8ー1

「何でもっと早く話してくれなかったの」

と、彼女は怒った。もっと早く知っていたら、あの夜、手を引いてあげたのに、と。

 自分の過去の話をして、彼女はもっと怖がるものだと思っていた。自分のせいで母親が死んで、知らない男からの誘いに乗ってネクロマンサーになって、後遺症で色を失って、忌み嫌われて街から逃げた。九歳の子どもには重い内容だったろう。

 それなのに彼女は、最後まで黙って聞いてくれただけでなく、もっと早く話せと怒った。本当に子どもなのか、実は子どもに見えるだけで大人なのか。予想しなかった彼女の反応に、ノクティは驚いていた。

「ルリアも最初はネクロマンシーの力を欲しがっていたし、どう話したらいいかと……」

 ノクティの目の異常に気付いたルリアが、全部を話してほしいと、そう言ったことで、二人は聖歌隊を追いかける前にもいた路地に再び戻ってきていた。

 ノクティはルリアに自身の過去を話して聞かせた。父親の悲報を聞いたその日から、ピアスを付けて一人、代行業者として歩み出したその日までのことを。ルリアに抱いた感情は、とてもまだ口にできなかったが。

 ルリアは声色を変えながら不満を言う。

「『暗いところが苦手だ』、とか強がらなくていいから」

「何だよそれ、オレの声を真似てんのか? 似てねぇっ」

「……ごめん、ノクティはもっと変な声だよね」

「言うようになったなっ」

 ノクティはルリアの顔にクマのぬいぐるみを投げた。ずっとクマを持って話していたので、彼自身も早く手放したいと思っていたものだった。

 ルリアはクマを握りしめて言った。

「……これからは、見えないとか、見にくいとか、ちゃんと言って」

「これから? いったい、あとどれくらい一緒にいなきゃいけないんだよ」

「えっ」

「早く見つけるんだろ、図書館?」

「…………ん」

 祭りは変わらず賑わいを見せていた。汽車で帰る人もいれば、来る人もいる。夜中まで宴は続くのだろう。市長の人望云々の問題ではなく、皆、日常を忘れて夢の世界に浸りたいのだと思われた。

 噴水広場から流れてくる音楽は、陽気なダンスミュージックに変わっていた。

「ごめんな。聖歌隊の人たち、いなくなっちゃったな」

「……ん。いい。気のせいだったかもしれないし」

「いや、オレはそうじゃないと思う」

「そう……かな」

 座っているルリアの手首には、まだ風船の紐が巻かれている。ノクティは浮いている風船に軽いパンチを食らわせた。 

「もう祭りはいいか? そろそろ鍵職人のところに行こうか」

 ルリアはクマのぬいぐるみを顔の前に出して「……ん」と言った。

(本当はもっと回りたいんだろうな……)

 ノクティは鼻から息を吐くと、少女の頭にポンッと手を置いてから歩き出した。

「鍵職人に会ってからまた回ろうぜ」

 頭を触られたルリアは、ノクティの後ろ姿に呼びかける。

「……ねぇ、ノクティ」

「何?」

「ノクティにネクロマンシーの力を与えた男の人って、誰なの?」

「……分からない」

 間があってからの返答だった。

「会いたいと思う?」

「……今ここでは、会いたくないな」


 噴水広場から離れた鍵職人の家の前にも、賑わいの音色は聞こえてきた。白のレンガ造りで、煙突が伸びている家だった。高い木がほとんど立っていない芝生の中の一軒家に、祭りの音は不釣り合いに思えた。

 ノクティがドアをノックする。入り口のドアには、職人の名前である『オウカ=カラック』と掘られた木のプレートが下がっていた。また上から人が下りてくるのでは、とルリアは煙突を見上げたが、そんなことは無かった。ドアの奥から男の声で小さく「どうぞ」と聞こえた。

 留守でなくて良かった。ノクティは静かにドアを引いた。

「お邪魔しまーす」

「……します」

 ドアから真っ正面の位置に、白髪の男が背を向けて座っていた。背中が少し丸まっているので小柄に見える。

 ルリアは室内を見渡した。まさしくその家は職人の家だった。白髪の男が向かっている机とは別に、部屋の中央には細長い木工工作台が置かれていた。天板は傷だらけで年季が入っている。壁には大小様々な鍵が飾られている。ルリアの知らない鍵も多くあった。鍵を作るのに使うのだろう工具類も、棚に並んでいる。

「何の用かな」

 男は背を向けたまま聞いた。彼は今も作業中らしかった。

「貴方が、オウカ=カラックさんですか?」

「それ以外に誰だと言うんだ」

「あの……鍵を、見てもらいたいんです」

「私は鍵以外のものは見ないよ。ただでさえ祭りが騒がしくて集中できないんだ。用次第では引き受けない」

 ノクティは出端を折られルリアに苦笑い。咳払いしてから、もう一度問うた。

「この鍵は、貴方が作ったものですか?」

 訪ね方が良かったらしい。ようやく鍵職人、オウカ=カラックは作業の手を止め、ノクティたちを振り返った。年齢は七十前後といったところか。皺の多い顔は気難しそうである。

 ノクティはルリアの首もとにある鍵を指さす。オウカは細い目をいっそう細くして、ノクティたちを見つめた。

「こっちに持ってきてくれないか」

 言われて、ルリアはコートを脱いだ。それをノクティが手にし、オウカの元へ持って行った。

 オウカはコートを受け取ると、鍵を一瞥しただけでノクティたちを見た。あまりにも無表情なので緊張する。

「……君たちは、何者だね?」

「えっ」

 予想外の質問が来て、ノクティたちは一瞬うろたえた。

「これは、確かに私が作ったものだ。誰から注文されて作ったかも覚えている。だから聞きたい。君たちは何者だね?」

 ノクティは心の中で風車守のプラメラ=ウェントに感謝した。こんなに早く核心に近付けるとは。彼女の情報は確かだった。

「オレは……普段、代行業者として各地を歩いていて、今はこの子の依頼で同行している。この子は、その鍵のある場所で暮らしていた子だ」

「この鍵のある場所で暮らしていた……?」

 オウカは不思議そうな顔でルリアの全身を見回した。そして何か腑に落ちるものがあったのか、静かに一回頷いた。

「そうか……確かに似ているよ、フリーク君に」

「お母さんを知っているの!?」

 声を上げたのはもちろんルリアだ。

「鍵の受け渡しの際に一度会っただけだけどね。印象に残る女性だったので覚えているよ。……亡くなったらしいね、人伝に聞いたよ」

「……ん」

「なるほど、娘さんなら鍵を持っていてもおかしくない」

 オウカは何か懐かしむような表情で鍵を見つめた。

ルリアが聞きたそうにしているのを、ノクティが代わってやる。

「……その鍵は、図書館のもので間違いないですね?」

「間違いないね」

「じゃあ……その図書館の場所も、知っていますか?」

「知っているよ」

 ノクティたちは喜び顔でお互い見合った。

 だがその表情をするには、まだ早かった。

「……ただ」

「ただ……?」

「明確な場所は私も知らない」

「「えっ」」

「本当なら客の個人情報に関わることだから言えないところだが、君がフリーク君の娘だから話そう」

 ノクティたちは身を引き締めた。

「君のお母さんは何らかの組織に守られていた。図書館の管理人を任す、という形でね。閉じこめられていたと言った方が正確かな。だからフリーク君を雇っていた組織も私に、複製できない鍵の製作を頼んだのだろう。そうしなくても一般人が利用できない図書館だった。厳重だったね」

「何らかの、組織……」

 ルリアが復唱する。ノクティは小声で「そうだったか?」と聞いた。彼女は、分からない、と首を横に振った。

「だから私が鍵を納品しにいった時も、図書館の外で待ち合わせして、そこからは目隠しで運ばれる形になった」

「目隠しぃ?」

「よほど図書館の場所を知られたくなかったのだろうね。図書館というよりも、フリーク君を隠しておきたいという風に、私には感じられた。私が図書館の詳しい場所を知らないのもそのためさ」

 「……でも」とルリアが切り出す。

「お母さん、閉じこめられてなんかいない。たまに外に出かけてた」

「それには、君も一緒だったかい?」

「……ううん。私、外に出たこと、ない……」

 ルリアの顔は沈んでいた。自分の過去を思い出しているのだろう。

 オウカの話を聞き、ノクティは一つ思うことがあった。ノクティが請負人の同胞たちと接し、一人で代行業者をやってきた経験からの推測だ。ただ、口にしていいものかという迷いが生じた。

 それじゃまるで――


「普段は図書館に閉じこめておいて、本業を別にやらせていた……」


 ノクティがまさに考えていたことを、オウカが言葉に出していた。

「代行業者の君も、同じことを思っていたようだね?」

 もう話題は反らせない。

「……ルリアのお母さんは、何をさせられていたと思いますか?」

 オウカはルリアの顔を見た。

「ルリアというのか。いい名前だね」

 あっとノクティは口を押さえた。彼女の母親のことを知っているのだから、隠し通す必要もないのかもしれないが。

「……何をさせられていたか、か。私にそこまでは分からないよ」

「そうですよね……」

「でもフリーク君が亡くなった後、うちのお客さんだったということで、お墓に手を合わせに行こうとしたんだが、妙なことがあったよ」

「妙なこと、とは」

「鍵の依頼のあった連絡先に問い合わせたら、墓はない、と言うんだ」

「墓が、ない……」

 ノクティはまたルリアに小声で事実確認をする。ルリアも「……ん。知らない」と声をひそめて言った。

「直感でおかしいと思った私は食い下がってみたんだ。すると相手は、こうも漏らした。貴方には行けません、と」

「貴方には行けない……?」

「ああ。これは老いぼれの想像と思って聞いてほしいのだが、フリーク君の遺体は、図書館にあるのではないだろうか」

「……」

「すまない、憶測でこんな話をするものではないね」

 オウカは目を伏せて詫びた後、続けた。

「今、改めて考えてみても、フリーク君は何者かに守られていたと、私はそう思うんだ」

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