9ー1

 予定の時刻を寝過ごした。結局、夜中まで祭りを楽しんでしまった。ルリアは何度もうとうとしかけていたが、ぼーっとしながらも人々の悦楽ぶりを見据えていた。彼女の初めての夜更かしだったらしい。

 ノクティが身体を起こすと、ルリアは隣のベッドでまだ眠っていた。クマのぬいぐるみを持って。

「そんなに気に入ってんのかよ、それ」

 彼女の耳に届かないくらいの小さな声で言うと、ノクティはサイドテーブルの上に載せていたピアスを手に取った。両耳に付ける。

 あの日、母親の墓の前でネクロマンシーの力を得てから、物には執着しないことを決めた。このピアス以外。このピアスは父親が生きた証であり、母親が自分を生かしてくれた証なのだと。

 ノクティがコートを手に取ったところで、ルリアがもぞもぞと動き出した。チェーンの音が目覚まし時計になってしまったようである。

 ルリアが布団の中から声をかける。

「……ノクティ、いつも早いね」

「今日は寝坊した」

 答えながら、ノクティはさっさとコートに腕を通す。

「でも、私より後に寝て、私より先に起きてる」

「寝顔を見られるのが恥ずかしくてね」

「何それ」

「ジョークだ。子どもはいっぱい寝た方がいいんだよ」

 彼らが泊まった宿の部屋からは、噴水広場の様子を見渡せた。昨夜は日付が変わるまで宴が続いていたはずだが、今はその影もない。飾られていた旗は取り除かれ、屋台もステージも撤去されている。噴水の周りを、出勤途中なのか散歩なのか、町民が数人、歩いているだけだ。まるで祭りなど始めから行われていなかったように。

 一夜で変わる風景。窓から広場を見下ろし、ノクティは少し虚しさを覚えた。

「ノクティって腕、怪我してるの?」

「え?」

 ノクティは焦って振り返る。ルリアはとっくに起きあがっていて、リュックを手にしていた。

 リュックは祭りの屋台で安売りされていたのを、ノクティがルリアに買ってやったものだった。クマのぬいぐるみをしまうために。色素の薄い彼女に少しでも色味をと、ノクティは黒色のリュックを選んだ。

「腕、何か傷があるように見えたけど」

「……前にちょっとな」

「聞いてないよ?」

「転んだり擦りむいたりしたのもルリアに言わなくちゃいけないのかよ」

「いや、そういうわけじゃないけど……」

「いてぇよぉ、いてぇよぉ」

 ノクティは左手で右腕を押さえてわざとらしく声を出した。その後で、急に平常に戻り、言った。

「準備できたなら行くぞ」

 二人は部屋を出た。宿主に支払いを済ませ、ノクティは残金を見て悩ましい気持ちになった。そろそろ図書館探しを終えて、別の仕事に移りたいものである。

 前日とは違う街の風景に、ルリアは驚いていた。噴水広場の地面はブロックが綺麗に並び、ベンチも置かれていた。前日には人で埋もれていて気付きもしなかった。

「何でノクティのコートは、肩の開いた変なデザインなの」

「夏は暑いだろ?」

「夏もそれ着てるの?」

「おぅ」

「暑苦しい……」

「暑苦しいんだよ」

 くだらない話をしながら、駅へ向かう。

イリアスの最寄り駅までの切符を買うため、ノクティは駅員のいるカウンターへ行った。

 ルリアも付いていった。次はどんな街へ行くのだろう。その街には探していた図書館もある。自然と気分が浮つく。

 だが、ノクティがイリアスの名を出すと、四十代くらいの年齢の駅員は怪訝そうな表情を見せた。

「イリアス……?」

「最寄りの駅までの切符を二枚欲しいんです」

「イリアスは……もう、ありませんよ?」

「……え?」

「線路は変わらず通っていますが、イリアスが無くなったので最寄りの駅も廃駅になっています」

「な、無くなったって……いつ?」

「二年前に。ご存知ないですか?」


 最寄り駅――現在の――からは、車を利用することになった。偶然、行く方面が同じ商人を見つけ、交渉の末、ほぼタダで荷台に乗せてもらえることになったのだ。

 ノクティたちを目的の場所で降ろした時、商人は何度も念押した。

「本当にここまででいいのかい?」

 その度にノクティは答えた。

「ここがイリアスのあった場所なら」

 商人がいなくなった後、ノクティたちは立ち尽くすことになった。

「……」

「……」

 そこは確かに街があったのだろう。

 白い瓦礫の山々は、よく見れば人の暮らす建物だったことが伺えた。骨組みが剥き出しになった家。えぐれたコンクリート地面。溜まった砂埃や灰。人もいない。動物もいない。緑もない。

 晴天の下、この朽ちた街は非常にアンバランスだった。

 時間が止まっていた。街があった、ということが分かるだけで、活気立った街の姿も想像できない。無音で、虚無な空気がそこに漂っていた。

 靴の先についた砂を見て、ノクティはもの悲しく顔を歪めた。

「何があったって言うんだよ……」

 建物は半壊か全壊。図書館と思しき円形の建物はもちろん、オウカ=カラック氏から聞いた天使の像も、教会も見あたらない。あったかどうかも分からない。

「ノクティ……」

 ルリアは不安げにノクティのコートの裾を握りしめた。

 彼らをここまで連れてきてくれた商人は言っていた。朝になったら、街が消えていたのだ、と。彼は二年前、たまたまイリアスの近くで行商をしていた人からそう聞いたらしい。一晩で、街は砂になってしまった。人々は何か恐ろしいことがあったに違いないと噂した。自然災害か、化学実験か。ある界隈では、魔術のようなものが働いたのだろうと口にする人もいたと。

 確かなことは、もうイリアスは滅んだ、ということだ。

 ルリアは俯いた。

「図書館も……無くなっちゃったんだね……」

「っ!」

 図書館も無くなった――

 少女の言葉に、ノクティは首を横に振った。そんなことは認めない。故郷がないのは、家がないのは、自分だけでいい。彼女にこれ以上、辛い現実を見せたくない。

 ノクティは歩き出した。何か、何か手掛かりはないかと。ここに図書館が絶対にあると言われたわけではない。オウカ=カラック氏の記憶違いの可能性もある。

「ノクティ、何処行くの」

「探すんだ、図書館の手掛かりを」

「でもっ、街は無くなっちゃったんだよ……?」

「誰が言ったんだ、図書館も無くなったって!」

「っ」

 ノクティの大声で、ルリアは拳を握りしめた。本当は怖くて仕方なかった。母親との思い出が脳内の記憶だけになってしまったと、もう二度と帰ることはできないと、この街に言われたような気がして。

「私も、行くっ」

 少女は前方を行くネクロマンサーの背を追った。


 イリアスは、きっと白を基調とした美しい街だったのだろう。街自体がキャンバスとなり、街中に芸術作品が並ぶ場所がランキッド大陸にあると、ノクティは聞いたことがあった。ここがその街なのだろうと、ノクティは薄々考えていた。瓦礫にはカラフルな壁画――カラフルかどうかはルリアに教えてもらったが――が混じっていたし、ルリアが人骨かと驚いたのは、彫刻の頭部の一部だった。

 ルリアは、この街の過去の地形についての知識は持っていた。どんな街かまでは知らなかったが。彼女の知識も頼りにしつつ、街だった場所を歩き回った。記憶を頼りに滑落した地形や地盤のゆるい所を避けた。

 彼らは見つけてしまった。天使の翼と思われる彫刻の残骸を。

 翼の部分だけを最初に見つけた。もしやと周辺を探したところ、眠るような表情をした頭部も砂の中から発見したのだった。

「天使の像、あったね……」

「ここがカラックさんの言っていた場所だろうな……」

 見つけてしまった、とノクティは舌打ちした。オウカの言った街に、オウカの言った像があったら、情報が正しいということになってしまう。おまけにそこから線路の方角に、建物と十字架の瓦礫も発見してしまうとは。紛れもなくここは、オウカが待ち合わせをした街。

 図書館のあった街。

 天使の像も教会も、見つからなければ良かったのに。見つからなければ、カラックさんは街の名前を勘違いしていたんだね、図書館は別の街にあるんだね、と切り替えることができたのに。例えこの街が本当に図書館のあった街だとしても、ここじゃなかったのだと、ルリアを励ます方法はいくらでもあったのに。それを正当化したくて、街の中を歩き出したというのに。

「……」

「……ノクティ、ありがとう。ここまで連れてきてくれて」

「なっ……」

 流石に少女だって悟ってしまう。彼の考えを。


 その時、ノクティは視界の隅に何か動くものを捕らえた。

 恐らく廃墟の街が彼の目にはほとんど白に映っており、その動いたものが真っ黒だったから余計に気が付いたのだろう。


 ノクティは咄嗟にルリアを引っ張り、動いたものから陰になるよう瓦礫に隠れた。嫌な予感がした。

「ノクティ? どうしたの?」

「しっ」

 ノクティは口の前で人差し指を立てた。目線は端から瓦礫の向こう側を伺っている。

「人がいた」

 そっと囁く。

「人?」

「あいつ……何処から来た?」

 真っ黒な人物は、ゆったりとした足取りで廃墟の街を歩き回っている。

 しばらく見ているうちに、気付くことがあった。足まである長いコートに、目深にかぶったフード。服装に見覚えがある。

 神出鬼没。

 過去にたった一度しか出くわしたことはないが、奴を表現するとしたら、その言葉だ。

「……っ」

 ノクティの脳裏に、記憶が蘇る。

 十二年前のあの日、母親の墓石の前に現れた、フードの男――

 違う。

 あの時のアイツではない。アイツの顔はよく見えなかったので覚えていないが、それ以外は絶対に忘れることはない。服装、入れ墨、体つき、声、歩き方。ルリアほどの記憶能力のない脳味噌でも、これだけは自信がある。あの時のアイツなら見間違わない。

 でも、この身体のざわつく感覚。

「くっ……」

 ノクティは今にも飛び出していきそうな自身の身体を必死に押さえた。汗が噴き出してくる。

 同じオーラをまとった者。

 似ている。

 できればこんな所で会いたくなかった。

 自分の直感が言った。あそこにいる奴も、黒い側の人間だ――

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