第13話 結衣が来てから

「やぁやぁ、おはよう」

「…………」


 その日、いつも通り教室で挨拶してきた高中を優志は堂々と無視した。


「……え、あれっ?」

「…………」

「おはよ……あれ?」


 高中は自分が見えてるのか不安になったのか優志の周りをチョロチョロ動く。


「……透明、人間……?」

「…………」

「あっ、今こっち見たよねぇ?」


 思わず「なにいってんだこいつ」という目を向けてしまったところで高中がぱぁっと表情を明るくする。


「酷いなぁ、無視するなんて……あれ? え? 普通に酷いんじゃない今の? クラスメートなのに。あれ、今結構酷いことされたよね?」

「うるさ」

「……あれ、嫌われてる?」


 高中は素で意外そうな顔で言う。

 嫌われるわけがないという顔だ。


「……結衣ならもう少しで来るからそっち行け」

「あぁ……あ、結衣と言えば二人の――」

「じゃあな」

「あれぇ……? 話しさせてくれないのぉ……?」


 立ち上がると、高中は悲しそうな顔をする。


 だが優志はもう高中とは話さないと決めていた。

 理由は、ただでさえすぐにバレる嘘を余計につきたくないからだ。


 二人で嘘をつけばどこかで矛盾が生まれる。

 二人が付き合ってると高中に嘘をつく係は結衣に任せることにしたのだ。


「あ、一つ聞きたいんだけどぉ」

「…………」

「結衣から、話って聞いてるよね?」


 高中は疑っているように聞く。


 前に高中と話をした時、結衣と付き合っていないかのような反応をしたことが気になっているんだろうと優志は思った。


 それも無視することはできる。

 ただ、小さな矛盾が、この先結衣の嘘の邪魔をする可能性がある……。


 そう思った優志は、振り返り、頬を引きつらせたまま、人差し指を口に当てた。


「……――ナイショに、してくれよな……」



 ◇◆◇◆◇



「私先に入っていい?」

「いいんじゃね」

「行ってきまーす」


 午後八時頃。

 浴槽にお湯が貯まったタイミングで、結衣が先に風呂場へ駆けていった。


 リビングでスマホを触っていた優志は一人になる。


「……何を急いでんだか」


 走らなくてもお湯は冷めないだろうに。


 そうして優志も風呂のことを考えると、学校で気を張っていたせいか、今日はいつもより疲れが多い気がした。


 いつ結衣がボロを出すのか、気が気じゃなかったからだろうか。


「……バレたらめんどいよなぁ」


 付き合っていて同棲しているというのも、教師に知れたら注意されそうなものの。


 結衣の家の問題で、勝手に未成年が未成年を居候させていると知れたら、さらに面倒くさい。


 それでも、結衣に注意は入っても、優志に大きな問題はないのかもしれないが。


「……付き合うフリでいいなら、まだいいか」


 それで結衣の居候を誤魔化せるなら優志にとっては悪いことではなかった。


 当然死ぬほど面倒だとは思っているものの。


 やる理由がそれを上回るなら、できないことじゃなかった。


「……あ。……あいつ」


 そこで疲れた首を回していると、結衣のバスタオルが目に入った。


 結衣はバスタオルの替えがないのか、毎日同じ白いバスタオルを洗濯しては干して、風呂に入る時に持っていっている。


 別に、家のバスタオルを使ったところで優志は文句は言わないのだが。


「……持ってくか」


 ただ、あいつの場合、無理して使わなさそうだな、と考えて、優志はバスタオルを持った。




「入ってるかー!」

「なになになになにッ!?」


 ドンドンドン! と洗面所の扉を強く叩くと、もう一つ奥の扉の先で結衣が声を上げた。


 着替えの途中じゃないことを確認して洗面所の扉を開ける。


「え!? 入ってきた!? 入ってくる!? え!? 一緒に入る!?」

「動揺しすぎだろ」


 浴槽の中にいるのか、反響した結衣の声と水の音が一緒に聞こえてくる。


「タオル、置きに来ただけだ」

「んぇ? あ……あ~、忘れてた」

「だろ」

「取りに行ったのに」

「裸でかよ」


 浴室の扉越しにツッコミながら、優志は足元にバスタオルを置く。

 任務を遂行したところで、さっさと出ていこうとする。


「ゆ、ゆーし!」

「どした」


 ただ、結衣の何故か気合の入った声で足を止める。


「い、一緒に入るか! 久しぶりに!」

「…………は」


 数秒間、周辺の時が止まった。


「……あれ!? いる!? いない!? 聞いてる!?」

「いや、いるけど」

「ならツッコんでよ! 『親戚のおじさんか』って!」

「俺そんなツッコむ人間じゃないんだけど」

「どっちかって言うとツッコミじゃん!」

「大体……」


 そんな緊張した声でボケられて、ツッコめるわけないだろ、という言葉は、喉にしまった。


「はぁ~……」

「そんなため息つくほどつまらなかった!?」

「……どうしたんだよ、なんか別の悩みでもあるのか」


 何か考えていないと、結衣はこんなことは言わない。

 そう考えて、渋々優志はその場に座った。


「え、えぇ? いや……普通に……一緒に、入ろうかなぁ~……って」

「入ってやろうか」

「あ! 十秒待って!」

「十秒待ったらいいのかよ」


 「入らないけど」と優志は小さく呟く。


「えー……いやほら……これなら、付き合ってる感、出るかなぁ……って」

「誰も見てないところで付き合ってる感出してどうする」

「うん……あと、ゆーし、疲れそうだったから……言っただけ」

「……別に疲れてないけど」


 自分の感覚では、疲れている感覚はあった。

 ただ、結衣に言われるとつい否定したくなってしまう。


「その……お背中お流しおいたしましょうか……みたいなさぁ!」

「あっそ」

「いや知ってるけど! ゆーしが本当に入ってこないのは知ってるけど!」


 「気持ち的に言ってみたの!」と結衣はバシャバシャ水の音を立てて暴れている。


「……疲れてるとして、一緒に入るかはおかしいんじゃねーの」

「素直にお疲れ様って言ったら唐突じゃん!」

「一緒に入るか聞く方が唐突だろ」


 結衣の基準はよく理解できない。


「……まあ、お疲れ様って意味だと受け取っとけばいいんだな」

「そ……そうですよ。その……付き合ってるフリとか……ありがとうって……私の素直な気持ちがね?」

「風呂の反響でよく聞こえん」

「あ! 難聴系主人公だ!」

「お前ラブコメ好きだよな」


 中学生の頃優志がたまに買っていた漫画の影響か、結衣はそういうネタが好きな節がある。


 今思えば、この偽の恋人という状況もラブコメらしいと言えばらしい。

 そういう漫画では大抵、主人公は苦労しながら偽の恋人を演じていたが。


「……って言っても、俺はそんな疲れてないのは本当だけど」

「え?」

「元々、よく勘違いされてただろ、付き合ってるとか」

「え? ああ、そだね」


 優志と結衣の場合、素で過ごしているだけで周りからはそう見られる。

 演じる必要がない分、ラブコメ漫画のような苦労はなかった。


「だから、別にいつも通りだって言ってる」

「あぁ~……?」


 よく伝わってなさそうな返事をする結衣。

 やはり風呂は会話に向かないな、と優志は立ち上がる。


「風呂で倒れるなよ」

「うん……あれ? 話終わり?」

「俺がここいたら出れないだろ」

「確かに」


 「やさしい」と扉の向こうで呟いた結衣を無視して優志は洗面所から出ていった。


 リビングに戻ると、さっきまで疲れていたはず体は、不思議と軽くなっている。


「実際、全然疲れてないしな……結衣が来てから」


 前までは、家に帰ればずっと無気力だった。

 それがいつからか変わっていて、最近は心も体も落ち込むことがない。


 きっと、家に自分よりも明るく、自分よりも心配な人間がいるおかげで。


 それを本人には言いたくはないな、と考えながら、優志は体を伸ばした。

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