【前幕】畔 蓮葉 VS 八百万 浪馬 其の五



「にしても、オッセーなあいつら。やる気あンのかよ」

 浪馬が愚痴ったのは、まだ来ぬ三名のことである。

「あんたにだけは言われたくないんじゃない」

 復活したばかりのたつきの突っ込みは控えめだ。確かに前回の《開会の儀》に遅刻寸前で滑り込み、悪びれもしなかった男の台詞ではない。

「そう言えば、今夜は一番乗りだったな。

 どういう風の吹き回しだ。そこの相棒の入れ知恵か?」

「ハハッ、まー、そンなとこヨ。

 試合前に、忍野に話を通しとけッて……」

「余計なこと言わんでええ」

 雁那の探りに乗りかけた浪馬に釘を刺すと、文殊は肩の少女を見上げた。

 見かけはたつきより年下に見えるが、一見で油断ならない相手と感じた。浪馬によれば巨人の通訳とのことだが、明らかにそれ以上、参謀格の雰囲気がある。単純な浪馬やたつきなら、簡単に手のひらで転がされそうだ。

「それに、オレはこいつの相棒やないで。

 今日は試合見せてもらえるいうから、ついて来ただけや」

「ウッソだろ、おい!

 試合見せたらオレと組むッて、約束だッたじャねーかヨ」 

「考えたる、言うたんや」

「騙さレた!」「こっちの台詞や」

「なら、賭けようじャねーカ。

 オレが畔に勝てたら、めでたくタッグ結成。これでどーヨ?」

「おまえな……」

「これはまた、分の悪いギャンブルを持ちかけたものだな」

 文殊は顔を上げた。雁那の含みある言い回しが気になったのだ。

「魚々島の妹、オレは知らんのやけど。

 あんたの見立てでも、そんなに強いんか?」

 少女は巨人の肩に腰かけ、楽しそうに足をぶらぶらさせる。

「戦闘データの詳細は把握していない。八百万 浪馬のもな。

 故に、関係者情報からの推察だと前置きするが。

 畔は《ともがら》最強の一角で、蓮葉はその《最高傑作》と称される。

 対する八百万の勢力は九州地方に限られ、浪馬は一度、勘当された身だ。

 暴走族では伝説らしいが、裏社会と比べれば、所詮は井戸のかわず

 前評判が順当なら、畔 蓮葉の勝利は揺るぎないと判断する」

「なるほどな」

 少女の説明は明快で腑に落ちる。話を聞く限り、反論の余地がない。

「ハッ、他人ひとン家を嗅ぎ回るのは得意みてーだがヨ。

 相変わらず、肝心なトコはなーンもわかってねーな」

「ほほう。何が言いたい?」

「何が起こるかわからねーから、バトルは面白オモシレーッてことさ」

「博打で破滅するタイプの思考だな。

 確かに人対人の戦闘は不確定要素の塊だが、それを含めての実力だろう」

「やってるモンにだけ見える勝ち筋だってあンだヨ。

 後ろで見てるだけのチビッコにゃ、難しい話かもしンねーけどナ」

「……だそうだ。君はどう見る? 吉田 文殊」

 鼻息荒い浪馬をいなし、雁那が問うてくる。

 文殊は考え込んだ。

 少女の解説に異論はない。ないが、どこか信じがたい自分もいる。文殊は蓮葉を知らないが、浪馬は知っている。族の大軍相手に単騎で無双し、ヌンチャクの達人を爪楊枝であしらう男。あの底知れない強さを圧倒する、そんな人間が本当に存在するのだろうか?

 とりあえず、今出せる答えは一つだけだ。

「本人見んことには、なんともやな」

「ふむ、ごもっとも。いい相棒を見つけたな、八百万」

「だろン?」「ちゃう言うてるやろ」

 突っ込みながらも、文殊の顔は複雑なままだ。


 《天覧試合》、開始二分前。

 忍野が懐中時計を取り出し、時刻を確かめる。

 浪馬不戦勝の目もあるのかと、文殊が考え始めた時。

「ふい──っ、何とか間に合ったぜ」

 聞き覚えのある声とともに、三つの人影が《そねちか》に現れた。

 魚々島ととじま ようほとり 蓮葉はすは松羽まつば 烏京うきょうの三名である。

ッてのはマジみてーだナ」

 耳元でささやく浪馬に、首肯を返す。

「すまねえ、忍野。遅れちまった。

 昼過ぎにゃ梅田に着いてたんだが、色々あってよ」

 頭を下げる洋は、相変わらずの胴回りである。服も見慣れたフィッシャーマンズベストだ。少しほっとする自分がいる。

「お気になさらず。

 洋殿のこと、余程の事情がおありだと考えます」 

「──事情が聞いて呆れるがな」

 眉を吊り上げ吐き捨てたのは、痩身長躯の黒装束だ。翼のような袖口と口元まで覆った襟巻。切れ長の双眸は猛禽の眼光を宿している。

 ──あれが魚々島と戦りうた、松羽 烏京か。

 浪馬の語った激戦を思い出し、思わずまじまじと見てしまう。

 その姿は、まさに文殊が想像していた《道々の輩》だった。闇の世界で技を磨き、脈々と生き継ぐ孤高の民。文殊の視線に気づきながら一瞥だにくれない。族上がりなど眼中にないという態度が、ありありと見て取れる。

 そもそも、ここまで見て来た《道々の輩》が意外過ぎた。

 知人の洋や浪馬はともかく、たつきも雁那も、自分のような一般人に普通に話しかけてくる。毅然とした忍野、超然とした荒楠はし、雁那の目的は情報収集だろう。そう考えれば、例外はたつきだけか。《輩》にも関わらず世俗に近い感じは、浪馬に共通するものだ。

「土産話は後にした方がよさそうだな。

 蓮葉、急いで準備しろ。それ食べ終えてな」

「ふぁひ」 

 それでは、浪馬の対戦相手となる、畔 蓮葉はどうなのか?

 返事の元を追った文殊は、あっけに取られた。

 くだんの妹が、スイーツにかぶりついているのだ。

 いや、スイーツなどという可愛い代物ではない。手にしたそれは、堂島名物・堂島ロール。大量の生クリームを抱いた、堂々たるロールケーキである。それをクレープのように箱から引き出し、齧りついている。言うまでもないが、路上で食べる代物では断じてない。

 艶やかな黒の長髪、文殊より高身長のモデル系美女が、あんぐりと口を開け、バットほどに太いケーキを頬張る様は、さながら人を呑む大蛇うわばみの如し。さらには食べながら涙をこぼしている。一体、何の涙なのか。

「よう。来たな、文殊」

 呆然とする文殊に、洋が話しかけた。

「おまえを呼べたのは、浪馬のお手柄だよな。

 多分、今夜もすげぇ試合が見れると思うぜ。

 解説はオレがしてやるから、《天覧試合》を楽しんでってくれ」  

「あれが、おまえより強い言うてた妹か」

「蓮葉だ。色々変わっちゃいるが、可愛い妹さ」

「なんで泣いてんねん」

「スイーツ食うと泣くんだよ。理由はわからん」

「なんじゃそりゃ」

 予想外過ぎる《最高傑作》の素顔に、拍子が抜ける。

「お兄ちゃん、これ」

 ケーキを食べ終えた妹が、洋に空箱を手渡した。

「おまえ、口にクリームついてんぞ」「あい」

 膝を曲げ顔を突き出す蓮葉に、洋は手を伸ばし、指で口元を拭う。

「よし」「ありがと」

 にっこり笑う美女に脂下やにさがる洋を見て、思わずつぶやく。

「兄馬鹿かよ」

「別にいいだろ。

 蓮葉、こっちが文殊。オレのダチだ」

「ああ、どうも……」

 そう言い、友人の妹に下げかけた頭が、半ばで凍り付いた。


 立ち上がった蓮葉を見て、全身が総毛立ったのだ。

 何かされたわけではない。

 蓮葉の変化は一つだけ。浮かべた笑みを消しただけ。

 ただそれだけで、人の皮を脱ぎ捨てたように。

 忍野の時は動けたが、それすらも許されず。


 蓮葉が背を向け、文殊はようやく自身を取り戻した。

 靴底から頭まで嫌な汗をかいている。たまらず金髪を掻き上げた時、烏京の視線に気が付いた。一瞥だったが、哀れみでも覚えたのだろうか。

 洋や浪馬と戦った時ですら、こうまで恐怖することはなかった。

 今なら、雁那の言い分も納得できる。

「……おい、浪馬」「あン?」

「おまえ……マジでアレとるつもりなんか?」

 人ならぬ者を体感した文殊の偽らざる本音は、豪快に笑い飛ばされた。

「おめーバカかよ文殊! 当ったり前だッつーの。

 ワンチャン、蓮葉ちゃんをゲットできっかもしンねーだゼ?」

 文殊はぽかんと口を開けた。

 この圧倒的軽さを、よもや尊敬する日が来ようとは。

「おっ、そうだ。豚兄貴に話があンだがヨ」

「誰が豚兄貴だ」

「オレが勝てたら、妹ちゃんとの交際を認めるッてのはどーヨ?」 

「世迷言はあの世で言え」

「じゃあキスだ。蓮葉ちゃんとのキスを認めろ。

 オメーもどーせ、オレが負けると思ってンだろ?

 なら何賭けようが、問題ねーじゃねーかヨ」

「あーもう……蓮葉がいいってんならな」  

「さッすが兄貴! 約束は絶対だゼ?」

「おまえが勝って、蓮葉がOK出したらって話だぞ」

「オーケーオーケー」

「ほら、もう行け。忍野が睨んでんぞ」

 洋に追い払われるも、浪馬は意気軒高に地下道を往く。


「あんた、負けフラグ立てるのが趣味なの?」

負けフラグそいつをへし折るのが趣味なんだヨ」

 たつきの嫌味を受け流し、浪馬は改造バイク後部から槍を一本、引き抜いた。

「そこで見てろヨ、文殊。

 この勝負が終わりゃ、おまえも蓮葉ちゃんもオレのモンだ」  

「頼むからその言い方やめてくれ」 

 

「蓮葉、絶対に殺すなよ。

 最初は手足から狙っていけ。不死身って話が気になる」

 洋の言葉にうなずくと、蓮葉はバッグから《化け烏》を取り出した。

 ジャキ、ジャキン……!

 二本のZ字パーツが伸長し、交差して大鋏おおはさみを組み上げる。

 

 曽根崎地下道の左右に別れ、対峙する二名の《神風》候補。

 その中央で忍野が手を上げた。

 合図とともにドローンが散会し、四方の壁際に列を作る。

 水を打ったように静まり返る観衆。

 文殊は胸を抑えた。心臓の高鳴りは壊れそうなほどだ。

 

「東──畔 蓮葉」

            「…………」


 突き出した巨大鋏の向こうで、気怠げに髪を垂らす美女。

 対面に立ちはだかる、男の存在も知らぬげに。


「西──八百万 浪馬」

            「ジラすなボケ」


 一本槍を肩に担ぎ、晴れやかに笑う色男。 

 黒と白、チェスタイルのように分かたれた、二人の世界。

 

「《神風天覧試合》第二試合、開始いたします」 


「いいィよッしゃ──ッ!!」

 浪馬のときの声が、地下歩道に響き渡った。

 

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