5ー1
こんなベッドで寝るのは、いつぶりのことだろう。布団って、柔らかいのだな。
そう思ったすぐ後、ルリアは眠りに落ちていた。ネクロマンサーと出会い、話し、一緒に村を抜け出し、荒野を二時間歩いた。常に興奮していて気付かなかったが、身体には疲れが溜まっていた。
朝、ルリアが目覚めて身体を起こすと、ノクティはすでに起きて身支度を終えていた。真っ黒なコート姿で、窓を向いて体操している。
「……おはよ」
「ああ、おはようっ」
ノクティは振り返って挨拶をすると、また体操を続けた。
「……」
おはよう。そのたった四文字の言葉が、ルリアの心に染みた。それから彼の後ろにある窓を見て、彼女は朝日の眩しさをいつぶりかに感じた。
「やっぱり寝る時は布団だよな」
「あ、……ん」
それもまさに今、抱いていた感想だった。
「……ソシィは?」
「あいつは基本、伝書鳩の仕事で空の上」
白の壁と床に、ベッドが二つ、正方形のテーブルが一つの、簡素な一室。そこにいる、自分と、自分以外の人。テーブルの上には畳まれた自身のコート。ルリアは思った。
(普通の生活っぽい……)
ノクティは深呼吸を二回すると、ベッドに腰かけた。
「あーやっぱ、あの宿のおっちゃん、優しくねぇ」
「……何かあったの?」
「食材がないからって、朝飯は用意してくれないとさ。手続きの時は用意するって言ってたのに」
ルリアは昨夜、宿の手続きをしてくれた人間の顔を思い出した。鼻の下に少量の髭を生やした、かっぷくのいい男だった。夜遅くにやってきた、ピアスとアクセサリーをつけたガラの悪そうな男と、色素の薄い少女という珍客。宿の男は明らかに迷惑そうだった。
「……ノクティが怖かったからじゃない?」
「はっ? オレのどこが怖いんだよ、言ってみろよルリア」
「うえーん、お兄ちゃんが虐めるよぉ」
ルリアは顔を覆い、わざとらしい泣き真似を披露する。
「お嬢ちゃん、君は、そんな奴だったんだな……」
ノクティは感じていた。名前で呼ぶようになってから、彼女は心を開いてくれるようになったらしい。が、思っていた以上にひねくれている子どもだった。それが家庭環境のせいなのか、元からそういう子なのか。
ルリアはベッドから起き上がり、部屋を出ていった。洗面所は共有で廊下にある造りになっている。
「怖かったら始めから泊めんなよー」
というのはノクティの独り言である。
ルリアはすぐ戻ってきた。前髪が少し濡れている。顔を洗ってきたらしい。ノクティと目が合ってすぐ、彼女は言った。
「……朝に顔なんて洗ったの久しぶり」
「昨日は風呂に入るのも久しぶりだって言ってたな」
「……ん。湯舟はお母さんと入ったのが最後」
「年単位かよ」
「忙しいからって一緒に入らなくなったの、いつだろう」
「本当に君の生活が哀れに思えてくるね……」
自分もそこそこ血なまぐさい生活を送ってきたと、ノクティは思っていた。ルリア=フリークの人生もまた気の毒だ。
「……ルリアもこれから楽しい生活にしていけばいいんだよな」
「もう楽しいよ」
ノクティが自分にも言い聞かせるつもりで言った台詞だったが、当の彼女にも聞こえていたらしい。
「楽しいか?」
「ん。たくさん喋って、お泊まりした。楽しい」
「子どもの日記みたいだな」
「子どもだもん」
フッと笑いながら、ノクティは右足をベッドの上に載せた。膝に肘を置き、頬杖する。
「さて、ルリア。相談だ」
「何?」とルリアはノクティの隣のベッド――自分の寝ていたベッド――に腰かけた。
「今後、オレたちはどうするべきか。まずは情報収集だと思う」
「ん。と思う」
「図書館の場所はもちろん、ルリアの鍵のこと、ルリアのお母さんの仕事のこと、それから……ルリアのお母さんが何故、殺されなければならなかったのか、ということ」
「……ん」
ルリアは返事をしながら、あの日のことは思い出したくない、と頭で念じた。
「ルリアの見聞きした記憶以外に、今のところ情報がない」
「私、見たものは絶対に忘れないけど、聞いたことは自信ないな……」
「そうなんだろうなと思ったよ。ルリアが話してくれたことはお母さんの死の記憶以外、全て話してくれている。記憶に蓋をして、思い出さないようにしている部分以外。その解釈でいいね?」
「……ん」
「そうすると、オレはルリアとほとんど同等の情報を得ているわけだ。だけどやっぱり、オレも図書館には心当たりがない。オレとルリアだけでは手詰まりだ」
「どうするの?」
「手がかりと言えば……これくらいだろ」
ノクティは立ち上がり、テーブルに近付いた。ルリアのコートを手に取り、南京錠と鍵を彼女に見せるようにする。
「ルリアの見た記憶以外に確実な情報は、この鍵しかない。この鍵から当たろう」
「何か分かるの?」
「オレには分からない」
「え、それじゃあ何も変わらない……」
ノクティは、やれやれと首を振った。
「ルリア、君は今まで、本当に誰にも頼らず一人きりで生きてきたんだなぁ。引きこもりで、知識だけは豊富だったのも原因かもなぁ」
「……」
件の彼女は口を膨らませている。
「分からない時は人に聞く。調べる。当然だろ」
ノクティはコートをルリアに放り投げた。
宿を出た後も、ノクティは宿の男に腹を立てていた。歩きながら文句を言う。
「あのおっちゃん、ちゃっかり宿泊料金を割り増しにしやがったな……」
「迷惑料」
「迷惑料!? 誰がいつ何に迷惑かけたって言うんだよ」
「……いろいろ?」
ノクティは道の真ん中で身体をジタバタさせた。傍で野菜の積み荷をしていた街の人々が、不審なものを見る目を彼に注いでいる。
「昨日のうちにソシィに会えてなかったら、支払いができなかったところだぜ? せっかくだから奮発していい部屋に泊まろうと思ったらこれだよっ」
「奮発していい部屋……? あれが……?」
「だよなぁ!? ぼったくりだ、ぼったくり」
だがすぐ後にルリアは思うのだった。あの部屋には二つベッドがあった。普段の彼なら、ベッドが一つの部屋に泊まることができれば十分のはず。ベッドが二つあることが、彼なりの奮発だったのかもしれない。浴槽だって贅沢の一つだっただろう。
「だけど、こっちの求めている情報を教えてくれたから許すとするっ」
腕組みしたノクティが目指しているのは、街の中心地。ひときわ目立っている、風車だ。
彼の背中を見ながら、ルリアは数分前の会話を思い出していた。
「フウシャモリ? 何だそら」
「風車守、だと思うよ。灯台守とか、聞いたことない?」
「ハハッ、兄ちゃんより妹ちゃんの方が賢いみたいだな」
「うるせぇな、オレだって灯台守くらい知ってるよ。風車守を聞いたことなかっただけだろ? ……それに、こいつは妹じゃない」
「素直に認めときなって、兄ちゃん。で、宿泊料は五〇〇〇ギムだ」
「高っ!」
宿の男は大きな腹を揺らしながら笑っていた。男はきっと、ノクティを怖がっていたのではなく、からかっていたのだろう。
「この街で一番、物知りなやつは誰だ」
ノクティの質問に、宿の男は『風車守』だと答えた。この街のシンボルであるあの風車に滞在しながら、維持と管理をする人物。ノクティたちは早速、風車へ向かうことにした。
途中、商店で麦パンを買った。小ぶりで割高だったが、二人とも率直に美味しいと感じるものだった。
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