2ー3
ルリアの用意してくれた飯を全てたいらげると、ノクティは指についた麦粒を舐め取った。
「……さて、腹もいっぱいになったことだし」
咳払いをすると、彼は声を潜めて話し始めた。
「ようやく、と言いますか。そろそろ本題といきますかね」
「……」
ルリアの身体に力が入った。口の中に唾も溜まってきて、ごくりと一回、唾を飲み込んだ。
何から話し合うべきかと悩んだノクティは、こう切り出すことにした。
「どうやら君は、普通の人以上に色々なことを知っているらしい。だからもう、何も隠さない。オレも君に確認したいことが何点かあるしね」
「……ん」
「オレが気付いていなかっただけで、お嬢ちゃんはオレがしたこと、全部見ていたんだよな?」
「……ん」
「……そしてお嬢ちゃんは、オレが何であって、何をしたのか、察しがついている……と」
「……」
ノクティが話すのに相槌を入れていたルリアだったが、ここで躊躇いが生じた。
彼女には、素直に頷いていいのだろうかという迷いがあった。何故ならば、彼女の想像した答えが、現実では通常ありえないことであると共に、そうでしか説明がつかないものだったからだ。
ルリアは実際にその場面を目撃してしまっている。自分の見たものが夢でないとしたら、正答であると認めねばならない。
「ほら、言ってみろって。さっきも言いかけたじゃんか。改めて迷う必要、ないんじゃないの?」
「……」
窺うように上目遣いで男を見たルリアは、ようやく決心して言葉を発した。
「――ネクロマンサー」
ネクロマンサー。
ネクロマンシーと呼ばれる、死者や霊を介して行われる魔術を扱うとされる術師。
彼らが扱うのは死んだ肉体だ。呼び出した霊魂にその死体をあてがい、一時的に生命を与え、死者から必要な情報を得ようとした。また、占いとして未来や過去を知るために死者を呼び出すこともある。
死体からゾンビやスケルトンを作り出すことから、魔法使いだと表現されることもあった。しかし彼らの術は、魔術の中でも黒魔術の一種と分類された。
魔術は白魔術と黒魔術とに分けられる。簡単に述べると主に、白魔術は好ましい理由で使われるものであり、反対に黒魔術は人に害を与えるためのものである。情報を得る行為は正当化されても、そのために死者を扱うことは邪道であった。安らかに眠る死者を呼び起こすのだから当然とも言えた。
故に、彼らネクロマンサーの行為は倫理に反するものだったため、世間からは批判の目にあったという。
ルリア=フリークの知識の中で、ネクロマンサーとはそう記されていた。
だがそれも過去の話。現在の世の中では、ネクロマンサーという人物がいること、それ以前に、ネクロマンサーという言葉自体、大衆に知られていない。
大の大人でも知らない存在を、何故、九歳の少女が知っていたのか。
それが、ノクティ=レイズスがルリア=フリークという少女に興味を持った理由の一つである。
「……お嬢ちゃん、何処でその言葉を知った?」
今までのヘラヘラとした態度とは打って変わって、ノクティはシリアスじみた表情と声で聞いた。
「本」
少女は間髪を入れずに答えた。
「本?」
「魔術の本に、お兄さんみたいな人が出てきた」
ノクティは納得した。本で見たというのなら頷ける。現在でも黒魔術に関する書物、ないしネクロマンサーそのものについて書かれたものが残っているだろう。数は少ないだろうが。
でも――
「オレは……お嬢ちゃんが本で見たような奴らとは違う。……なりそこないなんだ」
「え……?」
うら悲しい言い方だった。
しばし流れる沈黙。外の道で男たちが談笑しているのが聞こえた。
「……そのことはとりあえず置いておいて、だ」
ノクティは明るい調子を戻して話し始めた。
「今度はお嬢ちゃんの番」
「え?」
「骨格と大きさを見ただけで恐竜の種類を言い当てたことといい、ネクロマンサーについて知っていたことといい、とてもただの子どもとは思えない。……お嬢ちゃん、何を隠してる?」
後半につれて語気を強くした言い方だった。
少女の外面は正常を貫いているが、内心では緊張していた。外にこの会話が聞こえていないだろうか、と別の心配もした。ルリアは唇を舐めた。
「何も隠してない」
「いや、嘘だ」
「隠すものなんてない」
「なら、どうして普通の人では分かり得ないことをたくさん知っている?」
「……本」
「また本か?」
あの骨をギガノトサウルスという恐竜のものであると、彼女が言い当てた時のことを思い出す。その時も本で見たと、そう言っていた。
ノクティは麦俵の上に置かれた本をチラと見た。少女に視線を戻すと、右手で頭を掻いた。
「オレは本なんてほとんど読まないから分からないな。いったい何冊、本を読んだらそんな風になるんだ?」
「数なんて覚えてない」
「かなりの読書家だこと。それでよく覚えているよな。子どもだから記憶がいいのか?」
「一度見たものは、絶対忘れない」
「それだよ、それっ」
ノクティはルリアに指を突きつけた。
「オレはそれに引っかかってたんだ。本だったら、“読んだ”だろ? どうして“見た”って言い方すんだよ」
「……」
ルリアは数秒考えた様子を見せると、麦俵の上に置いてあった本に手を伸ばした。裏表紙を上向きにして、本を膝の上に載せる。ノクティも前屈みになってそれを覗き込んだ。
本は横書きなので、左綴じの右開きだ。右手で本に手をかけると、表紙と一ページ目の間に親指を突っ込んだ。そしてパラパラ漫画を見るが如く、全ページを送っていく。一ページ一ページ、しっかり全開きにし、それでも早いスピードでページが送られる。厚く見えたその本も、あっという間に裏表紙に達する。
率直に、何をしているのだろう、とノクティは思った。タイトルに使われている言語で本文も書かれているようで、タイトルすら読めなかったノクティには、さっぱり何についての本だか分からなかった。あのスピードでめくられてしまっては、読める字でも分かるわけないが。所々に写真や絵が入っているのは分かった。写真があると分かっただけで、どんな写真だったか一枚も記憶に残っていない。
裏表紙まで行き着いたので、ルリアはパタンと本を閉じた。今も本に注目しているノクティを向く。
「時々、村に来た商人さんが古本をくれるんだけど……この本、まだ読んでないものだったの」
「そうだったのか。てっきり読みかけかと」
「でも、今ので全部読んだ」
「……はっ?」
ノクティは呆けて口を開けた。己が耳を疑う。今ので全部読んだ、とは。
「ちょっとお嬢さん。オレには意味が分からないのですが……」
「読んだの。まだ読んでいなかった本だけど、さっき読み終わったの」
「……もしかして、さっきの、ぱらぱらぁってやつでか?」
言いながら先ほどルリアが本を持ってやった動作を、ジェスチャーで再現してみせる。
「……ん」
「はぁ!?」
ノクティの反応が当然と思ったのか、少女は表情を崩した。彼女はやや誇らし気に背筋を伸ばすと、説明を始めた。
「瞬間記憶能力。……って、ある本にそう書かれてた」
「瞬間、記憶、能力ぅ? 何だそら」
単語単語で区切ることは彼にもできた。
「そのままの意味。瞬間的に多くの情報を記憶できる力」
「誰でも持ってるもんなの? オレは違うけどな」
「サヴァン症候群といって、知的障害とか発達障害のある人たちが、ある一つの分野だけ優れた能力を発揮する例はたくさんあるみたい。私は違うけど」
あえてノクティの言い方を真似る。
「まぁた難しい言葉が出てきたなぁ。本読んでるってだけで、子どもでも随分と賢くなっちまうんだなぁ」
「……ん」
「で、その力を使って、さっきのぱらぱらぁで、その本の内容を全部記憶できちゃったってわけだ」
「一ページ一ページが写真になって頭に残るの。文章を覚えてるっていうよりも、一度見たものを写真として脳に溜めていって、必要な情報がある時は、たくさんの写真の中から必要なものを選んで、その写真を見て書かれているものを読む……って、そんな感じ」
「へぇ……すげぇなぁ」
子どもながらの説明だが、話は分かった。ノクティは腕組みして大きく頷いた。
彼は自分が、普通の人とは違う特殊な力を持っていると十分に自負していた。例えそれが、かつてより人から忌みられる、道理を外した力だとしても。だから、目の前で全く種類の違う特殊な力を見せつけられ、感銘を受けたのだ。
ノクティ=レイズスのネクロマンシーを黒魔術とするならば、ルリア=フリークの瞬間記憶能力は、魔術とは呼ぶものではないにせよ、白の部類に入るのではなかろうか。
黒と白。対する色が、こうして巡り合った。
「それで納得したよ、お嬢ちゃんがいろんな分野に詳しい理由が。まんじゅうは知らなかったけど。便利な力だな」
「記憶したくないものまで記憶してしまうのは嫌だけど……」
「それでも……オレなんかより、ずっとずっと人の役に立ちそうだ」
「……」
ルリアは何とも言えず口をつぐんだ。彼のネクロマンシーの力が役に立たないと言われている気分だった。彼女はノクティの力を頼りにしていたから。
「しかしよぉ。ネクロマンサーとか恐竜の種類とか、その、何とか症候群とか、難しい内容の本、何処にあるんだ? 都市部に行かないと無理じゃないか? この村に、とてもそんな本が巡ってくるとは思えないんだが……」
「……ん。特別なとこ」
ルリアはコートについた南京錠と鍵に触れた。一部錆び付いており、だいぶ使い古されているように見える。
その時、倉庫の入り口の方で物音がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます