10ー2

 男がノクティを向いた。すると継ぎ接ぎ少女も首を向ける。

 ルリアから焦点がズレたなら好都合。ノクティは男の方へ駆けた。しかしどうしてもあの少女が立ちふさがってしまう。

 払いのけようと右手で少女の右肩を押さえ込むが、その手を少女の左手で押さえられた。

「くっ」

 ノクティは右膝で少女の腕を弾き蹴った。

 少女の華奢な腕に膝蹴りは効果があるはずだったが、少女は顔色一つ変えない。痛みを感じていないのだろうか。

 今度はノクティが少女の腹を足蹴にして離し、距離を取る。少女を蹴るのは気が引けるがやむなし。

「……っ」

 近付けない。男に近付かせてくれない。恐らく体術では、悲しいかな少女と同等レベルだろう。だがそれはノクティの体力が無限だったらの話。有限の体力では、文字通り生ける屍となっている少女がいつか勝ってしまう。

 ノクティの想像では、男に手が出せれば状況は変わるはずだった。男が少女を動かしているのも黒魔術によるものだろう。術者の精神力が乱れれば魔術も乱れる。根拠は、自分がそうだから。今も男はルリアに注意が行っていないのも証拠だろう。

 そのために、ネクロマンシーに頼りたい、が。

(何で……!)

 今も構えながら地面に手を付いてみても、何も感じない。また外れか。

「先ほどから貴方は何をしようとしているのです?」

 男がノクティを見下すようにして言った。分かっていて言っているのがノクティには腹立たしかった。

「うるせー……」

「ここにネクロマンサーが求めるような屍体したいはいないでしょう? 墓地や教会以前に、二年前の人災で全てが灰になったと聞きますからね。やはりネクロマンシーは美しくない」

 継ぎ接ぎ少女が再びノクティに迫る。

 ノクティは繰り出される突きや蹴りを避けながら、隙を見て地に手をついた。そんなことをしている彼に、攻撃を繰り出す暇があるわけない。

 そのうちに、体力が尽きてきてしまう。

「はぁ……はぁっ…………」

「そろそろ私も彼女も飽きてきましたよ」

「……っ……」

「私たちが貴方を監視下に置いていないのですから、貴方は所詮なりそこない」

「…………違うっ」

 ノクティは自分だけに聞こえる声で反論した。


 何故。どうして今日に限って。ネクロマンシーの力は答えてくれない。

 奴らからしたら自分はなりそこないかもしれない。それでも。

『白く生きればいい。黒を、少しでも白に。罪は消えなくても、背負う辛さを薄くする生き方をすればいい』

 依頼人の代わりにこの身を使おうと思って始めた代行業も、中途半端なネクロマンシーも。

『……ノクティ。私も、欲しいと、思ったよ。それに、私は救われた……』

 彼女と出会って、彼女を守る力になり得ると思った。

 今ここで自分が動けなくなったら、あの男はルリアを連れ去るだろう。目的が脳であれ血縁であれ記憶力であれ、間違いなく自分から彼女を引き離すだろう。

 イヤだ。

 やめてくれ。

 自分を心から求めてくれた大切な人を失いたくない。もっと彼女の喜怒哀楽が見たい。笑顔が見たい。

 今なら分かる。オレは。


 子どもの頃に色を失ってしまった自分の代わりに、彼女に華やかな日々を送ってほしかったんだ――


「……ノクティ!」


 継ぎ接ぎ少女からの手刀をノクティが首に食らってしまっている時だった。急に依頼人の彼女は声を上げたのだ。

「……ルリア?」

「こ、この辺りは、昔、凄く、凄く大きな沼だった……生き物がいないわけ、ないっ!」

「っ!」

 ノクティはよろけてその場に膝を付いた。

「沼などない」

 男はルリアを見た。子どもの虚言とバカにし、口の端を上げている。

 男の物言いに、こいつは知らないんだ、とノクティは感じ取った。ルリアの瞬間記憶能力を。

 彼女はこの街の昔の地形を知っていた。あの男の知っている地形より、ずっと大昔の地形が頭に入っているのだろう。

「信じるぜ……ルリアっ」


 地上は人災で生き物が消え去ったとしても、地下は分からない――


 まるでノクティとルリア二人の声が願いとなって届いたかのようなタイミングだった。

 手の平に、かつてここを生きた者の生命の証を感じ取れた。


「こりゃぁ……大物だっ」

 

 どうして今までこんな大物を触れられなかったのかと、術者のノクティが笑ってしまうほどの大きさだった。

 かつては巨大なその身体で、この辺りの沼を優雅に泳いでいたのだろう。は、水面に対してほぼ垂直に生き絶えたのだ。


「地上に跳び出てこい――っ!」


 膝を付けたまま両手を空へ上げる。ノクティの手に引き上げられるようにして出てきたのは、全長三十メートルはある骨の怪物だった。

 ルリアの目にはカメの骨格に見えた。だがカメにしては口が大きすぎる。それにこんな大きなカメが存在したなんて聞いたことがない。

 突然変異で沼の主と化したコイツは、沼の中の生き物を食いつぶし、天変地異で沼が埋まるのと共に滅んだのだ。

「借りるぜ。沼の主の威厳」

 ノクティが静かに言った時には、男も継ぎ接ぎの少女も空に跳んだ巨大カメに釘付けになっていた。

「な、何ですか、これは……っ」

 ニィっと口端を上げるノクティ。

 遠慮はいらない。

 なりそこないのネクロマンサーが両手を振り下ろすのに合わせて、巨カメは男と少女にのしかかった。


 衝撃で周辺の砂が吹き飛び、固い地表がもろに見えていた。

 その地表の真ん中に、巨骨の生き物の下敷きになった黒コートの男がいた。骨とは言えあの巨体にのっかられたのだから、彼の骨は何本か折れていることだろう。

 男の手は、血だまりの中に皮膚だけになった我が子へと伸びていた。もともと骨や筋肉といったものがないまま縫い繋がれて動いていたらしい。

「……あぁ……私の……子、が……」

 呻くように哀れむが、そんな男を見下ろすノクティの表情は冷ややかだった。

 同情の気も浮かばない。望んでこんな奴の子になった子どもがいないと思いたい。

「……あんたの仲間は他にどこにいるんだ?」

「知り、ませんね。……私、たちは、常に変動的。……根城は、作りません」

「ネクロマンサーを生み出して回ってる野郎が今、何処にいるかも分からないと?」

「興味、ありません……ので」

 ノクティは男の右手に足を踏み下ろした。

「ぐっ」

 男がくぐもった声を出す。そして苦笑いでノクティを見上げた。

「……私を、殺します、か?」

「殺さねー。オレはもう、誰も殺さない。……けどっ」

 ノクティは踏みつけた足をぐりぐりと動かす。

「ぎひぃっ」

「あんたには二度と同じ裁縫ことをさせない」

「ぎぃぃ……あぁっ……」

「…………」

 怒りを通り越して、ネクロマンサーは冷徹だった。何度も何度も、男の手に足を踏み下ろしては地面にこすりつける。足を動かす度に男は悲鳴を上げる。男の指の骨が粉々に砕けようがいいと思っていた。どうせ黒魔術やら何やらの力で、腕の一本くらいすぐ再生できてしまうのだろう。

「ノクティ!」

「っ」

「……もう、やめよう?」

 ノクティのコートを、後ろからルリアが引っ張っていた。

 ノクティは彼女を振り向かないまま、今まさに踏もうと上げていた右膝を、ゆっくり下ろした。

「……」

 ルリアがコートを放し見守っていると、彼は血だまりに向かって歩いていく。

 立ったまま合掌した。精一杯生きたであろう子どもたちに。彼らの魂が、親族の元へと還れますように――

 手を下ろし、くるりとルリアを向いたノクティは、

「あー疲れたーっ」

と、いつもの朗らかな表情と口調で言った。

「ノクティ……」

 ルリアは胸をなで下ろした。自分が止めなければ、彼はいつまでもいつまでも男の手を踏みつけていただろう。殺さずとも、それに近い痛みを、永遠に与えようと。

 

 男から少し距離を置いたところで、ノクティは足を投げ出した。

「あー、いてーっ」

 継ぎ接ぎの少女に殴られたり蹴られたりした箇所を観察する。だいぶ痣になっていた。

 骨ガメは男の上に覆い被さったままだ。男は手を潰された痛みのせいか、魂が抜けたようになっていた。しばらく放っておこう、というのはノクティとルリア二人の判断だ。解放した後に奴が何処へ行こうが好きにすればいい。

 奴が仲間と会って、なりそこないのネクロマンサーと匿っていた娘の話をしたとして、それで報復に向こうから接触してくるようなことがあれば好都合。彼らは常に移動しながら入隊脱退を繰り返しているようだから、ここで深追いせず行く先々で情報を得るのがいいとノクティは考えた。今までだってそうしてきたのだから。

 十二年前のあの男にも、いつか――

「ちょっと休憩だーっ」

 ノクティは頭の後ろで手を組み、腕を枕に寝ころんだ。クッションになっていた砂が無くなっていて、背中が痛かった。

 「私も……」と遠慮がちにルリアも腰を下ろした、その瞬間。


「ルリアッ!?」


 ノクティが飛び起きた。

「えっ!?」

 彼は目の色を変えて地面に手を触れていた。

「……見つけた」

 高ぶった気持ちを隠せない。心臓の鼓動が早くなる。

「見つけたって、何を……?」


「決まってるだろ、図書館だよっ」

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