3ー2

 ノクティは考えた。自分と同じと言っては彼女に失礼かもしれないが、自分と同じ、恵まれない子ども時代を生きた、いや、生きている彼女に、何かできることはないのか。彼女の暮らした倉庫を見渡しながら、今までのルリアの話を頭で反芻した。

「……お嬢ちゃんの希望としては、第一に、お母さんを生き返らせたい」

「……ん。そう言ってる」

「お母さんの働いていた図書館の場所や、死の真相も、実は知りたい」

「……ん。そう、かも」

「そのためには、自由の身になりたい」

「……」

 何も言わないことが、肯定のサインと思えた。

「今、お嬢ちゃんと血の繋がった身内はこの家にいないと、それで合ってるね?」

「……ん」

「なら、お嬢ちゃんのやるべきことは一つだ」

 ノクティは首をずいとルリアに近付け、続けた。

「この家、出ていけば?」

「なっ」

 突拍子もない言葉にルリアは、何を言っているの、という言葉すらも出なかった。のん気な顔の男に対し、辛うじてこう呟く。

「無理……」

「何で?」

「何でって……分かるでしょ? 私はまだ子ども。お金もない、力もない私が、どうやって生きていけば……」

「大人も子どもも関係ない。お嬢ちゃんには、知識があるじゃないか」

「知識があったって……」

 ノクティは親指で自身の胸板を指した。

「それから……オレがいる」

「!」


「手伝ってやるよ」


 ノクティは自身の仕事を、代行業者、と称している。仕事内容については、やりにくい仕事を代行します、と話している。依頼を受けて代行するのだ。

 ノクティは代行という言い方にこだわった。あくまでも、面倒な仕事を代行します、ではなく、やりにくい仕事を代行します、なのだった。

 公に仕事を受けてはいないため、裏社会に関する仕事内容が大半を占める。例えば、暗殺――まがいのみ引き受ける――、窃盗、破壊などだ。裏社会の依頼のみを扱うわけではないが、ノクティにとっては裏社会で動く方が都合よかった。彼の知り得たい情報が、表社会では手に入りにくいからだ。依頼された仕事をこなしながら、情報収集を行っているというわけだ。むしろ金銭のためより、情報収集の方が本来の目的と言えた。

「代行……」

「そっ。今なら丁度、扱ってる仕事がないからさ。お嬢ちゃんが一人で家を出にくいって言うなら、オレが代わりに、お嬢ちゃんを出ていけるようにする」

「……っ!」

 ルリアの瞳に一瞬、輝きが宿った。が、すぐに顔を伏せて首を振る。

「でも私、お金ない……あっ」

 彼女は閃いて、迅速に立ち上がった。

「私の身体で払うっ!」

「ぶっ!」

 ノクティは思わず吹き出した。そして声を出さずに笑い転げるが、少女はいたって大真面目だ。顔を赤らめながら身売りを続ける。

「わ、私が引き取られる時にも、その、お金が発生したから……」

「いや、そーかもしれないけどっ」

「あ、足りない!? 子どもだから!? 男の人は、お金を払って女の人と、その、そういうことをするんじゃないの?」

「待て待て待て待てっ」

 興奮した少女の勢いを止めるよう、ノクティは前に手を出した。

「箱入り娘が何処でそんなことを知るんだよ? いらねーよ。オレは君の知識が欲しい、それだけだ」

「そ、それって身体で払うことと同じじゃ……」

 やれやれと思い、ノクティは身体を屈めて少女の両肩を掴んだ。真っ正面から彼女を見つめる。

「同じじゃない。オレの知りたいことを教えてもらうだけ。例え数年でも、お母さんが大事に育ててくれた自分の身体、そんな簡単に身売りすんな」

「……」

 ルリアはこの時、胸がスーッと軽くなっていくような感覚を味わっていた。


 例え数年でも、お母さんが大事に育ててくれた自分の身体。

 そういう風に考えたことは、母親が死んでから一度もなかった。この家に引き取られてから、自分はいつ、どうなってもいいと思っていた。何度叩かれようと、蹴られようと、自分はそういう運命なのだと言い聞かせてきた。

 でも、自分から死ぬ勇気は無かった。家を出て行く勇気も無かった。行動を起こすのが怖かった。

 それは、少なからず母親からの愛情が自分に残っていたからか――


「それに……オレは断然、年上の女が好きだ! 子どもは恋愛対象外!」

「へっ……!」

 歯を見せるノクティの言葉に、ルリアの頬は更に紅潮していく。身体中から汗が噴き出してきそうだった。肩に置かれたノクティの手を払う。

「何だよ、急に人をバイ菌みたいに」

「……別に」

 ルリアはわざとらしくそっぽを向いた。

 と同時だった。倉庫の外から金切り声が聞こえたのは。


「ルリアぁぁぁぁぁっ」


 倉庫の二人の身体が同時に強ばった。目を見合わせる。

 あの女の声だ。

 蒼白な顔のルリアの目が、何故、と訴えている。今日はもう来ないだろうという話ではなかったか。

「誰よ! 勝手に連れ込んでいるのはっ!」

 声が近づいてきた。鍵も閉まっていない。油断していた。

 筵に隠れる時間も無さそうだと悟ったノクティは、意を決した。

「さっきの話……オレを雇うか?」


 勢いよく扉が開く。予想通り、ルリアの伯母が憤怒の形相で立っていた。

 伯母の目が見知らぬ男、ノクティ=レイズスを捕らえた。

「やっぱり勝手に人を連れ込んでいたのねっ!? 誰なの、あんたっ!」

 身体を丸くするルリアを、かばう形で立ちふさがるノクティ。伯母には異端者そのものだっただろう。

「どーも、お邪魔してまーす」

 挑発する魂胆もあり、ノクティはあえて堂々と挨拶。右手を上げて。

 男の態度に当然、伯母は目を剥いた。

「誰って聞いているのに、何て態度なの!?」

「でももう帰りますんで」

「ルリアとどんな関係なの!?」

「……お嬢さん、オレが預かりますんで」

 ノクティは平常で伯母に対応していく。

「はぁっ!?」

「な、ルリア?」

 問いながら、ルリアは首だけでルリアを振り返る。


「……助けて」


 それは蚊の鳴くような声だった。が、代行業者の耳には、ハッキリと届いた依頼内容だった。

 ネクロマンサーの男は、急にしゃがんだかと思うと、両手を地面についた。地に接したまま左右に動かして探る。

「協力してくれよ……」

 自分だけに聞こえるくらいの声で言い、両手の平に神経を集中。荒野でギガノトサウルスを感じ取った時ほどの集中力はいらない。眠っているの正体の察しがついていたし、埋まっている場所も浅い。

 背後にいるルリアを、腕越しにチラリと見てから、ノクティは伯母を見上げた。


「自分のしたこと、身を持って知れ」


「な、何言って……」

 戸惑う伯母の前で、ノクティは両手を同時に持ち上げた。すると地面の中から、一つ、また一つと、次々に何かが現れ始めた。十、いや、二十体。

「ひぃぃぃぃっ」

 それらがネズミの骨格をした骨の大群だとルリアが分かったのと同時に、伯母は悲鳴を上げていた。

 ノクティが指先を動かすと、骨ネズミたちは、後ずさろうとする伯母の足下に群がった。そして彼女の身体に上っていく。

「ぎゃあっ、何なのこれぇ!?」

 伯母は必死に手足をバタつかせるが、数が多すぎて払いきれない。足を取られ、その場に尻餅をつく。

「ぎゃああぁぁぁぁっ」

 あっという間に骨ネズミの大群に身体を覆われてしまった。醜い声だけが倉庫内に響き渡る。


 身体を縮ませながらもルリアは、一連をしっかり見ていた。

「……」

 彼が地面から蘇らせたのは、恐らく自分が供養してきたネズミたちだろう。伯母が憂さ晴らしに倉庫で殺したり、部屋で始末したものを倉庫に捨てたりしたのを、事あるごとに埋めてきた。ネズミの死体が埋まっていることを分かっていて、いつも地面に寝ころんでいた。自分は生きているだけマシだったのだ。何年も。何年も。

 これは、ネクロマンサーが企てた復讐。ルリアは確信した。彼はあえてネズミたち彼らを蘇らせた――

「行くぞっ」

「っ!」

 ルリアが声にハッとなった時には、彼に腕を掴まれ、身体を起こされていた。扉の方へ引っ張られる。

 薄暗い建物、置かれた麦俵、転がったマグカップ、もう読んでしまった古本。全てがここでの生活で必要不可欠だったもので、そして、もう必要ないものだ。未練もない。

 骨ネズミたちに囲まれモガいているあの女の横を通過した時、彼女と一瞬だけ視線があった気がした。

 

(今まで生かしてくれてありがとう……)


 心の中とは言え、ルリアは初めて、この村に感謝の言葉を述べたのだった。

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