【二幕】畔 蓮葉 VS 八百万 浪馬 其の三



 ──コレよ。コレを期待してたンだヨ。

 《千本桜》を繰り出しながら、浪馬は恍惚の境地にいた。他の候補たちが、自分を話題にしているのが聞こえたのだ。

 試合のさ中である。全ての会話を聞き取る余裕はないが、アクセントの強い部分は耳に入る。特に洋の声はよく通り、聞き取りやすい。露骨に自分を見下していた魚々島代表が、認識を改め始めるのは快感だった。

 《千本桜》は、八百万槍術の初伝である。

 洋の読み通り、浪馬が少年時代に叩き込まれたものだ。

 八百万流はやり歌舞伎かぶきの立ち廻りから生まれ、舞台映えを前提としている。高い技量を必要としながら、実用性に欠ける技が多いのはそのためだ。八百万本家を勘当された浪馬が、暴走族相手に試した限り、八割方は見た目だけの代物、闘いに耐える技ではなかった。

 しかし、残りの二割は掛け値なしの本物。《千本桜》もその一つだ。

 無限の突きの秘訣は両肩にある。背骨を中心に左右の肩甲骨を交互に回し、前後する肩の動きを腕を介して槍に伝える。いわば《人間ミシン》である。

 柔軟な手捌てさばきこそ必要だが、クランクシャフトに徹するため、腕力の使用は最小限で済む。使用するのは主に背筋と体幹。ともに人体最大の筋肉であり、回転運動の疲労は微少だ。この程度の《千本桜》なら、浪馬は朝まで突き続けられる。

 族時代、この技を破ったのは文殊ただ一人。それも多対一の戦術で、一対一タイマンでは負けなしだ。

 数多あまたの抗争で磨き抜いた浪馬の十八番を前に、果たして蓮葉はどう動くのか。 

 魚々島兄妹の無言のやり取りは見て取れた。ともに追い詰められた反応ではない。 

 この状況を逆転する手立てがあるということだ。

 考えるだけで全身の血がたぎる。が止まらない。

 浪馬は、ふと瞬きをした。

 見間違いかと思ったが、そうではない。

 いない──《桜》の前から、蓮葉の姿が消えている。

 目は離さなかったはずだが、反省する時間ヒマはない。

「ハッ! ドーコ行きやがったァ?」

 《千本桜》の範囲は安全地帯。左には石柱。来るならそれ以外のはず。

 そこでようやく、気が付いた。

 ──柱の影、かヨ。

 蓮葉が柱のそばを通ったのは見ていたが、まさか誘導だったとは。

 浪馬は《桜》を止め、最速で槍を手繰り寄せる。

 石柱の横幅は1. 5メートル。身を潜めるには十分なサイズだが、それだけで終わるわけがない。

 《桜》を刻むため伸ばした槍は、柱が邪魔で左に回せない。もし今、柱を周り込まれれば、無防備な横腹をさらすことになる。蓮葉の狙いは間違いなくこれだ。

 ──間に合え。間に合いやがレ……!

 半ばまで引き寄せた槍の石突──刃のない先端を、柱の逆サイドに向ける。

 構えは不十分、得物は不完全だが、かろうじて間に合った。

 あとは柱から飛び出す蓮葉を迎撃すべく、握り手を絞れば──

 その視界の上を、何かが掠めた。

 嫌な予感がした。それでも見上げてしまった。

 仰向けで天井に張り付いた、美女と目が合った。

「……バケモンかヨ、テメー」

 振り下ろされた《化け烏》が、浪馬の背骨を直撃した。


  

 浪馬の死角を突いた蓮葉の動きも、観衆視点では瞭然となる。

 それでも息を呑むほかない。文殊の率直な感想である。

 《千本桜》の横に柱が来るよう誘導した後、柱の陰に飛び込んだ蓮葉は、螺旋らせんの軌道で石柱を駆けのぼったのだ。

 《曽根崎地下通路》にある四列の石柱の内、二列は表面に暗紅色あんこうしょくの金属板が巻かれている。滑らかな石材よりましとはいえ、足掛かりのないことに変わりはない。そもそも常識で考えて、円柱の表面を駆け上がれるわけがない。

 理解の補助線があるとすれば、《化け烏》の使い方だろうか。柱の向こう側に投げ込むように、斜め上に振り上げた巨大鋏の勢いのまま、少女は二度、軽く石柱を踏むだけで、天井に到達した。妖精じみた軽やかな挙動は、直視でなければCGを疑うところだ。

 浪馬の反応は早く、迎撃準備は最速だった。だが、その時すでに蓮葉は柱の最上部に到達していた。閉じた《化け烏》を水平に伸ばしたまま、無音で柱を蹴り、浪馬の頭上に至る。

 天井から浪馬を見下ろす姿は、紛うことなき妖怪だった。

 背後が塞がる故、《化け烏》は振りかぶれない。代わりに天井沿いに目いっぱい腕を伸ばし、自由落下による遠心力を最大活用する。鋏が閉じたままなのは、切断以外が通じるか試すため。

 《化け烏》の巨大な長針は、浪馬が蓮葉を見上げた瞬間、《3時》から《6時》へと振り下ろされた。

 鋏である《化け烏》に外付きの刃はないが、凶悪な形状の角や突起が生えている。拷問器具のようなそれらを喰らえば無傷では済まされない。何より2メートルもの長大武器である。天井を支点に渾身で振るえば、人を殺すに余りある威力を生む。

 蓮葉が頭を狙わなかったのは《不殺》のルールから当然だが、背骨も十分に急所である。常人なら即死、あるいは全身不随だ。どちらが最悪かは意見の分かれるところだが、衝突実験のダミー人形のように浪馬が吹っ飛ぶ未来を疑う者はないだろう。 

 だが、そうはならなかった。

 浪馬のブーツの下、大理石の床に亀裂が走る。

 ただ、それだけだ──怪我も、出血も、吹っ飛びもしない。

 強烈に打ち込まれたはずの《化け烏》が、背に触れた瞬間、時が止まったように停止している。

 同じく時を止められた観衆の沈黙を、最初に破ったのは浪馬だった。


「……無駄だゼ、蓮葉ちゃん。

 不意打ちだろーが、背中だろーが、上からだろーが関係ねエ。

 オレは《不死身》だ。どンな攻撃だろーが外に

 生まれてスグに屋上から落ちても、ピンピンしてたくれーだ。

 おかげで周りにゃ《鬼子》なンて呼ばれたけどヨ」


 ゲラゲラ笑った浪馬が、わずかに身を沈める。

 直後、吹っ飛んだのは《化け烏》だった。

 天井の蓮葉も釣られて引き剥がされ、黒白の床を転がっていく。

「八百万たい術──《しばらく》」

 中国拳法の《寸勁すんけい》を思わせる、ゼロ距離からの体当たり。

 それを蓮葉の得物に喰らわせ、弾き飛ばしたのだ。

「オラどーした、《最高傑作》ちゃんヨ!

 まさかこのまま、終わりッてンじゃねーだろーな?!」

 好き放題にわめきながら、浪馬が蓮葉を追いかける。

 合わせて観客一同も移動を開始する。


「《不死身》……か。

 確かにありゃあ習った技じゃねえな。天賦の才ってやつか」

「──青沼の情報と符合はするな。

 床のヒビもそうだが──どういう原理だ?」

 歩きながら言葉を交わす、洋と烏京。

「……《鯰法ねんぽう》いうらしいで」

 遅れぬよう懸命に駆けながら、文殊はそれだけ口にした。

 観衆が一斉に振り返る。この程度なら情報の漏洩にはならないだろう。

「鯰法って、ナマズ?」

「そや。八百万の家系に稀に生まれる才能らしい。

 それ以上のことは、なんもわからんけどな。

 浪馬あいつも原理とかよう知らんやろ。生まれた時から使えたんやから」

「なるほど、傑作だな」

 上から会話に加わったのは、雁那だ。

「本人も知らない《鯰法》の原理を調べなければ、我々は勝てないわけだ」

「えっ、そう?」「そうだろう?」

「オレも別に、調べる必要はねえと思うぜ」

 たつきと雁那の口論に、洋が賛意を示したのは巫女の方だ。

「真意を訊きたいな、魚々島 洋」

「別にたいした理屈じゃねーさ。

 確かに相手を知るってのは重要だ。オレだって知りてえよ。

 けど、闘いの中で得られる情報なんざ限られる。

 原理なんざわからなくても、勝ち方を見つけて勝つしかねえ。

 それが実戦ってもんだ。オレらは科学者じゃねぇからな」

 肩上から見下ろす視線が、ふと和らぐのを感じた。

「君の答えは、いつもシンプルで明快だな」

「違うかい?」

「いや、間違ってはいない」

「たつきの答えは違うかもだがな」

「それよりあんた、何で呼び捨てにしてるわけ?」

 ぎゃいぎゃい騒ぎ始めた候補たちに見切りをつけ、文殊は戦闘の行方を追った。


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