【二幕】畔 蓮葉 VS 八百万 浪馬 其の四
──
眉を寄せ、洋は改めて蓮葉を見やった。
妹の戦いぶりが、どこか精彩を欠く気がするのだ。
蓮葉の戦いを見るのは忍野戦以来だが、あの夜は鬼気迫っていた。
人ならぬ殺気に呑まれ、忍野は実力の半分も出せず斬首されたのだ。
それに比べ、今夜の浪馬戦はどこか緊迫感に欠けている。
浪馬は手強い。予想以上だ。《千本桜》と《鯰法》、二枚の鉄壁が厄介なのは間違いない。
しかし洋の知る蓮葉なら、それすら圧倒している。
《最高傑作にして失敗作》。その異名の意味を痛感したあの夜からすれば、今夜はぬるま湯もいいところだ。
蓮葉の動きは悪くない。表情にも余裕がある。
ならば、この温度差は何が原因なのか。
──甘くなった、のか?
蓮葉と暮らす中で、洋は情操教育に力を入れた。世間知らずの妹のため、テレビを見る時間を増やし、食事や観光に連れ出した。
その甲斐あってか、蓮葉は表情豊かになった。
語彙が増え、洋のしぐさを真似はじめた。気になるスイーツをおねだりすることも覚えた。無感情な殺戮装置が人間に近づくようで、洋は嬉しかった。
だがそれが、戦闘者の刃を鈍らせたとすれば。
達人を殺すのは強敵ではなく、慢心だ。
誰にも言えない胸の凝りが、固さを増していく。
当事者である浪馬にも、同様の疑問はあった。
想像よりも押せている。主導権は明らかに自分にある。
これなら奥の手を出すまでもない。
畔の《最高傑作》と呼ばれる女が、この程度のものか?
だが浪馬には、己への絶対的な自信がある。
──ま、オレさまが最強なのは当然か。
至極簡単に答えを出すと、猛然と蓮葉に襲い掛かった。
タイルに踏み込んだブーツが鳴き、槍が閃いた。
二の槍を突いた。頭を逆に振り、これも避ける。サンダルは動かない。
さすがの浪馬も気が付いた。
「誘いかヨ、蓮葉ちゃん。
イイぜ──オレが食えるか、試してみな」
三の槍は最速をもって、胸元へ突き入れる。
飛燕の穂先を、雷光が捉えた。
《化け烏》の刃が、槍の柄を下から挟んだのだ。
槍の穂と柄を繋ぐ箇所は
しかし、切れない。切れていない。
「そー来ると思ったけどヨ。
ザンネン! 鉄芯入りでしたァ──ッン!」
ギャルン! 槍が捻られ、低姿勢の蓮葉に捻じ込まれた。
豊かな胸に突きつけられた切尖を、咄嗟に地に伏せ、掻い潜る。
目を見張る柔軟さだが、浪馬の槍は空振りではなかった。
宙に残された長い黒髪。それを貫き、巻き取ったのだ。
「バトルで長髪はダメッしょ、蓮葉ちゃん!
自身の長髪は天空の棚に上げ、若武者が息巻いた。
女好きの浪馬だが、女と闘ったことはない。
本気で戦えるのか、オメガに問われもした。だが、そんなことはとっくに失念の彼方だった。敵は畔の怪物、《最高傑作》だ。戦いに男も女もない。容赦を挟む余地などありはしない。
手の内で捻りを加えた槍が大量の髪を絡め取った。
引き倒すに十分な量だ。あるいは痛みに堪えて踏みとどまるか。
どちらでも隙は生じる。四の槍で決着がつく。
盤石の自信をもって、浪馬は全力で引き倒した。
その槍が、これ以上ない軽さで、すっぽ抜けるとは。
「は……!?」
洋は知っている。
服は適当な蓮葉だが、髪にはこだわりがある。畔製のヘアスプレーを用いて、丁寧に手入れする。シトラスの香りとともに、髪質を弱め、簡単に切れるように。狙われることを前提に──こだわっている。
浪馬の体が泳ぎ、蓮葉が前に出た。蜘蛛のように低く、
体を崩しながらも槍を返したのは、浪馬を誉めるべきだろう。
《化け烏》に突きこむ構図は同じだが、槍が切れないことは証明済み。避けざるを得ず、その間に態勢を取り戻す。
繰り出される槍を前に、《化け烏》が変わる。
スライド式のように一瞬で、《中央》から《前》の連結軸へ。
刃は
パキィン!
小気味よい音が地下通路に鳴り響く。槍の穂先が宙を舞う。
地を這うほど低い姿勢から繰り出された《化け烏》が、その小さな
地吹雪のような戦慄が浪馬を叩いた。
死人に名を呼ばれても、こうはなるまい。
鉄芯入りの槍の柄を、まさかハサミで切り飛ばすとは。
断面は斜めに走っている。《化け烏》と称する
「……さッすが、バケモン。
やってくれンじゃねーか、蓮葉ちゃんヨ」
凍りつく汗を振り切るように跳び
槍の穂先が床のタイルに落ちるより早く、浪馬は駆け出していた。
居並ぶ石柱を追い越し、一目散に突っ走る。
「えっ。逃げた?」
たつきが疑ったのも無理はない。蓮葉に背を向け、全力疾走する浪馬の姿は、誰の目にも敵前逃亡である。策があるとは思われない。
違ったのは、洋と烏京の二人だ。
「やっぱりか」「ああ──やはりだ」
「ちょっとあんたたち、わかってるなら教えなさいよ!」
うなずきあう二人にたつきが
耳を
生ある獣ではない。二灯式の眼と鋼の心臓を備えた、
「あれが、
遠吠えの本体は、浪馬のまたがる改造バイクだった。
右手でアクセルをふかしながら、浪馬の左手がバイク後部を探る。
孔雀もかくやという飾り羽根を引き抜き、一振りで伸長させる。
予備武器だった。装飾に偽装したそれを、バイクに積んでいたのだ。
新たな槍を左に構え、浪馬は通路の先の蓮葉を見やった。
蓮葉は浪馬を追っていない。元の位置で立ち上がり、《化け烏》を構えている。
彼我の距離、実に30メートル。
「さァ! 第2ラウンドと行こうじゃねーノ!」
ドルン! エンジンが猛り、バイクが加速した。
左手は槍を握っている。クラッチは使えないはずだが、バイクは滑らかにギアチェンジし、速度を上げていく。
ノークラッチ・シフトアップ。高度なライドテクニックである。
バイクこそ族車仕様だが、浪馬のテクが素人レベルでないのは明らかだ。
十分に加速した騎馬武者──いや機馬武者が、間合いに突入する。
雄叫びを上げ、浪馬は槍を繰り出した。
すれ違いざま、穂先の残像が踊る。《化け烏》を握る蓮葉に殺到する。
連突きの技量は、やすやすと凌がれた先刻と同じ。
だが、馬上の技には馬の力が加わる。ましてやそれが機馬となれば。
桁違いの威力、切れ、速度。加えて高速移動による手元と角度の変化。
戦国時代にすら存在しない、まさに新時代の連撃は、交差の一瞬で無数の火花を散らし、地獄のような残響を置き去りにして通過した。
「マジかよッ! ゼンブ受けやがッた! ウケるゥ!」
《化け烏》のぶ厚い刃が震えている。とっさに大鋏を立て、防御したのだ。
「想像以上に厄介だな、あいつ」
洋が思わずつぶやいたのは、その《化け烏》故だ。
幅広の刃を開いて立てれば、鋏は《X》字の盾となり、堅固な防御力を発揮する。
しかしそれは、攻撃力と引き換えに得たものだ。刃を上に向ける以上、反撃は捨てたに等しい。
一合と打ち合わず忍野の二刀流を見極めた蓮葉が、機馬を駆る浪馬に、一方的な防御を余儀なくされている。
耳障りな音とゴムの焦げる匂いをまき散らし、バイクが反転した。
機先を返した浪馬が、再び、蓮葉に突っ込んでくる。
しかし、いち早く蓮葉が動いた。
傍らの石柱の陰に飛び込んだのだ。直進する浪馬の死角へと。
石柱に背を当てた蓮葉が、《化け烏》を横に向ける。浪馬が通過する方向。
洋の目に映る蓮葉に動揺はない。無表情に首を刎ねる《畔の水妖》だ。
勝負は石柱の横を浪馬が通過する瞬間。その刹那を、どちらが制するかで決まる。
「あぁン? かくれんボかヨ、蓮葉ちゃん。
どうせ遊ぶなら、もっと大人のアソビにしよーゼ!」
蓮葉の隠れた石柱が右手に迫る中、ニヤリと笑う浪馬。
バイクの上で槍が円を描く。
二つの異常が、観衆に息を呑ませた。
突き出されたのが、刃のない
そしてその向かった先が、蓮葉ではなかったことだ。
「ソーユー悪いコには、オシオキだゼ──ッ!」
人馬一体の神通力を込めた石突が、石柱の表面に叩き込まれた。
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