9ー2
「ノクティ……? 大丈夫?」
彼は呼吸を荒くしていた。ノクティに押さえられるようにして隠れているルリアには、彼が何を見て殺気立っているのか分からなかった。
「……ルリア。ここに隠れてジッとしていてくれるか」
「ノクティは?」
「オレは……ちょっと、確かめなくちゃいけないことが……」
「私も行くっ」
「ダメだっ」
小声でも迫力のある静止だった。しかしルリアも負けていない。
「一人はイヤだ。置いていかないでっ」
「……」
彼女の顔は必死に懇願していた。
図書館はほぼ見つかったも同然、という思いでイリアスへ来て、この街の惨状だ。倉庫で召使いのように暮らしているうちに、大好きだった故郷が無くなってしまった。彼女だって不安に違いないのだ。
「……分かった。でも、オレの背から絶対に離れるな。それから、声も、足音も立てちゃダメだ」
「…………ん」
彼女の表情に緊張の色が増した。
彼らは移動を始めた。ルリアはノクティのコートを掴み、彼の背に隠れるようにする。
二人のブーツは砂で白くなっていた。踏みしめても、踏みしめても、空虚だ。
ルリアは言われた通りに付いてきた。瓦礫に隠れながらの尾行はしばらく続いた。男は何か目的があって、街の中を縫って歩いているようだった。
黒い男は、開けた所に出ていた。
二人が隠れられそうな瓦礫もない。仕方なくノクティは、今いる場所から遠く男を観察することにした。
「!」
唐突に、男がこっちを振り返った。ノクティは顔を引っ込める。
「誰ですか?」
男は言った。ねっとりとした喋り方だった。
ルリアが心配そうにノクティを見る。彼女にも奴の声は届いているだろう。
ノクティは唾を喉に通した。奴はこちらの存在に気付いている。
葛藤した。自分は今どう行動すべきだろうか。瓦礫から出るか。いや、相手がどんな人間か分からない今、己の直感を無視できない。自分一人ならともかく、ルリアもいる。でも奴らが何者なのかも知りたい。十二年前のあの男と関係があるのかないのか。
「代行業者をしている者だ」
迷い悩んだ末、ノクティは自分だけ瓦礫から姿を現した。ルリアに「ここで声も音も出さずに小さくなってな」と耳打ちしてから。
男はノクティを舐めるように見回した。
「子どもでしたか。でも、代行業者なんて聞いたことありません。……誰ですか?」
「あんたこそ、何者だ?」
「言葉が分からないのでしょうか……」
首を傾げている男を、ノクティは注視した。コートから出ている手は細く、骨まで浮き出ている。フードの下の目はやや垂れ目でクマもある。頬がこけている上にノクティの目には肌も真っ白に見えるので、病気の人間がやっとそこに立っているようだった。お世辞にも生気があるようには見えない。若くも老いてもいるようだった。
男の首に、入れ墨が入っているのが見えた。十二年前のアイツもそうだった。でもやはりアイツとは違う。
「……あんた、何でこんな所にいるんだ?」
「何、見回りですよ」
「見回り? こんな死んだ街で?」
「死んだ街とは失礼ですね。ここで灰になった、彼らの最期も知らないで」
「……まるで知っているみたいな口振りだ」
「いえ、私は知りませんよ。亡くなった人を敬えと、そう言っているんです。礼儀の知らない子どもが」
「……っ!」
ノクティは目の前の男に、蛇に睨まれた蛙にされている気分だった。飛び出てはみたものの、それから先、身体が動かない。男の何がそうさせているのか。
「あ、あんたに、聞きたいことがあるんだ……」
「私のことをつけていましたね? それが理由ですか?」
やはり気付かれていたのか、とノクティは悔やんだ。ルリアを連れての尾行は無理があったかもしれない。
「ああ……」
「道を訪ねたいなら、他を当たりなさい。もっとも、ここは貴方の言葉を借りれば死んだ街。訪ねる人には会えないでしょうが」
男はノクティに背を向けた。
行ってしまう、呼び止めなきゃ、と思った時には、咄嗟に口にしていた。
「ネクロマンサー……っ」
男が首をぐるんと動かして振り返った。垂れた目を血走らせて見開いている。
「何と……言いましたか?」
当たりだ。この反応、奴は心当たりがあるに違いない。ノクティは乾いてしまった唇を舐めてから繰り返した。
「……ネクロマンサー」
男は数秒だけ視線を上に向けて思考を巡らせた後、感情のこもらない顔でノクティを見た。
「どうして貴方みたいな子どもが、ネクロマンサーを知っているんですか?」
「……あんたも知っているみたいだな」
「どうして貴方みたいな子どもが、ネクロマンサーを知っているんですか?」
「案外子どもじゃないってことだ」
「どうして貴方みたいな子どもが、ネクロマンサーを知っているんですか?」
「……ちきしょう」
壊れた人形のように見つめ繰り返す男に、ノクティは舌打ちした。気味が悪い。質問に答えない限り、話の主導権は握らせないつもりらしい。嘘でもこう答えてみることにする。
「あんたみたいな奴が使ってた」
「私のような……」
話が進んでくれた。
「心当たりはあるか?」
「彼は私である」
「はぁ? そんなわけは……」
「私たちは皆が似て非なるものである。常に一つであり、それでいて常に複数である」
「はぁっ?」
「ネクロマンサーがいることもあれば、いないこともある。同胞が存在し、存在しない。私たちは常に移り変わっていく」
「意味が分からん……仲間だったけど、今は仲間じゃないってことか?」
「君たちはそう取るだろう。だが違う。私たちは常に一つであり、複数なのだ。彼は私であり、私でない」
「本気で分からない……」
ノクティは頭をかきむしった。男が何らかの組織に属していることは確かだろう。もっと聞き出せないものか。
「……ネクロマンサーを生み出すことも、あんたたちの仕事の一つか?」
「ほう、それはまるで、生み出されたネクロマンサーが身近にいるような口振りですね」
「いると……言ったら?」
「それはおかしい。全てのネクロマンサーは、私たちと共にあるか、私たちの監視下にいる。貴方のことなど知らない」
「……」
ノクティは拳を握りしめた。自分の爪で手の平に穴を空けてしまいそうなほど、強く。
全てのネクロマンサーは、私たちと共にあるか私たちの監視下にいる。
男の発言は、一つの事実を現していた。
「生み出されたネクロマンサーが、他に何人もいるってことかよ……」
「おっと……話しすぎてしまいましたかね」
「っ!」
ノクティは男を睨みつけた。
そんなこと、あってはならない。
亡くなった人を蘇らせるなど、してはいけない。
自分も生前の母親に会いたいと思った。でもどんな理由にせよ、故人の生きた証を、無かったことにしてはいけない。
人は命に限りがあるから尊い。力の限り生きられる。
自分の視界から色が無くなったのは戒めだ。母親の色づいた人生を、息子を守ろうと赤い火に飛び込んだ最期を、無秩序に扱った罰なのだ。
そんな悲しい人たちが、自分以外に存在してはならない。
彼らも救わなければならない。
「あんたらは……オレが改心させる」
ノクティの発言に男はせせら笑う。
「貴方は何なのでしょう? 貴方の言っていることが分かりません」
「オレは…………あんたらに生み出されたネクロマンサーだっ」
ノクティは右腕の袖をまくった。
彼の右腕に刻み込まれた忌々しい模様が露わになる。
ルリアは息を飲んだ。
声を出すなと言われているので、すぐに口を手で押さえる。思わず声を出してしまいそうだった。
隠れていなくてはいけない立場だったが、彼が誰と話しているのだろうと気になった。何を確かめようとして、誰をつけていたのか。
少しだけ瓦礫から顔を出して、男二人を伺った。
あの荒野で、彼と盗賊の大男とのやり取りを覗き見ていた時のことを思い出した。ノクティの行動に興味があった。
彼の話し相手は、黒いコートを着たゾンビみたいな人だった。ゾンビは本の中で見ただけで実際に見たことはないので想像だ。首筋に何か黒いペイントが見えたので、ゾンビではないのだろうと思っただけだ。
話はネクロマンサーに関することだった。男の言っていることは自分には分からない。話しぶりからして彼もそうだったらしい。
「あんたらは……オレが改心させる」
彼のその言葉には、大きな決意が感じられた。
彼は誰よりも生命の尊さを理解していたから。そんなネクロマンサーだったから。
息を呑んだのは、彼が腕をまくった時だった。
髑髏を象った入れ墨を、前に見たことがあったのだ。
ある時から母親は、自分と一緒に風呂に入ってくれなくなった。物心ついた時には、母親は身体にタオルを巻いて風呂に入っていた。それが入浴時間を分けるようになったのだ。仲が悪くなったわけではない。母親が裸体を見せることを避けているのだということは、子どもながらに感じ取っていた。そこでたった一度、興味本位で母親の着替えの様子を隠れて見たことがある。
背中や手足に、今の彼とほぼ同じ模様の入れ墨が入っていた。母親の入れ墨も当然、頭にハッキリと残っている。髑髏の顔に恐怖を覚えた。
同じだ。同じだった。
彼は自分がネクロマンサーである証として、入れ墨を見せたようだった。
まさか母親は――
だから彼は、いつも自分より早く寝て、早く起きていたのだろうか。寝るためにコートを脱げば、肌着になれば、入れ墨が見えてしまうから。入れ墨を自分に見せないために。母親も同じだったと、悟らせないために。
だとすると。
彼は、母親がネクロマンサーだと分かっていた?
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