6ー2

 ルリアは汽車の旅の大半を、車窓を見ることで過ごした。常に変わり続ける景色を、全て脳内に刻もうと思った。外を見なかったのは、車内販売でノクティが適当に見繕ってきた食べ物を口にする時だけだった。

「……お母さんが絵本を読んでくれたの」

 変わらず車窓を見ながら、ルリアはぽつりと口を開いた。

 車窓に飽きたノクティは、眠ろうとシートにもたれていた身体を起こす。

「絵本? どんな?」

「汽車の絵本。クマの男の子が、汽車に乗ってお出かけするの。最初に停まった駅でネコが乗ってきて、次の駅ではヒヨコが。次の駅ではトカゲ。そのまた次の駅では人間の女の子が乗ってきて……みんな、目的地は同じで、終点で降りるの」

「目的地は?」

「分からない。駅で降りて、終わり」

「終わり? 煮え切らないな」

 ノクティは苦笑して足を組む。

「でも、私はその本が好きだった。何処に行くんだろうねって、お母さんと話をするのが楽しかったの」

「ふーん。いい思い出だな」

「最後に読んでもらったの……いつだったかなぁ。お母さん、お願いしても読んでくれなくなっちゃったの」

「お母さん、かなり忙しかったのかね」

 ルリアは首を少し上に向けた。当時のことを思い出しているのだろう。

「……ん。たぶん。呼んでも振り向いてくれなくなったから」

「そっか……」

「……あの本、図書館にまだあるかなぁ」

「行って探せばいい。一冊だけじゃなく、いくらでも」

「……ん」

 汽車の走る音と汽笛の音。流れる蒸気と過ぎていく車窓。ゆるやかに時も線路も進んでいく。

 残念なことに、降車の時間は案外、早く訪れた。

 乗務員が次に停まる駅を知らせにやってきた。指定席に乗車していると、降車駅に停まる前に知らせてくれることになっている。ノクティは窓を閉めた。

「降りるの?」

「ああ。このまま乗ってたら終点は都市部なんだけどな。オレたちは次で降りる」

 彼らの乗っている汽車は、ランキッド大陸をほぼ横断するように走っている。

「もう降りるのかぁ……」

「置いていこうか?」

「ノクティ嫌い」

「冷たいなぁ」

 汽車のスピードがゆるむ。二人は立ち上がって通路へ歩んだ。


 サーチェリーの街の異様な光景は、汽車を降りてすぐに感じられた。

 ルリアはまず、人の多さに驚いた。今まさに汽車に乗ろうとする人たちで、ホームがごった返している。同じくらい降りる人もいる。

「え、こんなに人がいるの?」

「いやぁ、オレが前に寄った時はこんなじゃなかった気がするんだが。もしかして」

 よく見ると、汽車を待つ人々は皆、上機嫌そうだ。顔にペイントをしている人がいて、風船を持つ子どもも目立つ。

「いいタイミングで来たかもしれないな、オレたち」

「え?」

 ルリアが迷子にならないよう、ノクティは彼女の手を引く。

 駅舎を出ると、噴水広場になっていた。広場も人で混雑していた。人だけではない。食べ歩きできるような食べ物を販売する屋台が並んでいる。空にはカラフルな旗たちが糸で繋げて飾られていた。

 噴水の前にはステージが設置されている。今は、地元の踊りなのか赤い衣装に身を包んだ女性たちが、音楽に合わせて揃いのダンスを披露していた。

「何、これ……」

 ルリアは唖然として立ちすくんだ。彼女が驚くのも無理はないな、とノクティは思った。

「良かったな。丁度、お祭りをやってるみたいだ」

「お祭り? お祭りって、あの?」

「ああ。あの」

「こ、これからみんな、野菜を投げ合ったり、泥まみれになったり、爆発するの?」

「えっ」

「ノクティ、これから何が起こるの?」

「……知識があり過ぎるのも困りものだ」

 ノクティは頭をかいた。

 祭りがどんな内容にせよ、彼女は楽しんでくれるだろう。サーチェリーへ来た目的は鍵職人に会うためだが、せっかくなら祭りを楽しむのもいい。そう思い、ノクティは改めてルリアを見た。

「!? どうしたルリア!?」

「……っ」

 彼女は、泣いていた。

 立ったまま、そっと小さな雫をこぼして。

「ルリア!? どうしたんだよっ」

 何故、彼女は泣いているのか。焦ったノクティは、しゃがんでルリアの顔を覗き込んでみた。

「ノクティ……」

「な、何だ? 祭りに嫌な思い出でもあったか? 帰るか?」

 ルリアは首をふるふると横に振った。手で目をこする。


「…………ありがとう」


「っ」

 思えばノクティが、彼女の泣いている姿を見るのは初めてのことだった。


 母親が死に、親戚に引き取られ、その親戚からはぞんざいな扱いをされ続けていた。そんな彼女は、母親を生き返らせてほしいと言った時も、自分の過去を話す時も、家を飛び出した時も、泣かなかった。喜び、怒り、悲しみ、楽しみ、全ての感情を見せておきながら、涙だけは見せなかったのだ。

 それが溢れ出たのが、今、この時、この場所。

 悲嘆ではない。感謝。

 何て愛おしいのだろう――


 この少女を守りたいと、強く願った。

 ネクロマンサーは無意識に少女を抱きしめていた。片手は少女の頭に回して、静かに、そっと。

「……ノクティ?」

「いいだろ……子どもは、恋愛対象外だ」

「え? え? え?」

 ルリアの両手が中空をさまよった。泣いている子どもを抱きしめる黒服の若者の姿は、端から見たら滑稽だった。彼らを見てくすくすと笑う人も、指さす子どももいた。

 周囲の反応にノクティも気付いていたが、腕に込める力をゆるめなかった。ルリアに、

「ノクティ、痛い」

と言われるまで。ルリアを離し、彼女の全身を眺める。痛いと言われてしまったので身を案じた。彼女はもう泣いていなかった。

「ノクティ、急にどうしたの?」

「や、ちゃんとお礼言ってもらったの初めてだなと」

 ノクティは目線を上にやった。

「え? 私、お礼してなくはないよ?」

「暗くて覚えてねぇよ」

「暗かったことまで覚えてる」

「オレは暗いところが苦手なんだよっ」

「そういうことにしとく」

「……」

「でも……本当に、ありがとう」

「おうっ」

 ルリアの言葉で、ノクティは立ち上がった。彼女に手を差し伸べる。

「せっかくだから楽しもうぜ。野菜投げたり泥まみれになったりしよう。だけど爆発は勘弁な」

 ルリアは迷うことなく彼の手を取った。

 人混みをかき分けるように、二人は走り出す。

 

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