1ー1

 荒野が半分を占める、ここ、ハトレア地方は、ランキッド大陸の北西部に位置していた。からりとした風が吹き、雨は滅多に降らない。少ない農耕地で、風に強い作物を栽培することで成り立っていた。

 ノクティ=レイズスは、ハトレア地方の小さな村に着いたばかりだった。

 年齢は二十歳前後。髪色はブラウンで、耳元にはピアスが見えている。両肩の空いた黒くて長いコートを羽織り、その下から見える、白いズボンと焦げ茶のロングブーツ。首や腰についているのは、シルバーアクセサリーと垂れ下がったチェーンだ。長身の彼が歩く度に、チェーンのこすれる音が鳴った。

 彼の一見、派手な風貌が、村民に近寄らせない雰囲気を作り出していた。もっとも、身なりがどうであれ、よそから来た男に構うような余裕のある村民もいなかった。

「うーん……」

 ノクティは村の入り口からすぐの所に立って、頭を掻いた。彼は今夜、ここで宿に泊まろうと思っていた。辺り一面砂埃の荒野を歩いて、やっとたどり着いた村だった。だがこの村にふかふかのベッドは望めないようだ。

 都市部に比べハトレア地方は貧困層が多い。その中でも特に、この村は多いと見えた。どの家も修繕が行き届いていない。村民の服はたいてい、汚れているか破れているかのどちらか、または両方だった。陰鬱な空気が漂う。人々は自分の生活に精一杯であり、他人に目を向ける暇がない様子だ。

「ベッドがあるだけマシそうだなぁ」

 宿の類があるかすら、現状では分からないが。

 彼は自身の仕事に合わせて行き先や泊まり先を決めていた。つい先ほどひと仕事を終え、近くに村があると知り、立ち寄った次第だ。直接この村に用があったわけではない。

「どうすっかなぁ……日が沈むまでに、どっか別の場所に移動するか?」

 宿の在り処を誰かに尋ねてもよかったが、この手の村民たちはたいてい自分のことを怖がるだろう。こう、半分旅人として長期間過ごしてきた彼の、経験からの推測だった。

 とりあえずノクティは村の中を散策することにした。村の入り口が貧窮化しているだけで、中心部まで行けば違うかも知れない。

 が、ノクティの期待も虚しく、村の景色は変わらなかった。

 役場も痛みが激しかった。人々の生気はほとんど感じられず、ただ自分の与えられた仕事をこなしているだけ。それが人によっては農作業であり、家事であり、子守りであり、なすべきことが違っているだけ。

 気付けば村はずれまで来てしまっていた。ここまではずれに来ると、人の姿はなかった。荒地が奥まで広がっている。村と言い張って小さな集落があるだけで、隣町や村までは距離がある。村が廃れているのは立地のせいもあるのかもしれない。

 近くに崩れかけた櫓があったので、その下にノクティは座った。

「……ふぅ」

 日は沈みかけ、連なる山脈に隠れ始めていた。空を見上げると、ぼんやり月が見えた。

 このままこの村に滞在するか、別の街に移動するか、決めなければならない。

 ノクティはこの村に訪れる前に終わらせた仕事内容を思い出していた。

 今回、依頼された仕事は簡単なものだった。盗賊のアジトに忍び込み、依頼されたものを盗み返す、それだけだ。アジトの警備が手薄な時間を見計らって侵入し、背後から盗賊らを昏倒させた。死者は誰一人として出していない。十年も前に体術を習った彼にとって、その手の仕事はお手の物だった。

 仕事の依頼は、相棒である鳥の『ソシィ』が運んできてくれる。私書箱と銀行を経由し、ノクティに届けるのだ。ノクティは鳥を介して、仕事の依頼と依頼料を受け取る。依頼料は前払いが基本だが、時には前金だけで引き受ける時もある。電話機のない地域や、そもそも電気の通っていない地に訪れた際にも商談のできる、ノクティ自身が考え出したやり方だ。だから、依頼者とノクティが実際に顔を合わせることはほとんどなかった。

 ただ欠点として、タイムラグが挙げられた。鳥の飛行速度には限度がある。私書箱とノクティの居場所とに距離があればあるほど、依頼の伝達が遅れるのだ。

 彼自身はそのマイナス点を不便に思ってはいなかった。急ぎの仕事は引き受けない、それを依頼者が分かってくれればいい。

 ノクティは空を見ながら、相棒の姿を思い浮かべた。薄い体色に斑模様の入った、種類も分からない鳥。もう依頼主に依頼の品を届け終わった頃だろう。相棒は今頃、何処の町の上を飛んでいるのだろうか。

 そうノクティが考え始めた時だった――

「……よう」

「?」

 夕暮れから一瞬にして夜になってしまったかのように、ノクティの視界が暗くなった。

 違う。彼の目の前に大男が立ったのだ。地面にあぐらかくノクティを見下ろすその人物は、身長が二メートル近くあった。生傷の残る筋肉質なその体格は、中身のいっぱい詰まったドラム缶も平気で持ち上げそうである。

 ノクティは表情を一切変えずに大男を見上げた。陰っているせいで相手の顔はよく見えない。

「暗いんだけど。……おたく、誰?」

 ノクティの問いに、大男は濁声で答える。

「……てめぇ、よくも好き勝手やってくれたな」

「好き勝手?」

「あいつらの言っていたことと一致する。てめぇがやったんだろ」

「んんー、何のこと?」

「とぼけるなっ!」

 大男の怒声に空気が震える。だがノクティは表情を変えない。

「分かってんだよっ、俺の留守中にてめぇが忍び込んだことくらいっ!」

「あぁ……」

 合点がいったノクティは、うんうんと首を縦に振った。この大男はどうも、依頼で忍び込んだ先の盗賊の頭らしい。彼が、アジトを荒らされたことを根に持ってやってきたのだということも、すぐに分かった。

 ノクティはニィッと口の端を上げた。

「何、あんた、わざわざオレのことを追いかけて来たの?」

「あ? 何だ、その態度は?」

「いやぁ、ご苦労なこったなぁって思ってね」

「っ!」

 若造の態度が気に食わなかったのか、大男は右腕を高く振り上げた。その手には巨大な斧が握られている。木を切ることよりも戦いに特化した斧、バトルアックス。それをそのまま振り下ろした。


 ――っ!


 激しい音と共に破片を飛び散らす櫓。衝撃の後、元々崩れかけていたものが更に倒れかかる。

 が、そこにノクティの姿はない。大男は斧の先を地面に食い込ませたまま、周囲に首を動かした。

「……ったく。暗くなってから動くのはあんま好きじゃないんだけどなぁ」

 ノクティは盗賊の頭から距離をとり、大男の後方に広がる荒れ地に立っていた。大男が斧を振り下ろす一瞬のうちに、ノクティはあぐらから立ち上がっただけでなく、あの場まで移動していたのだ。

 ノクティの声よりも先に、彼の付けたチェーンの音に反応し、大男は振り返った。片手で斧を力任せに抜き取る。

「なめやがって……」

 大男の人相の悪い顔がノクティの目に入る。髪は短髪で、右目の上辺りにある傷は、まるで歴戦の勲章。張り出た大胸筋で、着ているタンクトップが破れそうだ。

「おたく、何でそんなにお怒りなの?」

 ノクティは頭の後ろで両手を組みながら聞いた。

「あぁ?」

「オレ、何か悪いことした?」

「馬鹿にしてんのかっ!」

「だって、オレは依頼されて、盗まれたものを盗み返しただけよ? 元々は向こうのものなわけじゃん。もう依頼者に返しちゃったし、オレ、全く悪くないよね?」

「ゴチャゴチャと言ってんじゃねぇっ!」

 大男はその場で地面に斧を振り下ろした。地表に小さな亀裂が走る。何という馬鹿力だろうか。

「あーあ、可哀想に。地面の下にだって、住んでいる奴はいるんだぞ?」

 意味有り気に言うと、ノクティはその場に片膝をついた。

「はぁ? 何を言ってんだ、てめぇ」


 ノクティ=レイズスはこの時、対峙している大男の他にもう一人、この場にいる人物の存在には気付かなかった。

 大男の背後、村の方向。遠くから二人を見つめるその人物は、十歳くらいの年頃の少女だった――

 

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