【二幕】畔 蓮葉 VS 八百万 浪馬 其の九



 平然とする浪馬が、腑に落ちなかった。

 浪馬も文殊も元族のバイク乗りである。世間から忌み嫌われる暴走族だが、だからこそ仲間とバイクを大事にする。特に愛機は相棒にも等しい。バイクを理由に喧嘩や抗争が生じるのも珍しい話ではない。

 そんなバイク乗りが──ましてあの浪馬が、目の前でバイクをにされて、気にした素振りもない。

 文殊には、それが気に障った。

 金持ち故に執着がないのか、槍と同じで消耗品扱いか。感傷に囚われないのは武人として正しい姿だろうが、バイク乗りとしては酷薄に感じた。

 そんな疑念を払ったのは、ふとした浪馬の仕草だった。

 ライダースーツの被弾は、書き込まれた寄せ書きにも及んでいる。その幾つかは切り裂かれ、文字が読めない有様だ。

 チーム解散の折り、《天覧試合》の話を聞いた仲間が書いてくれたと話していた。

「オレが負けるワケねーだろ」と笑い飛ばしたとも。

 傷ついた寄せ書きメッセージの一つに、浪馬の指先が触れる。

 漏れたつぶやきは聞こえない。けれど表情を見ればわかる。

 無頼だが、それだけではない。

 それが浪馬という男なのだと──文殊は初めて知った。


 煙草を捨て、槍を拾った浪馬が、ステージを降りてくる。

 文殊の見立てでは、浪馬に勝ち目はない。

 前半はともかく、後の蓮葉は明らかに次元が違う。戦力、知略、殺意、全てに於いて一頭地を抜く、まさに人外の化生けしょうである。手傷を負った浪馬を見逃すほど甘いはずもない。

 局面は絶望的な浪馬劣勢。観衆の興味も、蓮葉がどう詰めるかに向いている。

 それでも浪馬なら、。そんな期待もどこかにある。

「待たせたな、おい。

 そンじゃ、ド派手に決着と行こうじャねーの」  

 文殊は固唾を呑んだ。

 起死回生を祈りながら、浪馬の名を叫んだ。


「八百万槍術──《千本桜》ァ!」

 先手を取った浪馬が選んだのは、不敗の連続突きだった。

 きらめく穂先が咲き誇り、絢爛たる槍衾を広げていく。

 前回と同じ、ではなかった。

 速い。槍の数が倍にも増えて見える。

 さりとて、浪馬の手数が倍になったわけではない。むしろ骨折の痛みから、技の切れは落ちている。

 違いを生んでいるのは、槍の質だ。

 浪馬がスペアとして用意した槍は、全て同じではない。場面に応じて使い分けられるよう、多様な種類を揃えている。その中でもっとも柔らかく、よくしなるのがこの槍だ。中国の槍と同じ白蝋が柄に使われている。唯一折れなかった理由もそれである。 

 突き出された尖端きっせんが高速で揺れ、空気を撹拌した。

 何気ない一突きでさえ、風車かざぐるまのように穂先が溶けている。この槍で《千本桜》を放てば、どうなるか。

 満開の桜は、荒れ狂う桜吹雪と化した。

 氾濫する《千本桜吹雪》が、侵略を開始する。

 対する蓮葉は、声もなく《化け烏》を組み替える。軸を抜き、穴を変え、別軸に嵌める。隙のない動きは滑らかで、思わず見惚れるほどだ。

 連結軸カシメは《後》。挟む力は最弱だが、刃はもっとも長い変化である。実に1メートル、本体の半分が刃となる。

 その柄を短く持ち、両手を腰にあてがう。刃を左右に開き、前方斜め上に嘴を向ける。

 機馬を相手取り、突きを受けた際の形状に似るが、違いは刃の開きと角度だ。

 前は盾にするため、刃の間隔は狭く、鋏は直立していた。

 今回は刃を広く開け、斜め上に突き出している。左右の刃の間に、蓮葉の上半身がすっぽり収まる形だ。

 その構えのまま、蓮葉が一歩、前に出た。

 モデルのように腰を使った、奇妙な運足である。小さく繰り出した右脚が左脚に重なる。浪馬からは足が一本に見えるはずだ。

 《化け烏》と《桜吹雪》が、そこで交わった。

 柄を短く持ち、斜め前に突き出した大鋏は、まだ浪馬に届かない。

 逆に浪馬の槍は間合いだ。二枚の刃の隙間に突き込めば、勝負は一方的に終わる。

 けれど、それがであることは、いかに浪馬でも見て取れる。

 澄んだかねの音色が、雨のように連なり響いた。

 斜めに掲げた《化け烏》の刃を、槍鋒がキツツキのように突いている。二枚の刃の外側は、すでに《桜吹雪》に呑まれていた。完全に槍の間合いの中だ。

 しかし、がら空きのはずの蓮葉の正面──大鋏の二枚の刃の間には、一本の突きも入って来ない。吹雪の猛攻に無視された無風地帯である。

 洋は思わずうなった。

 《千本桜》で繰り出される無数の残像から、本物の一本を見抜くのは難しい。

 槍衾の穂先から選ぶのもまず無理だ。突きは小刻みで速すぎる。しなる槍を使われてはなおさらだ。

 かくして《千本桜》の正面攻略は成らず、距離を取るか、蓮葉のように死角から回り込む他なかった。

 だが──大鋏ならではの攻略は、存在したのだ。

 太刀打である。

 槍の穂と柄の間に巻かれた、金属製の補強部分であることは前述の通り。これがあるため、刀で槍の穂を切り落とせない。

 《千本桜》の引きは、この太刀打よりも短い。まさにミシンのように、突きの成立する最小限の距離を往復している。

 それはつまり、太刀打そのものは引かれず、定距離に在り続けるということだ。

 無論、太刀打も残像に隠されている。

 正しい一本を見つけるのは困難だが、

 斜めに口を開いた大鋏──《化け烏》なら、それが可能なのだ。

 切断力の弱い《連結軸・後》では太刀打を断つことは出来ないが、挟めば槍は止められる。後は如何様いかようにも料理できる。

 突如、目の前に出現したに、浪馬は迷いを覚えた。

 試合前の浪馬なら、持ち前の無謀さで飛び込んだかもしれない。

 だが、今の浪馬は、よくも悪くも蓮葉の実力を知ってしまっている。

 待ち構える蓮葉の反応を超えることが、自分に出来るだろうか?

 一つ賢くなれば、一つ愚かになる。それが人という生き物だ。

 結論、浪馬は選んだ。迷う暇はなかった。

 どれが正しい選択だったかは、神ならぬ身にはわからない。

 けれどそれは、蓮葉の掌の上の選択だった。

 ドシュウ! 正面を避けた《千本桜》から放たれた本命の一突きは、《化け烏》の下、蓮葉の太腿を狙って繰り出された。

「……ああッ?」

 浪馬が素っ頓狂な声を上げたのも無理はない。

 会心の一撃が、美脚を包んだレギンズの表面を、軽やかに滑ったのだから。

「──防刃レギンズ」

 つぶやいたのは烏京である。

 山の民の彼は知っている。「戦後、女と靴下ストッキングは強くなった」という昭和のフレーズがあるが、畔のそれは強くなり過ぎた。ナノテクノロジーの粋を集めた《畔の靴下》は、極薄素材にあるまじき強度と潤滑性を備え、刃筋をずらすことで斬撃に耐える。本土のともがらには有名な品だが、部外者の反応はかくの通りだ。

 とはいえ、防刃レギンズは防弾ではない。弾丸と同質の攻撃である突きを防ぐには術者の体捌きが必須であり、そのための誘導もしている。

 あらかじめ脚を重ね、的を絞らせたのがそれである。いかに残像で幻惑しようとも、予定調和の攻撃など、蓮葉にとってお手玉に等しい。

 そして浪馬の驚愕は、まだ終わらなかった。

 流された槍が、戻らない。

 蓮葉の太腿に挟まれたのだ。内腿で槍を滑らせながら脚を開き、股を通したらしい。

 慌てて引っ張る浪馬だが、槍はびくともしない。滑らかなはずの防刃レギンズで、こうも強固に固定できるのは、いまだ一本足を保つ謎の立ち方と、ホットパンツの股ぐらに太刀打が触れているからだ。

 股間に槍をあてがったまま、蓮葉が進む。

 進む以上は槍が緩む道理だが、梃子でも動かない。

 隙がないのだ。気付かぬうちに左右の脚が入れ替わる。一本足を維持したまま、魔法のように間合いだけが縮んでいく。

 さっさと槍を手離し、逃げればよかった。

 その判断を鈍らせたのは、男なら誰でも知る心理である。

 自分の握る棒に股間を押し付けながら、絶世の美女が歩いて来るのだ。浪馬を責められる男性が何処にいようか。

 それもこれも、全ては蓮葉の掌の内だ。


 ──ザキュウ!

 劣情を断罪する《化け烏ギロチン》の刃が、浪馬ざいにんの首に滑り込んだ。


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