第二章

第8話 何が変わったんだろう

「ゆーしー、私の鞄知らないー?」

「玄関に置いてあったから持ってきた」

「おー、さんきぅ」


 学校終わり。

 リビングに入ってきた結衣は、ソファから立ち上がろうとした優志にリモコンを渡す。


「これ取ろうとしたんでしょ?」

「ん」

「お礼言ったらあげる」

「Thank you」

「お、アメリカ人だ」


 リモコンを受け取り、テレビをつけると、教育番組のキャラクターが「おすわりできるかなー?」と赤ちゃんを挑発している。


「私はおすわりできるよ」

「張り合うな」


 ソファに座る結衣。

 隣に座る優志と結衣の間には、少しだけ隙間がある。


「ご飯、今日は私が作ろうか」

「何か作りたいなら」

「作ったことないからカルパッチョ作りたい。失敗するかもしれないけど!」

「失敗するなら俺が作る」

「なんで!? いいじゃんイタリアンはパスタだけじゃないって証明しようよ!」

「それはピザが証明してくれてる」


 呆れながらも「……まあいいけど」と、最終的には折れる。


 結衣が来てから一週間が経った。

 結衣の家のトラブルはあったものの、未だに生活では問題は起こっていない。


 食器洗いやゴミ捨て等の家事は特に当番もなく気づいた方がやり、料理は作りたい方が作りたい物を作っている。


 元々全部やっていた優志の仕事は綺麗に半分になった。

 元々やるつもりだったわけだから、どっちがやるやらないという不満も起こりようがない。


 きっとそれは、結衣も同じなのだろう。


 認めたくないものの、手本のような同棲生活だなと優志は思っていた。


「今日も平和だねぇ」

「……なんだその熟年夫婦みたいな会話」

「熟年夫婦って……恥ずかしいこと言うなぁゆーしは!」

「……なんだそのテンション」


 ただ、不満はないものの、不思議なことは少しだけあった。


 結衣の様子がおかしいのだ。


「いやただ平和だなってさぁ……思うじゃん!」

「会話に困った時に言うやつだろ、それ」

「私は会話に困ることないもーん」

「あっそ」


 元々、結衣はテンションの高い生き物だ。

 しかし、最近はさらに落ち着きがない。


 結衣がおかしい時、優志は大抵の感情が読める。

 長い期間一緒にいるから、自然とあの時と一緒だと気づいてしまう。


「ゆーしは冷たいなぁ……それじゃモテない……あっ」

「今更失礼なこと言ったみたいな反応すんな」

「ごめんごめん」


 ただ、今回の結衣の行動は過去のデータベースと一致しなかった。


 大きな問題を抱えているわけじゃないことはわかるのだが。


「……というか、何か良いことでもあったのか」

「え、なんで?」

「落ち着きがない」

「私って元々落ち着きあったっけ」

「ないけど」


 そう言われるといつも通りのようにも思えてくる。

 観察するように全身くまなく見てみてもおかしなところはない。


 それでも、不意に目があった瞬間立ち上がってどこかへ行こうとする結衣は、やはり落ち着きがない気がした。


「トイレ行ってくる!」

「いい加減宣言するのやめろ」

「いやいや、報告しないと優志が困るんだから」

「困るまで我慢しない」


 なんで男女でこんな話しないといけないんだ、と思いながらも、こういう会話はむしろいつも通りな気がしてくる。


「……生活は普通にできてんだけどな」


 他人の家に居続けると人はテンションがおかしくなるんだろうか。

 結衣を観察しながら、優志はそんなことを考えていた。



 ◇◆◇◆◇



「ふぃ~」


 トイレに行くと言った後、気が変わった結衣は洗面所で一息ついていた。


 リビングさえ使えれば困らない結衣に自分の部屋はない。

 着替える時は洗面所で着替えて、洗濯も自分でする。


「……落ち着きがない」


 一旦制服を脱ぐ手を止めて、呟く。


 最近、自分でもおかしいな、と思うことがあった。


 優志の近くにいると――何故か、ふざけたくなるのだ。


 ふざけるというか、空気を壊したくなる。


 優志がメッセージで母親と話してくれた日から、そういう節がある。


 理由はわからない。

 理由なんて考える前に自分の体がふざけてる。


 もしかすると、何かを誤魔化したいのかもしれない。

 結衣には空気が重い時こそ空気を変えたくなる癖があった。


「……重くなかったような?」


 ただ、ここ最近は別に何もなかった。

 優志の言うように、熟年夫婦のような落ち着いた生活をしていた。


 なんでだ? 何を誤魔化している? 何を――


「――あ、いたのか。悪い」

「……へ?」


 ガラッと洗面所の扉が開いた後、すぐにその扉はしまった。


 数秒遅れてから、何が起こったのか気づく。


「……――あー! ラッキースケベマンした!? 今ぁ!」

「あぁ? いや、まだ何も脱いでなかっただろ……」

「でも着替え覗いたんじゃない!? ねぇ! ラッキースケベマンだ!」

「いやだから着替える前だったろ……」

「ラッキースケベマン!」

「誰なんだよその楽天カードマンみたいな奴」


 「悪かった悪かった」と言って、扉の向こうの声は遠ざかっていく。


 鏡に映る自分を見ると、着替える前だった結衣は確かにまだ何も脱いでいない。


 なのに鏡には、目で見てわかるほどに顔全体を赤くする自分がいる。


「……こんなんだっけ」


 昔は同じ場所で着替えたりしてたのに。


 何が変わったんだろう。

 考えながら、結衣はずっと鏡の自分と一緒に首を傾げていた。





 ◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇



 作者です。

 ここまで読んでくださった方、☆、♡、フォローしてくださった方、ありがとうございます。


 とりあえず一章まで書いて……というつもりだったので、投稿頻度はどうなるかわかりませんが、まだ続くので、引き続き読んでいただけると嬉しいです。

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