【二幕】畔 蓮葉 VS 八百万 浪馬 其の八



 天井にぶら下がった蓮葉が、残骸を見下ろしている。

 数秒前までバイクであり、地下通路の壁だった残骸である。

 前者はひしゃげた鉄屑と化し、後者はクレーター状の大穴と、瓦礫の小山を築いている。

 衝突の激しさを伝える床の震えが、ようやく静まったところだ。

 戦場に動くものはない──嘘のような静謐に満ちている。


 事故はステージ上にとどまらず、瓦礫と破片の散弾は観衆まで及んだ。

 洋が《鮫貝》で弾いてくれなければ、文殊も無事では済まなかっただろう。

 他の候補たちも如才なく対応している。たつきは避け、烏京は撃ち落とす。荒楠は意に介さず、雁那はその背に隠れる。この程度で動じていては、《神風》候補など務まらないということだ。

 抜きん出ているのは、当事者の蓮葉である。

 ステージに乗り上げる瞬間、バイクを蹴って宙に逃れた。抜け目なく浪馬の両手をハンドルから手放させた後にだ。

 上下に別れた浪馬とバイクが壁に向かうさ中、蓮葉は真上に手を伸ばし、。それも、わずかに一回転。高速のバイクから飛び降りたことを考えれば信じがたい効率で慣性を殺し、そのまま天井に張り付く。そこが安全地帯だと確信するかのように。

 事実、蓮葉は無傷でやり過ごした。衝撃が収まった後に顔をもたげ、蝙蝠こうもりのようにぶら下がって、今に至る。

 ならば──もう一人の当事者である、浪馬はどうか。

 瓦礫の山に半ば埋もれたまま、ぴくりともしない。

 スーツの寄せ書きは粉塵に汚れ、霞んでしまっている。見た目に外傷はないが、スクラップと化したバイクを見て、無事で済んだと考える人間はいないだろう。

 ──それが、八百万 浪馬でなければの話だが。

 突如、壁際の一角から火の手が上がった。

 バイクだ。タンクから漏れ出たガソリンに引火したのだ。

 ものの数秒とかからず、スプリンクラーが作動した。

 激しいスコールが床を叩き、炎を潰していく。人工の豪雨はステージ付近に限られ、観衆への影響こそないが、伏した浪馬をしとどに濡らしていく。

 それでも、浪馬は起き上がろうとしない。

「──死んだか?」

 烏京の冷ややかな口ぶりに、洋はかぶりを振った。

「いや。忍野は《必至》を宣言してない。

 オレも同感だ。壁の穴が、上下でまるで違うからな」

 洋が指摘したのは、激突時に開いた二つの穴の違いだ。

 一つ目は上。浪馬の激突時に開いた、クレーター状の広く浅い穴。

 二つ目は下。バイクの衝突時に開いた、抉ったように深い陥没。  

「《鯰法》の受け身は、ギリギリで成功してる。

 バイクの破片やら瓦礫は喰らったようだが。怪我は知れてる。

 ……気は失ってるかもだがな」

 でなけりゃ困る、とも思う。

 今の洋に出来るのは、蓮葉の自制と浪馬の《鯰法》を信じることくらいだ。

「《鯰法》てのは、

 攻めれば障害物を貫通し、受ければダメージは逃がしちまう。

 だから《不死身》だ。そういうことだろ、文殊?」

 いきなり話を振られ、文殊は身じろぎした。 

 沈黙は肯定と取られるだけだ。観念し、頷く。

 やはり洋の戦術眼は侮れない。何度これで煮え湯を飲まされたことか。妹絡みで取り乱していたが、すっかり「小賢しいデブ」に戻っている。

「──同時に受けた破片は、逃がせなかった。

 流せる数、角度、状況──何処かに穴がある」

 烏京も同格。流石、洋と死闘を演じただけはある。

「《鯰法》と反撃を同時に行ったことも一度もない。

 攻め崩すとすれば、そこだろうな」

 この二人には劣るが、雁那も《鯰法》を見抜いている。

 そして、今しも浪馬を降伏させた蓮葉は、言うまでもない。

 これが、《神風》候補のレベルか。

 文殊は内心で舌を巻いた。

 浪馬にはこの手の思考が足りない。度胸と才能は満点だが、それだけだ。

 今日見せた技が、次に相まみえる候補たちに通じるだろうか? 

 とてもそうは思えない。万全の対策を講じて来るはずだ。

 リーグ戦だからこそ、情報と攻略が勝負の鍵となる。

 果たして浪馬は、この闇の頂上戦を生き残れるのだろうか?


 先に動いたのは、蓮葉だった。

 宙返りして床に降り立つと、降雨に背を向け、歩きだす。

 勝負を終えた、のではない。むしろ逆だ。

 足音が止まり、少女が身を屈める。大鋏を拾い上げ、きびすを返す。

 引き摺られる《化け烏》が、その名に相応しい化鳥けちょうの声を上げる。

 ヒステリックな悲鳴を伴って、向かう先は浪馬の眠るステージ。 

 10メートル手前で、蓮葉は足を止めた。

 嗜虐の表情。《殺気》が怒張し、鋭くとがる。

 浪馬の片目を射抜いた《魔弾》が、二度にたび放たれた。

「……《頽馬たいば》」 

 それは、「馬殺し」とされる魔性の風の異名。

 命中寸前で砕け散り、雨にまぎれて霧散する。

「……死んだフリもデキねーのかヨ。

 便利じゃねーか、ソレ」

 辟易した口調でつぶやいたのは、伏したままの浪馬である。

 《殺気》に《鯰法》は通じない。気迫をもって弾くのが最善の防御だが、は続けられない。蓮葉は、浪馬を試したのだ。

 これは余談になるが、浪馬が本当に死んでいれば《頽馬》で傷つくことはない。《魔弾》の本質は、畏怖による自傷だからである。

 スプリンクラーの雨の中、ゆっくりと浪馬が立ち上がった。

 長髪は後ろで束ねた紐が切れ、落ち武者のように乱れている。

 革製のスーツは防水だが、無数の破れ目から水が浸入している。

 破れ目はほとんどが体の前面だった。浪馬は頭から壁に突っ込み、バイクはその真下で大破した。壁との衝突こそ《鯰法》で凌いだものの、至近距離で瓦礫と破片の散弾を浴びたのだ。傷こそ浅いが、打撲は馬鹿にならない。特に右脇腹の被弾は、燃えるような熱を帯びている。

 濡れた髪を掻き上げた浪馬は、肋骨に走る激痛に歯を剥いて笑った。生まれて初めての骨折だった。

 バイクが鎮火し、スプリンクラーが止まる。

「蓮葉ちゃんよォ。

 オメーもしかして、メチャクチャえーのか?」

 真面目な顔で問う浪馬に、観衆がざわめいた。

 これが試合当事者の認識とは。バケモノ呼ばわりもしたはずだが、浪馬的には同格か、同格くらいに思っていたらしい。

 蓮葉の返答はない。馬の耳より無反応である。

 しかし攻めに出る気配もない。何を思ってか、浪馬の出方を待っている。 

「待ってくれンのかヨ。いいオンナじゃねーか」

 それを察して、煙草を取り出す浪馬だが、

「……クッソ、湿気てやがる」 

 腹立ちまぎれに箱ごと投げ捨てた。ついでのように槍を拾う。こちらは事故に耐えて生き残った、最後の一本である。

 ビュン! 一閃させ水気を切ると、浪馬はステージを降りた。

 地下通路の静寂に濡れた足音が響き、蓮葉の正面で対峙する。

「待たせたな、おい。

 そンじゃ、ド派手に決着と行こうじャねーの」 

 右足前の右構えで、浪馬が槍を構える。

 構えが逆なのは、痛めた右脇腹を庇ってのものだ。

 蓮葉も、無言で《化け烏》を構える。

 連結軸カシメは中央。両手で柄を握り、左右に嘴を開く。

 彼我の距離、5メートル。刃と刃は1メートル。固唾を呑む観衆。

 

 最終局面である。


 

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