1ー2

 

 ノクティは地面に右手をついた。

 目を瞑り、精神統一。

 右手の平から垂直、下方。

 何メートルも地下。

 そこに埋まるの姿を、手の平から感じ取る――


「うおっ! こりゃぁ、でっけぇぞ!」

 瞼を開けると共に声を上げるノクティ。子どものようなはしゃぎ顔まで見せている。

 彼の異様な行動を、眉間に皺を寄せて数秒間、見てしまう巨斧の男。次の瞬間、大男は目を見開くことになる。


「地上に這い出てこい――っ!」


 ノクティは右手の平を、開いたまま頭の高さまで上げた。ゆっくりと滑らかに。

 しかしそれだけではなかった。

 彼の右腕の動きに合わせ、地面から何かが出てきた。

 ――骨だ。

 何かの動物の頭蓋骨が、手の平についた見えない糸で引っ張られるようにして出てきた。頭の骨だけではない、続いて頚椎が。

 地表面に変化は一切ない。骨だけが、土の中から飛び出してきたように現れる。

 そこまで出たところで、ノクティは苦笑した。

「はっ、こんな馬鹿でかいもんが埋まっていたとはね。荒地も捨てたもんじゃないっ」

 右手を更に引き上げる。身長が足らず、ノクティは爪先立ちになりかけた。彼の動きに合わせて、動物の骨がどんどん露になる。もはやノクティは、手の平を天に向けていた。

「な、何だそりゃ……」

 何が起きるのだろうと凝視していた大男の身体は、震え始めていた。足だと思われる部分まで骨が出きった時、二本足で立つその骨の生き物は、十メートル以上も体長があったのだ。当然、大男の身長など優に超えている。普段、人を見下ろす側の大男にとっては屈辱に値する位置関係でもあった。

 骨の姿が全部現れてしまうと、ノクティは腕を下ろしていた。ノクティが地面に手をついてから、ほんの僅かの時間。荒野でしかなかったその空間は、一変してしまった。

「いやぁ、やっぱりでけぇよなぁ、恐竜ってのは」

 ノクティは感嘆の声を漏らしながら、骨全体を舐めるように眺めた。骨格だけ見れば、オオトカゲのように思える。

 黒コート男の前に、骨しかない巨大生物が立っている。博物館などならおかしくない画だが、ここは村はずれの荒野だ。

「きょ、キョウリュウぅ?」

「あれ、知らないの、あんた?」

「んなこと言ってんじゃねぇ! どうして恐竜の骨がいきなり現れたのかって聞いてんだよぉっ!」

 大男は、ノクティを懲らしめるという本来の目的を忘れ、唾を飛び散らかして喚く。

 恐竜。彼ら人間が生きるこの時代から六千万年以上も前に絶滅した、爬虫類生物。全長数十センチメートルほどの小型のものから、三十メートルに及ぶ巨大なものまで、実に四百種類以上が存在したとされる。

「カッコいいよなぁ?」

「だからっ」

「うるさいなぁ。オレが地面の下から呼び起こした、ただそれだけのことだろ」

「はぁ? 意味の分からないことをっ」

 太陽はもう間も無く全てが隠れてしまう。町明かりも乏しいここでは、急に闇夜が襲ってくるようだった。ノクティはチラと空を見ると、大男に向き直った。

「非常にオレ様事で申し訳ないんだけど、暗くなると困っちゃってね。さっさと終わりにしていいかな」

「なっ!」

 そう言われて、大男はハッと我に返った。手品のようなことをしているのを黙って見ている場合ではない。

「それが恐竜だ何だと言われようと、知ったこっちゃねぇっ! 俺はお前さえぶっ飛ばせればそれでっ――」

 台詞が言い終わらないうちに、大男は後方へ吹っ飛ばされていた。吹っ飛ばしたのはノクティ自身ではない。彼は先ほどと、てんで変わらない位置にいる。

 動いたのは、彼の手と、それから骨の恐竜だけ。ノクティが右手を突き出したのに合わせ、骨の恐竜が大男に向かって突進したのである。


 傍観者である少女には分かった。

 それはまるで操り人形師。

 夕闇で繰り広げられる曲芸。

 実際に骨だけしか見えない本物の恐竜がそこにいる状態。または、骨の格好をした恐竜が動いている状態。そう説明すれば納得できる。

 骨だけの恐竜を、あの黒コートの男は意のままに操っている――ように見えた。


「ぐっ……」

 大男は倒れた状態から上半身を起こした。打ち付けた身体が痛む。顔にも土埃がかかっていた。手に持っていたトレードマークの大斧も何処かへ飛ばされてしまったようで、今は無い。

 巨体であるが故に、ここまで吹っ飛ばされた経験も彼には無かった。先刻から未知の体験ばかりで、頭がついていかない。

「な、何がどうなってんだ……」

 大男はくぐもった声を発しながら、薄目で若男の姿を見た。仇の姿と骨の怪物は、変わらずそこにいる。悪夢などでは決してない。

 ノクティは遠くで大男が起き上がったのが見え、せせら笑った。

「へーぇ! 結構激しく飛んだ気がしたけど、見た目通り頑丈な身体なんだなー」

「あんだとっ!?」

「あ、聞こえた!?」

「てめぇ! 何しやがった!」

 遠くで暴れながらほざいている大男はよそに、ノクティは小さく溜め息をついた。

「できれば今ので逃げ帰ってほしかったんだが……」

 瞼を閉じた。

 そして再び目が開かれた時、彼の瞳はもう、天真爛漫なものから冷徹なものに変わってしまっていた。

 ノクティからだいぶ距離があるというのに、大男はただならぬ気配を感じて鳥肌が立っていた。無意識に身体が震え出す。骨の恐竜が出現した時以上に。

「……っ……」

 大男は足も腕も動かなくなってしまっていた。

 そこへノクティは徐々に近付いていく。もちろん、自らが地下より目覚めさせた骨の恐竜も一緒だ。骨は巨大な足音を発しながら歩く。犬の散歩さながらだ。

(動けっ……動けっ……あいつを、俺の仲間たちを虚仮こけにしたあいつを、ぶっ飛ばすんだ……っ!)

 ついに大男は、声まで出なくなった。心の内では威勢よく言うも、身体は正直なのだろう。

 不気味なあいつらが怖い。

 恐竜はいよいよ、大男の鼻先まで接近した。幅のある頚椎をくねらせ、大男に顔を近付ける。実体のある猛獣なら、鼻息が吹きかかりそうな距離だ。

「あっ……わっ……」

 歯をガタガタと鳴らす大男。眼球が全て飛び出しそうなくらい白目が剥き出しだ。

 ノクティ=レイズスは右腕を振り上げ、そして一気に下ろした。

 操り人形師の動きに合わせ、恐竜は片足をその場で一度上げ――


「わあああああああああああああああああ」


――踏み下ろした。


 少女はハッと息を呑んだ。しかし目を覆いはしなかった。そうしなかったことが自分でも不思議だった。

 恐怖心よりも好奇心が沸いている。

 黒いコートの男が行ったことに、興味がある。

 大男がどうなったかなど、気にも留めなかった。

  

「っ……」

 大男の額から大粒の汗が滴る。彼は無事だった。高鳴った心臓の音はうるさいままだ。恐竜に突かれて飛ばされた時の打撲以外に怪我もない。しいて言えば、未だ動かない両足の間には失禁の跡がある。

 大男からほんの数センチ横のところに、恐竜の足は下ろされていた。踏み外したのではない。大男をギリギリ踏み潰さない位置に足を下ろすよう、ノクティが操作したのだ。

 ノクティは大男の前に膝を抱えてしゃがんだ。尻は地面から浮かせる形だ。

「……殺しはしないよ。オレはもう、誰も殺さないんだ」

 彼はニコリと微笑んだ。だが大男にはお面のような作り笑いにも見えた。

 立ち上がると、ノクティは大男に背を向けた。地面に手をついた辺りまで歩き、右腕を地面と水平になるよう真横に伸ばした。

「ありがとう……」

 慈愛に満ちた声だった。

 ノクティがつぶやくと、骨の恐竜は操り人形の糸が切れたように崩れ落ちた。カシャカシャ、と実に軽い音がして山になる。

 全てが骨山になって動かなくなった。するとどうだろう、骨は軽い破裂音と共に粉になって消えた。

「……」

 粉も地面に降り落ちると、ノクティは地面の下に向かって合掌した。それから大男を振り返って言った。

「おっさん、これは威嚇だから」

「は……?」

「わざわざ地中の奴等の手を借りなくてもよかったんだけどさ。この後も追いかけ回されたんじゃたまんねぇし、あんたらが、ただでさえ少ないこの辺りの生き物に非道なことしてる噂は聞いていたもので」

「……」

「オレは人に依頼されておたくのとこに入ったんだ。業務の一貫。恨むなら依頼者を恨むんだね。……まぁ、守秘義務があるから、依頼者のことを聞かれても絶対に教えないけどなっ」

「……」

 もうそんなことはどうだっていい、と大男は思った。アジトに忍び込まれたことに対する怒りも忘れた。手下たちを倒されたこともいい。そうするよう頼んだ依頼者の正体よりも、今は目の前の男の正体だ。

「てめぇ……何なんだ……?」

 大男の質問は、弱々しい声であった上に距離もあったため、ノクティの耳には届かなかった。

 届かずとも構わなかった。正解が聞けずとも。若男が何者なのか、彼が何をしたのか。大男自身も、落ち着いてきたら薄々分かってきたのだ。

 長年盗賊などやっていると、嫌でも様々な裏社会の人間と関わることになる。その中で耳にしたことがある。

 死者を操る者の存在を。


(あいつは、生と死の境界線を越えちまったんだ……)


 ノクティが村の方に消えても、大男はしばらくその場を動けなかった。月光で反射した斧が遠くに見えてからようやく、自分が今、明るい所を移動するのは恥ずかしい姿だと気付いたのだった。


「ちょーっとやり過ぎた気もするけど、この地方の土も捨てたもんじゃないって分かったのは収穫かなー」

 独り言をこぼしながら、ノクティは村の中心部を目指した。

 すっかり夜になってしまった。

 彼は明かりを求めた。暗いところでは見えず、苦労する。今のような生活を始めて数年、未だに慣れない彼自身の欠点だった。

 ここまで来たら否が応でもこの村で寝泊りを考えねばならない。宿場でなくとも、何処か休めそうな場所があったらそこで仮眠し、日が昇り始めたら行動すればいい。誰にも迷惑をかけない場所ならいいだろう。

 ノクティが教会の跡と思しき建物を見付けたところで、腹の辺りに衝撃があった。誰かがぶつかったらしい。

「っ!」

 首を下に向けた時、ノクティは、

(色素の薄い奴だな)

と思った。それが彼の抱いた第一印象だった。

 ノクティにぶつかってきたのは、オフホワイトのセミショートヘアーに、パウダーブルーのパーカーコートを着た少女だった。

 彼女はノクティのコートを掴み、彼を見上げてこう言った。


「お母さんを生き返らせて……っ!」

  

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