7ー1

 ノクティ=レイズスは、夕日の綺麗な小さな港町で、ある夫婦の一人息子として生まれた。父親は漁師で、家を長期間空けて海へ出ていることが多かった。必然的にノクティと母親二人きりの時間が多くなった。ノクティは母親も、母親の作るまんじゅうも大好きだった。

 あまり利口でもなかったが、その代わりか身軽な子どもだった。また、気さくな性格で友だちにも周囲の大人にも好かれていた。

 もちろん家族からも愛されていた。決してノクティも父親を好いていなかったわけではない。父親に頼らないで生きようとしただけだ。父親が長い漁から帰ってくると、決まって賑やかな夜になる。誰がどう見ても幸せな家庭だった。

 ノクティが六歳の時だった。

 彼が学校から帰ってくると、母親が泣いていた。そこにいた近所の大人が彼に告げたのは、父親の悲報だった。漁に出た船がスコールにやられ、沈没したというのだ。

 ノクティはその事実がよく分からなかった。海へ出たまましばらく帰ってこないことなど、普段からあったのだから。

 母親は塞ぎがちになった。何をするにも身が入らず、ノクティへ笑顔を向けることが減った。ノクティは毎日のように港へ出かけた。父親が帰ってくることを願って。しかしノクティが港へ出かければ出かけるほど、母親は、やつれていった。生活は近所の人々が援助してくれていた。

 ある日、港の網に引っかかったものがあった。心当たりのあった漁師は、その日も港へ来ていたノクティにそれを見せた。ノクティの父親がいつも身につけていたピアスだった。こんな小さなものが街へ流れ着いて、なおかつ網にかかるなんて、奇跡だと言えた。ノクティがピアスを家へ走って持ち帰ると、母親は久しぶりに微笑んでくれた。

 ピアスが流れ着いたのなら、父親の身体も帰ってくるかもしれない。ノクティは港に通い続けた。この頃にはノクティも、父親は亡くなったのだと理解ができていた。母親は病みながらも、ノクティの話には耳を傾けた。

 そして、運命の日を迎える。

 その日もノクティは港にいた。知らせを持ってきたのは、レイズス家の近所に住む、彼の友だちだった。

 家から、火が出ている、と。

 ノクティが大急ぎで家へ戻ると、本当に我が家から火がのぼっていた。ノクティはまず母親の姿を探した。母親は外で近所の大人に支えられるようにして立っていた。お母さんっ、と駆け寄る。ノクティ、と母親は息子を抱いた。

 料理中のことだったのか、母親はエプロンをつけていた。後から分かったことだが、見舞いに来ていた近所の人のためにお茶の準備をしようとしていて、呆けていた彼女は火の扱いを誤ってしまったらしいのだ。

 母の腕の中で、ノクティは思った。


 お父さんだけじゃなく、お母さんまでいなくなってしまったら、ボクはどうすれば――


 お父さん、と思ってしまったのがいけなかった。一瞬でも思ってしまったのが。

 ノクティの脳裏に、父親のピアスが浮かんだ。あれは何処に置いてあったか。玄関を入ってすぐの棚に置いてあったはずだ。台所からは遠い。今ならまだ、間に合うかもしれない。

 取りに行かなきゃ――

 とっさの思いだった。ノクティは今なお燃え続ける家に駆け出していた。

 その後のことは、ノクティ自身もよく覚えていない。

 目が覚めたら、街の小さな病院のベッドの上だった。軽い火傷で済んだが、丸一日眠ってしまっていたらしい。

 医者は告げた。母親は亡くなったと。

 消火した家の中から丸まった格好で発見された。ピアスを握って。まるでピアスだけは燃やさまいと、守るように。

 朧気な記憶の中、

「お母さんが代わりに行くから、貴方はここで待っていなさい」

と言って火の中に飛び込んでいく母親の姿だけが鮮明に蘇った。

 ノクティはベッドの上で泣き叫んだ。


 ボクが港なんて行っていなければ。

 ボクがお母さんの傍にいれば。

 ボクがピアスなんて取りに行かなければ。

 ボクの代わりにお母さんを行かせなければ。

 お母さんが焼け死ぬことはなかった。

 

 ボクが。ボクが。ボクが。


 ボクが、殺したんだ――


「母親に、もう一度会いたいですか?」


 その男がノクティの前に現れたのは、母親の葬儀が終わって一週間後だった。

 家も無くなってしまったノクティは、一旦、両親が仲良くしていた夫婦の家へ引き取られることになった。夫婦も、父親が帰らぬ人となってすぐに母親も失ってしまったノクティを哀れに思ったのだ。

 ノクティは毎日、母親が埋葬された墓へ通った。学校にも行かなくなり、朝から夕暮れまで、母親の墓石の前で過ごした。墓石には父親の名前も刻まれているが、眠っているのは母親だけだ。

 お母さん、ごめんなさい。

 墓石に謝り続けた。毎日、毎日。何度も、何度も。

 夕暮れ時だった。この時間になるといっそう気分が沈む。街自慢の夕日がやたら眩しくて、自分を刺すように照らすのが辛かった。このまま世界が真っ暗になって終わってしまえばいいのにと思った。

 いっそ、ボクも死んだ方がいいのかもしれない。本来はボクが死ぬはずだったのだから。死後の世界というものが存在するのだとしたら、ボクも死ねばお父さんとお母さんにも会えて、みんな幸せになれるじゃないか。

 そうだ、ボクも死ねばいいんだ――

 夫婦の家から持ち出したナイフの先を、ノクティが首に当てた時だった。

「母親に、もう一度会いたいですか?」

 男はいつの間にかノクティの横に立っていた。フード付きの真っ黒なコートを目深にかぶった、長身の人物だった。顔はよく見えなかったが、首や腕に入れ墨のような模様が見えた。男は言った。

「ネクロマンサーになれば、お母様を生き返らせることができます」

 ネクロマンサーと言われても、当時のノクティに理解できるわけがない。彼が反応できないでいると、男は書物を差し出してきた。男がどうしてそんな書物を持っていたのかも分からない。それよりもノクティの頭を、一つの希望が占めてくる。

「お母さんを、生き返らせることができるの……?」

 男は頷いた後、「貴方の素質次第ですが」と言った。

 素質。その言葉もノクティにはピンとこなかった。でも、両親を続けて亡くし、家も失い、心も空っぽになってしまったノクティは、男の言葉にすがりたいと思ってしまった。近所の人間や同級生からの同情の言葉より、よっぽど救いの手となるものだった。

 元気な母親の姿が、頭に浮かんだ。

「お母さんを生き返らせたいっ」

 男は歯を見せた。差し出していた書物を一度、脇の下に挟む。それからノクティの持っていたナイフを手に取り、ノクティに右手の平を出すように言った。恐る恐る出すと、男は左手でノクティの手首を掴み、人差し指の先をナイフで切りつけた。

「痛っ!」

 ノクティが手を引っ込めようとするのを、男は離さなかった。凄い力だった。ノクティは、ほんの少し恐怖を覚えた。

 男はナイフを離し、書物を手にした。あるページを開く。紋章のようなものが描かれていた。ノクティの指から滴る血をそのページに垂らすと、男は何かを呟き始めた。何をしているのだろう、とノクティは思った。

 身体中の血が騒ぎ出すような感覚があった。特に右腕が熱い。痛いくらいに。血管が破裂してしまうんじゃないかと錯覚したほどだ。

 男が書物を閉じた音でノクティは我に返った。指先の出血は止まっていた。

「後は念じるだけですよ。生き返らせたい者に、手を当てて」

「生き返らせたい者に……?」

 ノクティは墓石を振り返った。

 どうすればいいのだろう、という疑問はなかった。半ば本能的に、母親が埋まっている地面に右手をついていた。

 最初は何も分からなかったが、何か手の平から感じるものがあった。何が、とは表現しにくい。でも不思議と、母親の動く姿が脳裏に浮かんだ。

 自然と手を地面から離していた。徐々に腕を上げる。腕の動きに合わせ、何かが地面の中から出てくる感触があった。

 本当にお母さんが生き返るの?


「お母さん……っ!?」


 地面から出てきたを見て、ノクティは絶句することになる。

 大人一人分の人骨が姿を現したのだから――


「おや、貴方に素質はなかったようですね。なりそこないの息子を持って、お母様も可哀相だ……」


「うわぁああああああああっ」

 ノクティはようやく悲鳴を上げて尻餅をついた。だが彼が後ずさると、骸骨もゆらゆら揺れて彼に近付いてくる。まるで笑いながら我が子に寄り添おうとするように。人骨は生きているようだった。

「何で、何で……っ!?」

 お母さんを生き返らせることができるって、言ったじゃないか。目の前のは何だ!?

 ノクティの心の声が聞こえたのか、丁度よく男が口にする。

「貴方の会いたかった、お母様ですよ」

「ち、違うっ! ボクの、お母さんは……こ、こんなんじゃないっ!」

 悲痛に叫ぶ度に骸骨が揺れ笑う。見ていられない。ノクティは視線を骸骨から逸らした。

「おやおや、そんな言い方もないんじゃないですか? せっかく貴方のために出てきてくれたというのに……」

 男はコートを翻し、ノクティに背を向けて歩き出した。

「ま、待ってよ……っ!」

「後は親子の時間をゆっくりお過ごしください」

「ボクっ、ど、どうしたらっ」

「命の糸を切るのも繋ぐのも、貴方の自由です……」

 カタカタと動く髑髏しゃれこうべにビクッとなる。次に見ると、フードの男はいなくなっていた。

「なっ……」

 何処へ行ったの。どうしていなくなったの。置いていかないでよ。この不気味なもの、どうすればいいんだよ。どうやったら消えるんだよ。近寄るな。近寄るなっ。

 ノクティは腕を振り回した。骸骨を払おうとして。それでも、妙に艶めかしい人骨はノクティに近付いてくる。


「近寄るなぁぁあああっ」


 無我夢中で身体を動かしていると、急に右腕が軽くなるような感覚があった。それに合わせ、カクンと骸骨が崩れる。糸の切れたマリオネットさながらに。

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