何かきな臭いなって思ってたんだ。それだけ大きな図書館があるような進んだ街にいながら、利用者は誰もいないし、図書館の外の話が全くなくて、まるで閉じこめられてるみたいだなって。確信があったわけじゃないし、お母さんがネクロマンサーだと思っていたわけでもない」


 ルリアの、いつから母親がネクロマンサーじゃないかと思っていたのか、という問いに対し、ノクティはそんな風に話し始めた。


「そのうちにルリアから、本を読んでってお願いしても振り返ってくれなくなったとか、聖歌隊の歌声のことを聞いても分からなかったとか、そういう話を聞いて、あぁ、きっとお母さんは仕事が忙しくなったんじゃなくて、耳が遠くなってしまったんだろうなって思ったんだ。即効的か遅効的かに差はあるけど、オレも五感がイカれてたからそう思ったんだろう。ただ、それだけだと病気のせいって可能性もある」


 地上でノクティが横になった所には、手先を縦に入れられるくらいの穴が開いていた。沼の主を振り下ろした衝撃で、穴を塞いでいた砂が取り除かれて現れたらしい。


「そこで、閉じこめられていた可能性だ。お母さんが、愛していたはずの娘を置いて一人で遊びに行ったとは考えられない。もし、仕事で出ていたとしたら……。娘に内容を言いにくい仕事は他にもあるだろうけど、身体の不調と合わせて、オレはどうしても、黒魔術が絡んでいるんじゃないかと思っちゃったわけ」


 穴は、少し離れた所にもう一つあった。不自然な間隔。丁度、人が両方に手を入れて持ち上げるのを待っているように。


「一緒にお風呂入るのも避けるようになったわけだろ? 耳の不調と同じで、入れ墨も面積を増やしてきてたんだろうな。オレは普段から無意識のうちに右腕の入れ墨を隠すようにして暮らしてた。オレがネクロマンサーだって知ってるルリアにもそうだった。コートを人前で脱がないようにしたり、共同浴場を避けたり。……だから、ルリアのお母さんにオレと似たような入れ墨があって、さっきも言ったけどルリアのお母さんもネクロマンサーだったって、そこまでは考えてなかった」


 どちらの穴からも空気が出てきていた。中に空洞があるのでは、と咄嗟に考えた。そう思った時、急にオウカ=カラック氏の言っていたことが思い出された。図書館には窓がなかった、と。


「でも、お母さんが黒魔術を扱う人だって考えたら、オレには全ての辻褄が合って考えられたんだ。お母さんは図書館に匿われながら術士としての仕事をさせられていた。……それから、考えたくはないけど、殺されることになってしまったことも。お母さんを匿っていた組織……さっきの黒服の仲間かもしれないし、お母さんが術を使うのを嫌がった敵対組織。どっちも考えられるなって。悲しいことだけど、裏の世界で生きているとそれだけ人に恨まれる」


 図書館は地下にあるのではないか。

 ノクティがそう思った根拠はもう一つある。だがそれをルリアに話す前に、彼は地面の穴に手をかけていた。

 持ち上げてみると、それは正方形の蓋だったことが分かった。蓋の下から、地下へと続く長い階段を発見した時には、二人とも何も言葉が出ないくらいに気分が高ぶっていた。


 ノクティの話が一段落したタイミングで、二人は最後の段を下りていた。装飾の入った重厚な扉を前にする。ルリアの持っていた鍵がここのものかと思われたが、南京錠以前に施錠もされていなかった。

 ノクティの目配せで、ルリアが取っ手を握って――開けた。


 円柱状の館内は、壁沿いに三層からなる書架が見渡す限りに立ち並んでいた。本棚にも柱にも、天使の意匠が施されている。聞いていた通り窓はなく、白い天井が電球の明かりに照らされ輝いていた。

 何年も誰も足を踏み入れることはなかったのだろう。床には埃が溜まり、カビ臭さが感じられた。

「すげぇ……」

 ノクティは書架を見上げながら呟いた。

 本。本。本。

 三百六十度、下から上まで、本。入り口の扉とあと二つ扉がある以外は、全てが本。何万冊所用されているのだろう。ノクティは本の数よりも、これだけの規模の図書館が廃墟の街の下に広がっていたことに驚いた。

「ここが、ルリアのいた図書館……?」

「……ん」

 ルリアの瞳は、潤い輝いていた。諦めていた自分の故郷へ戻ってくることができたのだから無理もないだろう。ノクティは少女を少し羨ましく思った。

「すげぇな。オレだったら全部読むのに一生かけても無理かも」

「……ん。だろうね」

「え、今、オレのことバカにしたな?」

「ううんっ!」

 力強く否定しながら、ルリアは駆け出した。円形の床の中央で止まると、両手を広げて天井を仰ぎ見た。カビ臭さは関係ない。館内の空気を大きく吸う。


「ただいまっ」


 おかえりっ。

 少女には、本たちの声が聞こえた気がした。

 ノクティが彼女に近付く。

「……ルリアのお母さんも、きっとルリアのことを待っていたさ」

「え?」

 ルリアはノクティを見上げた。彼は冗談を言っている顔ではない。

「言ってなかったけど、地上でいろいろ地下を探っている時に一度、人骨が埋まってるのを感じたんだ。……腹部に、刃物のようなもので付いた傷のある人」

 地下に図書館があるのではないかと思った根拠の一つだった。鍵職人オウカ=カラックの想像でもそうだったのを思い出す。

「それって……」

「地下に入ってきたらすっかり位置が分からなくなっちゃったんだが……もう一度、探してみようか?」

 右手を顔の前に上げるネクロマンサー。

 しかし依頼主は、目を瞑り無言で首を横に振った。

「え、いいの?」

「ん。いいの。……お母さんが、ここにいるなら、いいの」

 図書館を見渡す。

 迷いないルリアの表情を見て、ノクティは「そっか」とだけ返事した。

 その後、二人は隣接するルリアの住まいを見に行った。小さな台所のダイニングと、埃の積もったベッドがある寝室の、二部屋しかない。物は台所用品くらいしかなく、質素だ。それでも、ここにフリーク親子が暮らしていた。いたことが感じられた。

 住まいに繋がる扉とは別の扉には、開いた南京錠が下がっていた。試しにルリアのコートの鍵を差し込んでみると一致した。ここがルリアの言っていた、お母さんしか入ることのできなかった部屋だろう。

 施錠されていなかったことで嫌な予感はしていたが、案の定、書庫の中は荒らされていた。六畳くらいの室内に並んだ本棚はほとんどが空っぽで、本は床に落ちて埃をかぶっている。ざっと見た限りでも、本棚の大きさに対して本が異様に少ない。貴重な本は持ち去られるか処分されたのかもしれない。魔術に関する本は一冊もなかった。

 埃の溜まった本を手に取って、ルリアは頭を下げた。

「ごめんなさい……」

「気にするなよ。最初から、あるかもしれない、だったろ?」

「…………ん」

 励ましはするも、明らかに彼女は落ち込んでいた。彼女なりにここまで連れてきてもらった負い目があるのだろう。

 だからノクティは提案した。

「ルリア。あの本、探そうぜ」

「?」

「クマが汽車に乗って出かけるやつ」


 書架の隅、下段の絵本の並ぶ場所に、その絵本はあった。何度も読んだ形跡がある。クマの子どもが駅のホームで汽車を待っているイラストが表紙になっていた。

 ルリアが手にとって表紙を開いてみると、カツンッという音を立てて何かが床に落ちた。ルリアの持っているのと似た鍵だった。鍵を無理に挟んでいたのか、絵本は少し歪んでしまっていた。

 鍵と一緒に絵本に挟まっていたものがあった。複数枚一緒に重ねて折られた、ハガキくらいの大きさの紙だ。ノクティたちは顔を互いに見た。開くと、一枚目の最初に「愛するルリアへ」と書かれているのを見て、ルリアは紙に釘付けになった。一枚一枚に、文字がびっしりと書かれている。

 そこには、丁寧な暖かみのある字体で、娘へのメッセージが綴られていた。


『愛するルリアへ


 本当はあなたにここへ戻ってきてほしくない。だけど、戻ってきてしまった時のために、この手紙を書きました。

 実はお母さんは、図書館の仕事のほかに、悪い人たちにたのまれて仕事をしていました。あなたが生まれて、お父さんが亡くなった後、お母さんに仕事の話を持ってきたのがその人たちでした。あなたを一人で育てていくことに困っていたお母さんは、その人たちの誘いにのってしまいました。

 仕事はつらいものでした。あなたに内容は話せません。何度もやめたいと思いましたが、あなたを人質にとられていて、やめることができませんでした。

 そんな生活が数年続くうち、お母さんは、においが感じられなくなっていました。仕事のストレスからだと思いました。だんだんと耳も聞こえなくなってきました。さわった感覚もにぶくなってきたし、身体にも落ちない模様が増えてきたので、ストレスではなかったのかもしれません。あなたにはお母さんが病気だと思われたくなくて、ずっとかくしていました。

 そろそろ用ずみだろうと言われました。お母さんはまもなく捨てられてしまうでしょう。それか、お母さんが働くことをよく思わない人たちに、命を落とされてしまうかもしれません。近ごろ、誰かにねらわれているような気がします。

 幸い、あなたの記憶がいいことを、悪い人たちは知りません。お母さんのやっている仕事は、大人の人じゃないと身体がたえられないというので、あなたにお母さんの代わりをさせることはないと思います。

 でも、もしかしたら大人になったあなたの元に、お母さんに仕事をさせていた人たちが訪れるかもしれません。いえ、もう訪れているかもしれません。お願いですから、あなたの頭の良さで、やつらからは今すぐ逃げてください。やつらに耳をかたむけてはいけません。

 悲しい記憶のあるここへ、あなたがもどってこないことが望ましいですが、お母さんからの助言も伝えたい。だから、あなたにあべこべの鍵を渡そうと思います。鍵がおかしいなって思って、あなたが、たよれる誰かと大人になってここへくるかもしれないから。あなたが好きだったこの絵本の中なら、やつらは調べもしないでしょう。


 ルリア、お母さんはあなたのことが大好きでした。あなたが何よりも大切でした。

 できれば、あなたには私と同じ道を歩んでほしくない。誰かと幸せに暮らせることを祈っています。


 お母さんより』


 手紙に水滴が落ちるのが、後ろから覗き込むノクティの位置からも見えた。

「……お母さん……幸せだったかな」

 ルリアは震える声で問いかけた。

「ルリアがいたんだから、当たり前だろ。じゃなきゃこんな手紙書かねぇよ」

「…………ん」

 水滴はあまりにも透明で、ノクティの目にはほとんど映って見えなかったが、彼はこの光景を一生忘れないだろうと思った。

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