3ー1
外の物音に、特にルリアが身体を硬直させた。口元に両手を当てて、恐る恐るといった様子で扉の方を見つめる。ノクティも人の気配には気付いていたが、ルリアの怯え方が気になった。
「……お嬢ちゃん?」
「っ」
ルリアはハッとすると、ノクティを見て、小声で奥に行くよう指示した。急いで麦俵から下りると、転がっていた
「わっ! 何だ……」
「しっ!」
鋭い剣幕で唇の前に人差し指を立てるルリア。黙れ、そういうことだ。有無を言わさない表情に、ノクティは口を結んだ後に両手を使って口を押さえた。
耳を澄ます。扉の奥に人がいる。鍵穴に鍵が入った音がした。鍵が外され、扉がゆっくり内側に開く。ルリアは身体を静止させ、扉を向いた。
「……ルリア?」
三十歳後半と思しき夫人が上半身を覗かせた。ボサボサの髪を一つに束ねている。目の下にはクマがあり、化粧の気はなかった。
「……」
「あなた……勝手に食物を漁ったわね?」
「……」
ルリアは動かなかった。言葉さえも発しない。
女は部屋に完全に入り切ると、ルリアを睨みつけてもう一度言った。
「漁ったわね?」
「……」
「何とか言いなさいよっ!」
――っ!
「っ!」
女に頬を叩かれ、衝撃でルリアはその場に倒れた。倒れたルリアの顔が、莚の下に身を隠したノクティの位置からは見えた。頬を腫らせても、少女は表情を崩さない。
「居候の身で勝手に飯を食べようなんて、厚かましいんだよっ!」
女は怒声を上げると、ルリアの腹にひと蹴り入れた。悲鳴は出ずとも、ルリアの口からはくぐもった呻き声が漏れた。
また二言三言、罵る文句をぶつけた後、女は扉を勢いよく閉めて出て行った。
ルリアは倒れたままの姿勢だった。ノクティは莚から顔を出したい思いだったが、女が戻ってきたら困ると思い、もうしばらくこのままでいることにした。直感的に、あの女に見つかってはまずい、と考えたのだ。
「……もう、出てきても大丈夫。……あの人、私のことが嫌いで一日に二度も顔は見ないから、今日はもう来ないと思う」
ルリアは、のそりと身体を起こした。頬はまだ赤くなっている。ノクティは莚をズラして立ち上がりながら彼女を見た。
「お嬢ちゃん、大丈夫なのか?」
「大丈夫。慣れてる」
「慣れてるって……。今の、君のお母さんじゃないのか? あれじゃどう見ても虐待……」
「あんなの、お母さんじゃないっ!」
「っ!」
ルリアは、外に聞こえないよう声量をかなり落として、それでも目一杯に叫んだ。彼女の気迫にノクティも圧倒される。
「……ごめん」
そうだった。彼女は自分に、お母さんを生き返らせてと、そうお願いしてきたではないか。
悟る他なかった。生き返らせてほしいということは、今はいないということだ。冷静に捉えればすぐに分かることだった。
少女は荒げていた息を整えてから言った。
「……あの人は、お父さんのお兄さんの、お嫁さん」
「お嬢ちゃんのお父さん、は?」
「いない。私が赤ちゃんの時に死んだ」
「そっか……」
その後も彼女は淡々と語る。
赤ん坊の頃に亡くなったせいで、父親の顔は記憶にない。それから母親が、女手一つで彼女を育ててきた。
母親は教養として、彼女をある場所に置いた。それが、母親が隠れて管理してきた、国の図書館だった。貴重な文献を多数収めるため、一般公開はされていない。そんな図書館が存在すること自体、知られていない。母親は指定された学芸員であり、図書館の管理人だった。
彼女はまず、文字を読むために、言語に関する本を読んだ。初めは記号の羅列でしかなかったが、母親のアシストもあり、すぐに文字を覚えた。次いで、辞書を読むようになった。何万もの単語を、だんだんと母親の力を借りずに理解できるようになった。
この頃から、彼女は自分の持つある力を開花させたようだった。
瞬間記憶能力。
いつの間にか、文字を読んで頭の中に叩き込むのではなく、ページ全体が頭の中で映像化されるようになったのだ。
瞬間記憶能力を使えるようになってからは、読書スピードが格別に速くなった。最初のうちは一ページに数分を要したものだが、今では一秒も同じページを見ないでインプットしていく。彼女のその力に、母親も賞賛したものだった。
母親のことが大好きだった彼女は、図書館で母親と過ごす時間がたまらなく幸せだった。母親が喜んでくれるなら、と多くの本を読むようになった。
だがそんな幸福な時間も、終わりを告げてしまう。
その瞬間のことが頭にフラッシュバックして、ルリアは一瞬、目眩がした。それでも、彼に伝えるべきことは伝えなければならない。
「……お母さんが、死んだの。いや、殺された」
「殺された……!?」
ルリアは悲しい顔一つせず話し続ける。
「その時は辛うじて生き延びたらしくて、お母さんは病院に運ばれた。でも治療を受けている間、私は図書館で本を読み続けた。そうすることを、お母さんが望んでいるような気がして」
「……うん」
殺された。
その言葉の説明を、彼女は避けているように感じられた。淡々と話すことで。何か意図があるのかもしれない。そうくみ取ったノクティには、静かに彼女の話を聞き続けるしかなかった。
「お母さんは死ぬ直前、私にこれをくれたの」
彼女はコートの合わせボタンについた南京錠と鍵に再び触れた。
「この鍵、図書館のものなの」
「もしかして、図書館の管理を託された?」
「……ん。南京錠と鍵は二種類あって、この鍵でお母さんの南京錠が、お母さんが持ってた鍵でこの南京錠が開くようになってる。鍵の方はお母さんが死んだ時に何処かへ行っちゃった」
「え、じゃあ今、その図書館にはお母さんの南京錠がかかっているってことかい?」
「……たぶん」
「たぶんって……」
ルリアは中空を見るように首をやや曲げて言った。
「図書館が何処にあるのか、分からないの」
「どうして」
「家が図書館の隣にあったからだと思うんだけど、私はほとんど外に出たことがなかった。ずっと家と図書館にこもっていたの。秘密の図書館だったからか、所在地とか所蔵品とか、図書館そのものに関して記されたものも一つもなくて……」
「なるほど」
「お母さんが病院で死んだことを、私は家にいる時に知らされた。何故かお母さんには会わせてもらえなくて……お母さんの同僚だっていう人の指示で、私は葬儀に連れていかれた……そこにいたのがあの女。その足でここへ引き取られることになった。お母さんの遺体の前で、あの女は文句を垂れ流しながらも、私を引き取ることに決めた。お母さんの職場からお金を貰ってね」
「……何か、裏がありそうな臭いがぷんぷんするな」
「……ん」
「君の伯母さん、お金を貰っていたなら、もっと裕福な暮らしができたんじゃないのか?」
ノクティは家の外観、そしてさっき倉庫に現れた女の容姿を思い出していた。
「あっという間に使い終わっちゃった。酒と男に消えたって。呆れてお父さんのお兄さんも、家から出ていっちゃった……」
少女は乾いた笑みを作った。
「酷いな……」
「本当なら私なんて今すぐにでも始末したいんだろうけど、あの女、働く気がないから、私がいなくなったら畑からの収入が無くなるんだ。だから始末しない」
「だとしても自分のことを始末とか言うなよ……」
「代わりにこの辺に出たネズミとかに当たってる。片付けは私の担当だから、もう生き物の死体とか慣れちゃったよね……」
「……」
彼女の話には兆しの一つも無かった。聞けば聞くほど、いたたまれない。
死んだ。本当は殺された。死体に会わせてもらえなかった。話が本当なら、理不尽だ。せめて最期の顔くらい拝ませてあげるべきだった。
「それで、お母さんを生き返らせて、か」
「……ん。お願い」
「……残念だけど、それはできない」
「どうして!?」
「さっきも言った通り、オレはなりそこないでさ。お嬢ちゃんのお母さんを生き返らせることはできない。例え、なりそこないじゃなかったとしても、その願いだけは叶えられない」
ノクティはハッキリと言ってやったが、彼女は食い下がる。
「ならっ! どうやったらネクロマンサーになれるのか教えて!」
「ダメだっ!」
「教えてっ」
「絶対に、ダメだっ」
「……」
「……」
少女は不満そうに口を膨らませる。だが、彼女がネクロマンサーの道を行くことだけは避けたかった。
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