2ー2
少女はノクティを連れ、民家の連なる通りを歩いた。どの家も簡単な木の造りで、貧しさの中に差はないように見えた。やがて一軒の家の前で立ち止まる。
少女はノクティを、家の裏手に案内した。そこには表から見た家構えよりも、ずっと規模の小さな建物があった。離れと言われれば納得もする建物だ。
鍵がかかっているようだった。少女はコートのポケットから飾りも何もついていない鍵を取り出すと、鍵穴に入れて扉を開けた。
扉の前で、一つだけ約束事があった。少女はノクティに、ここでは静かにするよう言った。今はいない家主に気付かれるとまずいから、ということだった。近隣から苦情があることも避けねばならないらしかった。ベッドとあったかいご飯があるならそれくらいお安い御用だ、とノクティは言った。どっちもないかも、と少女は呟いた。
敷居をまたぎ、部屋の奥へ進んでいく少女。入り口は小さく、ノクティは少し屈まないと入れなかった。
薄暗い室内だった。麦俵とワラが置かれているそこは、どう見ても倉庫だった。
「まさかとは思うけど……ここがお嬢ちゃんの家?」
「……ん。そう」
「マジ?」
おどけた表情を作ってみせる一方で、ノクティは何とも言えない気分になっていた。とても女の子が暮らす家には見えない。何か理由があるとしか思えなかった。彼はそれ以上、家について追究することを止めた。
少女は奥の麦俵の上に座った。何処に座っても構わないと言うので、ノクティはその場に腰を下ろした。土の上にワラが散らばっていて、お世辞にも綺麗とは言えない。彼の黒いコートも汚れてしまうだろう。
室内には家具と呼べるものが皆無だった。ベッド以前に、布団すらもなかった。倉庫なのだから当たり前と言えば当たり前だが。
ここに来るまで、二人はほとんど言葉を交わさなかった。密閉空間に来たことで、この時ようやく落ち着いたと言えた。ノクティが先に口を開く。
「お嬢ちゃん……じゃないな。そろそろ名前を聞こう。お嬢ちゃん、名前は?」
「そっちは?」
「おいおい。オレの方が聞いてんだけど……」
ノクティはガクッと肩を落とした。人に名前を聞くならまず自分からと、そういうことらしい。
「お嬢ちゃん、本当に子ども? 見た目がそう見えるだけ?」
「九歳」
「それは教えてくれんのね。んー……見た目相応か。でもこの村じゃあ、ろくな教育も受けてないだろう? 学校は?」
「……行ってない」
持っている雰囲気は大人びている。ノクティを見る瞳は、数々の景色を見つめてきたような、円熟的なものも感じられた。
ランプの周りに小さな虫が寄ってきた。
「……しょうがない、オレから名乗ろう。オレはノクティ=レイズス。歳は十八。わけあって代行業者をしながら旅をしている。この村に来たのは仕事の関係で。えっと、好きな食べ物はまんじゅう。中にあんこがたっぷり入ってんのがいい。あ、ちなみにこしあんな。つぶあんは、あれはダメだ。口の中に皮が残るのが嫌だ。歯に挟まる。うがいしただけじゃ取れないもんな。それから……」
「……」
少女の表情がやや険しいものに変わる。少しでも場を和ませようと思っての自己紹介だったが。少女の機嫌を損ねてしまったと思ったノクティは捲くし立てた。
「おっと、オレってば、何か悪いこと言っちまったか? 喋り過ぎたか? そんなことは聞いてないってか?」
彼も自覚はあるらしい。
「違う」
「え? 違う?」
「……マンジュウって、何?」
「……へっ!? あ、あぁっ!」
察したノクティは、右こぶしを左手に打った。
「まんじゅう、知らないのか!」
「……ん。何それ」
「あぁ、そっか、こっちの地方には、まんじゅうないのか。それは残念だなぁ。うまいんだぞ、まんじゅうは」
「へぇ」
相槌の仕方から、少女の興味はもうまんじゅうから逸れたようだった。やり取りのしにくい子だ、とノクティは思った。九歳の女の子とは難しい年頃なのだろうか。
「ハトレア地方にまんじゅうがないなら、ないで仕方ない。いつかお嬢ちゃんにも食べる機会があったらいいな。さて、オレの自己紹介は終わり」
「……」
ノクティは両手を広げて聞いた。
「まずは、お嬢ちゃんの名前を教えてくれないかい?」
「……」
「……」
「……ん。ルリア=フリーク」
少女ルリアは、ほんの少しだけ胸を反らして名乗った。
「ふむ、ルリアちゃんか。いい名前じゃないの」
「……」
ルリアはぷいと顔を背けた。そんな彼女の態度を見て、ノクティは苦笑した。
「それでさ、ルリアお嬢ちゃん」
「?」
首を傾げる少女に、ノクティは腹をさすった。
「そろそろご飯をくれるとありがたいんだけど……」
「……忘れてた」
のそりと立ち上がるとルリアは出て行った。一度振り返り、うるさくしないでね、と念押して。
部屋に一人残されるノクティ。首だけを動かし、今一度、室内を見渡した。
無造作に積まれた麦俵と、地面に散らばったワラ、そして天井から下がったランプ。改めてじっくり見たことで、それ以外の物の存在に気付く。
隅の地面に直に転がっていたのは、柄のついた白いマグカップ。柄は無く、何度も使われたのか汚れが目立っていた。それから、平らになった麦俵の上には一冊の本が置かれていた。三センチメートルほどの厚さで、暗い色一色のカバーのものだ。表紙には小さく横字でタイトルが入っている。ノクティには読めない言語だった。
どう見ても倉庫だった室内にも、生活の片鱗が見られる。ルリア=フリークがここで暮らしているとは、どうやら本当なのかもしれない。
「……」
家主に黙って自分を招き入れている点からも、家庭内に何か問題がありそうだ、とノクティは思った。
少しすると、ルリアが皿を持って戻ってきた。先ほどはしなかった扉の鍵を、内側からかける。皿には大きな握り握り飯が二つ載せられていた。
「……ん」
ルリアが皿を突き出してきたので、ノクティは片方を手に取って、大口を開けた。ルリアは皿を地べたに置いた。その行為には何の躊躇した様子も見られなかった。普段から地べたに皿を置いているのだろう。
パクつくと、口の中で握り飯が崩れた。上手く握られていない証拠だ。味付けもされていない。それでも腹を空かせたノクティには十分だった。
「うん、うまいっ!」
「っ!」
ノクティの感想に、俵の上に座ろうとしていたルリアが顔を上げた。
「……本当?」
「おぅっ! 今更だけど、いただきます、なっ」
「……」
ルリアは頬を薄い桃色に染めると、ノクティに向けていた視線を地面に向けた。小さい両拳は、ギュッと握られている。
うまい、と彼が言ったのは本音だった。あっという間に握り飯を一つ食べ終えると、皿の上のもう一つに手を伸ばした。ついついテンションも上がり、声量も大きくなる。
「いやぁ、助かったぜー。寝場所だけじゃなく、飯まで貰えるなんてなぁ」
――そして、ようやく現在に至る。
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