【二幕】畔 蓮葉 VS 八百万 浪馬 其の六

  


「……今、なんて言った?」

 思わず聞き返す洋だが、答えは必要なかった。

 蓮葉は本気だ。兄として、武人として確信がある。

 だが……本当に勝てるのか?

 蓮葉の被害は甚大だ。石柱を支えにようやく立ち上がるも、足取りはおぼつかない。血に濁る目は果たして見えているのか。震える手で《化け烏》を拾えるのか。

 対する浪馬は無傷の上、騏驎きりんならぬ麟を得て、最高の追い風に乗っている。

「洋殿……ご判断を」

 保護者である洋に、忍野が尋ねたのも当然である。

「……蓮葉が言うんだ。やらせるしかねぇだろ」

 不安のしこりは依然、消えていない。

 それでも信じるしかない。武人として、兄として。

 忍野は頷いた。

「──続行!」

 片手を振ると、試合の継続を宣言した。 


「──醜態だな」

 観衆に戻る洋を出迎えたのは、烏京の毒舌だった。

「悪かったな」

「悪くはない――豚は醜悪で当然だ」

 洋には返す言葉もない。

 蓮葉がやられた瞬間、頭が真っ白になった。まさか自分が、それも公然の場で、ここまで取り乱すとは。感情から勝負を止めようとするなど、言われるまでもなく武人失格だ。

「だが、判断は正しかった」

 そう擁護したのは、雁那である。

「むしろ止めなくてよかったのか?

 ここから畔が勝利する確率は、死亡する確率より明らかに低いぞ」

「『今から本気出す』だってよ」

戯言ざれごとにしか聞こえないな。

 武器も取れないあの状態で、どう戦うつもりだ。

 仮に出し惜しみがあるにせよ、それを使う余力はもはやあるまい。

 妹を死地に立たせるつもりか?」

 耳をそば立てる文殊も同じ意見だった。

 自分なら投了し、次戦に備える。《神風天覧試合》はリーグ戦だ。星を一つ逃しても取り返せる。勝ち目のない勝負を続ける方が悪手だ。

 洋は、雁那に反論しなかった。

 本気の蓮葉を知るのは洋と忍野だけだ。《必至》をかけなかったのも、それが理由だろう。蓮葉はまだ深淵を見せていない。

 しかし、どう説明しろというのか。触れるのも躊躇われるを。

 信じろという方が無理だろう。兄馬鹿と思われるのがオチだ。

「──甘いな」

 そう断じたのは、烏京だった。

 雁那の眼差しが鋭さを帯びる。

「ほう。確かに私の専門は白兵戦ではないが」

「貴様の分析は正しい──人間相手ならばな。

 だが、畔は人間ではない──《ばけもの》だ。

 ──これで終わるとは、俺は思わん」 

「それを信じろと?」「──すぐにわかる」

 ふと洋を見た烏京が、苦虫を噛んだ。

「何をにやついている──豚が」


 ドゥルンッ!

 陽気なアクセルミュージックが、鬨の声に転じた。

 飛び出したバイクが地下通路を駆け抜ける。蓮葉をまっしぐらに目指す。

 浪馬にとって、この勝負はもう終わったものだ。 

 《誉石切ほまれのいしきり》は《鯰法》中、最大の威力を誇る。調子に乗って使ってしまったが、れっきとした殺人技である。

 その一撃は敵を動かさず、無反動で全エネルギーを叩きこむ。浪馬はえげつなくも、それを機乗から放った。はりつけにした敵に、高速のバイクで突っ込んだようなものだ。原形を留めている蓮葉を誉めるべきだろう。

 浪馬は悄然とたたずむ少女を見やる。

 事前にケーキを食べていたが嘔吐の様子なし。吐血、喀血もなし。

 両目は出血しているが、眼球は破裂していない。

 緩慢な動きは、骨格の歪みが顕著だ。忍野が試合再開するまで、しばし間が開いたが、自力で回復できるダメージではない。転がった大鋏を拾いもしないのが、その証拠だ。

 もう一度言おう。この勝負はもう終わったのだ。

「手足の一本くれーブッた斬られなきゃ、わっかンねーかヨ!?」

 槍を向けた左側に蓮葉を迎えながら、浪馬が叫んだ。

 ブツ切りマフラーの爆音とハイライトの閃光。観衆すら怯ませる感覚の暴力を放ちながら、機馬武者は蓮葉に突っ込んでいく。

 殺気が膨れる。槍穂が跳ねる。少女と交差し、一瞬で通過する。

 観衆に驚きの輪が広がった。

 残された蓮葉が、まだ立っていたのだ。

 だが真の驚きは、機馬武者が旋回した後に訪れた。

 浪馬の左眼が潰れている。

 ぼっかりとえぐれ、赤黒い穴をさらしている。

「なんだ……何が起こった?」

 茫然とする雁那。他も程度の差はあれ、疑問を隠せない。

「《》だよ。

 尖らせた《殺気》を、弾丸みてぇに飛ばしたんだ」

「何を馬鹿な。殺気で人が傷つくものか」

「出来るんだよ、畔には。

 蓮葉には、って方が正しいかもだが」   

 洋とて見るのは初めてだが、間違いない。

 忍野戦で蓮葉が展開した、あの圧倒的な《殺気》だ。形を成すほど強烈なそれは、周囲の野鳥を落とし、《白銀さま》を制して忍野を殺めかけた。

 《殺気》は超能力ではない。

 しかし、武術には「気当たり」という言葉がある。発した気で敵を威圧し、動きを制する。達人ともなれば、気当たりで敵を倒すという。

 日本語には「気後れ」「気まぐれ」など、気にまつわる言葉が数多い。気は普遍的にこの国に存在し、殺気はその最たるものである。「病が気から」生じるなら、殺気が体を害するに何の不思議があろうか。

「……信じられん」

「気持ちはわかるけどな。

 とはいえ、無敵ってわけでもねえ。

 並みの相手なら一発だろうが、これは《天覧試合》だ」

 気当たりへの対抗手段は不動心、揺るがぬ心とされる。

 《殺気弾》が命中したのは、浪馬の気の緩みを突いたからだ。

 恐るべき人外の技だが、何度も通じるものではない。

「へ……へへ……

 まァーだ楽しませてくれるッてか、蓮葉ちゃんヨォオ!」 

 突然、片目を奪われながら、浪馬の火勢に衰えはない。

 いやさ、予想外の反撃を燃料に、さらなる炎を巻き上げる。

 地下道をろうして、大型バイクが加速した。

 バイク右前方に、蓮葉の変わらぬ姿。

 濃密な殺気が、陽炎のように床のチェスボードを歪めている。

 石柱には巨大な蔓が巻き付き、殺気の棘で《茨姫》を覆う。

 見える──はっきりと。なるほど、人の《殺気》ではない。

 けれど。

「イいッシャあァァアァァ────ッ!!」 

 暴力的な排気音すら霞む猿叫えんきょうに、殺気が霧散した。

 再び顔面を襲う漆黒の棘──《殺気》の弾丸までも。

 浪馬は身を捻り、左手に握る槍の先を右に回す。

 潰されたのは左目だ。右に立つ蓮葉を狙うに不都合はない。

 最後の武器であろう《殺気》を破られた今、反撃の手立てはないはず。

 それでも油断はしない。

 慎重に狙いをつけ、乗馬服を押し上げる豊かな胸に突き入れた──はずだった。

 手応えが、ない。

 消えた。いない。どこにも姿がない。

 探すより早く、バイクに衝撃が走った。

 反射的に両膝を締め、バイクを制動したのは流石である。

 その浪馬の視界に映りこむ、蓮葉の背中。

 バイクの前方、彼方へ吹っ飛ぶその姿に、浪馬は唖然とした。

 ──自分からバイクに突ッ込んだ、だとォ?

 消えたと思ったのも無理はない。浪馬から見て右にいた蓮葉が向かったのは左、すなわちバイクの正面だったのだ。死んだ左目の死角に加え、心理的にも正面に行くなど考えもしなかった。

 ──けど、なンのために? 

 撥ねられた蓮葉が、衝突の勢いのまま、突き当りの壁に叩きつけられる。

 肉が弾け、骨の軋む音が響いた。受け身を取った気配はない。

 東側の壁に設置された台状の半円、拳大の石が敷かれた謎のオブジェ。

 蓮葉はその上に落下した──いや、両脚から

 浪馬は、魅入られたように足を止めた。アクセルの存在すら忘れた。

 石のステージに降り立った彼女が、踊り始めたのだ。


 それは全身を使った、大らかなダンスだった。

 腕を伸ばし、指をしならせ、胸を反らし、首を回す。

 腰をよじり、尻を躍らせ、長い脚を広げ、爪先を滑らす。

 打楽器は骨の鳴る音。弦楽器は筋の響き。

 全てを元なる形に。壊れる前の配置に。


 浪馬は、ようやく理解した。

 蓮葉は衝突の威力を利用して、骨格の歪みを正したのだ。

 もはや目に見えるダメージは、傷ついた両目だけ。

 その真紅の双眸を見開いて、女が笑い始めた。

 脳を切り裂き、この世の全てを嘲笑う、魔女の狂笑。

 

 忍野は思わず眉をしかめた。

 ──それは、海辺で解体された夜、最期に聞いた声だった。

 

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