【二幕】畔 蓮葉 VS 八百万 浪馬 其の十
「ハサミで……だと?」
洋が驚いた理由は言うまでもない。挟撃は《鯰法》に通じないからだ。
洋自身は、浪馬を倒す決め手は締め技だと見ていた。バイク上でなく、武器を奪った後なら、裸締めを解けないはず。密着からの《
だが蓮葉は迷いなく《化け烏》を振るい、浪馬の首に叩き込んだ。
普通なら首のない死体が転がるところだが、相手は浪馬だ。割り込むまでもない。
「すぐ終わらせる」と蓮葉は言った。
蓮葉は嘘をつかない。詰将棋のような最短手順を選ぶはずだ。
ならば、この一撃も計算の内なのか。蓮葉の狙いがわからない。
一方、浪馬の脳裏に浮かんだのは、飾り文字の「ラッキー!」だ。
助平心でやらかした
その《鯰法》が、まさかの空振りとは。
左右から首に触れた刃が、そこで止まったのだ。
「寸止め……だとォォ!?」
浪馬は叫んだ。ラッキーの文字が脳内で破砕する。
蓮葉が、卒然と飛び出した。
《化け烏》を手放しながら踏み込み、股間に膝蹴りを飛ばす。
浪馬の反応も早い。槍を握る両手を下げ、咄嗟にこれをガード。
衝撃はない──またしても寸止めだ。
蓮葉の白い手が、浪馬に触れたのだ。
二度と思い出したくない、忌まわしき記憶の部位に。
両肘から力が抜け、腕の自由を奪われる。
ガラン! 手放した《化け烏》の柄の先が、床を叩いた。
間髪入れず蓮葉の足が閃く。大鋏の柄を足指で捉え、床に固定する。
浪馬と蓮葉の間に挟まれた《化け烏》は、上は浪馬の首を挟み、下は二本の柄で起立した状態となる。
「──《小袖の手》」
浪馬の両肘を握ったまま、蓮葉が後ろに身を反らす。
倒れ行く彼女を救うように、浪馬が手を伸ばす──彼女の意思で。
その首を《化け烏》に預けたまま、浪馬の体が前のめりに泳いだ。
斜めだった鋏が直立し、浪馬の爪先が宙に浮いた。
「恐ろしいな、ここまで計算づくとは」
感嘆したのは雁那である。
自立した《化け烏》が浪馬の首を挟み、宙吊りにする。
蓮葉の狙いは《絞首刑》──締め技の上を行く仕掛けだったのだ。
鋏の刃は鋭くはなく、首が切れることはない。
だが自重で喉は締まり、頸動脈は遮断される。ドアノブで首を吊るのと原理的には違いはない。
恐るべきは、全ての脱出手段をあらかじめ潰してあることだ。
浪馬とて黙って処刑される
もがき、鋏を蹴り、あらん限りの力で暴れ続ける。
けれど、脱出にはまるで繋がらない。
身を揺らせば、《小袖の手》に支配された両腕に自ら抑え込まれ。
鋏の柄を踏めば蓮葉に揺り落とされ、蹴れば膝で相殺され。
そばには足がかりになる壁も柱もない──おびき出された後だ。
そして、暴れれば暴れるほど、刃は首筋に喰い込んでいく。
首にかかる力には《鯰法》が使える。それで息継ぎにはなるが、首を抜くことは出来ない。緩む《化け烏》を、蓮葉が巧妙に調整するからだ。
いずれ体力が尽きれば、《鯰法》もおぼつかず、オチるか窒息する。
まさに八方塞がり。誰が見ても完全に詰みだ。
「──《必至》あり! 勝負あり!」
忍野が決着を宣言したのは、至極まっとうな判断である。
だがしかし。それを不服とする者が
「ガボッ……《異議》……アリだ……ッ!
……クソ……ガボッ……忍野……がヨ……ッ!」
首を鮮血に染め、口に泡を浮かべ抗議したのは。
──あろうことか、瀕死の浪馬自身だった。
「──ッ!
死ぬ気か、このドアホッッ!!」
文殊が血相を変えたのは、試合ルールを熟知するが故だ。
・《必至》を取られた側は、立会人に異議を申請できる。
・異議を唱えた者を殺しても、相手は失格にならない。
すなわち、試合はこのまま再開され、浪馬が死んでも蓮葉の勝利となる。
浪馬に対策などない。命がけで意地を張っているだけだ。
そして戦略的に見て、洋たちに浪馬を生かす理由は何もない。
兄が望めば、人外の妹は顔色一つ変えず、浪馬を殺してのけるだろう。
命じる必要さえない。止めなければ、それで事足りる。
洋に何か言おうとして、文殊は言葉に詰まった。
傍観者の助命嘆願など、戦士に対する侮辱ではないか。
浪馬は命を賭している。その覚悟は尊重すべきだ。
だが、ここで
文殊は歯噛みした。
妹の危機に取り乱した洋の気持ちが、今にしてわかる。
気付けば、その洋が自分を見つめていた。
「蓮葉……殺すなよ」
穏やかな声に、文殊は心から安堵した。
死ぬまで足掻いてやるつもりだった。
オレは不死身だ。誰にも負けるわけがない。
このスーツを着て、傷一つなしに優勝してやる。
連中にそう約束して、博多を出たのだから。
相手が《最高傑作》だろうが、負けるくらいなら死んだ方がマシだ。
もはや《鯰法》は尽きた。首で跳ね、血の味の空気をやっと吸う。
亡者になった気分だった。ここは地獄か。まだ生きてるのか。
薄れる視界に飛び込んできたのは、女神の微笑だった。
忘れるわけがない。命賭けで戦った女の
吐息が当たる。唇を塞がれる。熱い塊が滑り込んでくる。
……なンだよ。天国じャねえか。
「《必至》あり! ──勝負あり!」
最後に恍惚の表情を浮かべ、八百万 浪馬は意識を失った。
《神風天覧試合 第二試合》
〇畔 蓮葉 VS 八百万 浪馬●
決まり手:《
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