【前幕】畔 蓮葉 VS 八百万 浪馬 其の四



 JR大阪駅を中心とする梅田地下街は、巨大迷宮として有名である。

 無軌道な増築と連結の末に生まれた複雑怪奇な構造は、地元民にすら《梅田ダンジョン》と揶揄やゆされる。飲食店ひしめく地下道には、濁流の如き人波が押し寄せ、車天国の地上とはまるで別世界だ。《うめきた二期地区》など、令和にも開発は続いており、《梅田ダンジョン》の拡大は留まるところを知らない。

 そんな梅田の地下世界で、唯一、静謐せいひつを保つ場所。

 それが曽根崎そねざき地下歩道、通称《そねちか》である。

 歩道と聞けば隘路あいろを思いがちだが、《そねちか》は断じて道ではない。

 縦に104メートル、横に27メートル。四列の石柱を擁し、チェスボードのような黒白タイルが敷設された巨大空間は、さながら展示物のない博物館である。

 さらには観客──通行人も乏しい。JR東西線、北新地駅東口すぐという、絶好のロケーションにありながら、だ。

 都心からやや離れてはいるが、北新地は歴史ある繁華街を擁する。

 この人気ひとけの少なさは、他に理由があるのではないか。

 たとえば、都心にあるまじき廃墟感。通行人を押し黙らせる静寂。荒れてこそないが、遺棄された場所の寂寥せきりょう──

 梅田地下街の奇景、曽根崎地下歩道とは、そんな場所なのである。


 北新地駅の運行は、零時過ぎをもって終了する。

 これに合わせて《そねちか》は閉鎖される。シャッターと格子扉が全ての通用口を塞ぎ、関係者以外の立ち入りを遮断する。

 しかし、今宵だけは例外だった。

 《神風天覧試合》、開始一時間前。

 暗黙のうちに格子扉は開かれ、御堂筋線に続く連絡口のみ解放される。

 そこを降りてくる二台のバイク。スロープではない一般的な階段を、オフロードではないド派手な族車で、騒々しく。

 《神風》候補者、八百万やおろず 浪馬ろうま。後部座席にはもう一人の影。

「お早いですね、浪馬殿」「おうヨ」

 地下歩道の中央で振り向いたのは、黒髪を後ろで束ねた和服の男だ。黒作業服の輪に指示を与えた後、バイクを降りた二人に近づく。

「一番乗りとは意外でした……いや、失礼。

 ではそちらが、観戦希望の」

「ああ、今夜のビッグゲストよ」

「別にビッグちゃうやろ。

 あー、ども。吉田 文殊もんじゅ……ス」

 浪馬に突っ込んだ後、金髪の若者が慇懃に頭を下げた。

 チーム文化にも寄るが、族社会の縦関係は体育会系に順ずる。敵でもなければ、年上にはさん付けの敬語が普通だ。不良といえどチームを束ねる側に立てば、言葉一つで敵を増やす愚を否応なく学ぶ。浪馬は極端な例外である。

 相手は二十歳はたち頃で、十七の文殊と浪馬より幾分年上。加えてこの場の責任者だ。居丈高な浪馬がどうかしている。

「こいつがゴネよったみたいで、どうもすみません。

 今夜はよろしくお願いします」

「ゴネてねーッてーの。快諾だったよなー、忍野?」

 ゲラゲラ笑う浪馬を意に介さず、忍野は速やかに文殊の前に出た。

「お初にお目にかかります。

 私、《神風天覧試合》立会人、空木 忍野と申します」

 自己紹介を受け、文殊は改めて忍野を観る。

 事前に浪馬から聞いてはいたが、なるほど、時代劇から抜け出てきたような人物だった。侍然とした和装に大小の帯刀。端正な顔立ちは、地下にあって光を放つよう。凛として涼やかなたたずまいは、白鞘に収めた名刀を思わせる。

「お越しいただき誠に恐縮ですが、観戦前に選抜を受けていただきたく」

「アあん? 選抜ゥ?」

 浪馬が口を曲げた刹那──、紫電が閃いた。

「抜く手も見せず」とは居合術定番の賛辞だが、忍野はその上を行く。抜刀はおろか柄に飛ばす手の動きすら、文殊の目に映らなかったほどだ。

 その刃の先端が、文殊の首の手前、浪馬の指先で静止している。

「忍野テメー、いきなり何しやがる」

 横合いから手を伸ばした浪馬が、静かに凄んだ。

 刃を止めた指は無事のようだ。

 忍野が止めたのか、それとも浪馬がのか。

「起こりは消したはずですが……何故、読めました?」

 忍野の問いは、浪馬でなく文殊に向けたものだ。

 抜刀の寸前、文殊は半歩、浪馬に近づいた。

 あれがなければ、浪馬の手は刀に届いていない。奇襲を予測し、浪馬をたのんだのだ。自身では避けようのない、抜き打ちの対処を。

「オレやったらここで仕掛ける……そう思っただけスよ」 

 ポケットに手を挿れ、胸を張る文殊。

 忍野は微笑した。

「怪我は自己責任ですので、試合中は気を抜かれぬよう。

 ここで見聞きした一切を他言無用でお願いします。

 改めまして、文殊殿……《神風天覧試合》へようこそ」 

 鍔鳴りの音とともに、忍野は文殊の観戦を認めた。


 《神風天覧試合》、開始三十分前。

 のっそりと現れ出たのは、雲つくような大男だ。

 《神風》候補、最寄もよろ 荒楠あれくす

 3メートル近い《そねちか》の天井に、なんなく手が届く上背である。文殊の仲間にも2メートル近い巨漢がいたが、男はそれ以上、何より体積がまるで違う。皮鎧と骨製の仮面に隠された中身は、ひぐまではないかと疑うほどだ。これが美髯を蓄えた老人の肉体とは、到底、信じがたい。

 巨人の表情は窺えないが、その肩に座った少女は、いかにも興味ありげに文殊を見下ろしている。照明が近いせいだろう、片手をかざしたひさしの下で、翠眼すいがんまたたかせる。まるで洋種の猫のようだ。

「吉田 文殊……魚々島の抗争相手か。

 そういえば、八百万とも因縁があったな」

 童顔に似合わぬ落ち着いた声だ。自分まで調査済みとは驚いた。

「魚々島と懇意こんいと聞いていたが、八百万と組むとは意外だった」

「文殊テメー! ブタとコイってマジかよ?!」

「コイやない。コンイや言うてるやろ。

 それに、そこまでの関係やない。おまえと似たような関係もんや」

「大親友じャねーか!」「誰がやねん!」

「なるほど、これが大阪のマンザイか」

 いがみあう二人を見下ろしながら、最寄もよろ 雁那かりなは満足そうにうなずいた。  


 《神風天覧試合》、開始十五分前。  

 新たな《神風》候補が、地下歩道に現れた。

「あぶないあぶない。遅刻するかと思った」

 巫女装束の金髪少女。宮山 たつきである。

「なんか、バカが一匹増えてんだけど。

 あんたいったい、誰?」

 開口一番に喧嘩を売られ、文殊は少なからず驚いた。

 なりこそ小さいが、浪馬とタメを張るレベルの口の悪さだ。人知を超えた達人揃いと聞く、《神風》候補のイメージとまるで違う。親に甘やかされて育ったわがままお嬢、という感じである。

「……吉田 文殊や」

「文殊って、文殊菩薩の? 逆にアタマ悪そう」

「てめーコラ、いきなりオレのダチにケンカ売ってんじゃネーゾ?

 女にはジェントルマンなオレでも、いい加減……」

 手を上げて浪馬を黙らせ、文殊は小さな巫女に向き直った。

「その格好で梅田歩いて来たんか?

 おまえもたいがいアホな気ぃするけど」

 この手合いは「おまえ」呼びで十分だ。

「バッカじゃないの?

 地下に降りる前に着替えたに決まってるでしょ!」    

「着替えるとこなんか、この辺ないやろ。

 公衆トイレは地下ごと閉鎖しとる。コンビニも近くにない。

 着替える場所探してて、来るの遅れたんちゃうんか」    

「なっ!!」

 真っ赤になって、たつきが絶句した。図星のようだ。

「だ、だから何だって言うのよ。あんたには関係ないでしょ!」

「関係ないけど、教えたろ思てな。

 その巫女の服、別に着て来んでもええて」  

「はっ、やっぱりバカなのね。

 これは神社の正装なんだから、着るのが当然なのよ」

「試合出るなら、そうかもな。

 でも今日、浪馬と試合するんはおまえやない。

 観戦側にドレスコードとか聞いてないし、オレもこの格好や。

 どっちがアホか、立会人に聞いてみたらどうや?」

 文殊の服は、普通のアメリカンカジュアルである。

「……お、お、おしのん?」

「《神風天覧試合》に服装の規定はございません。

 得物同様、何を着られようと問題はないと考えます」

 うやうやしい忍野の返答に、少女の赤面が熱を帯びた。


「ヤるじゃねーの、文殊」

「跳ねっ返りの相手は、族時代から得意やからな」

 何より、大阪人が口喧嘩で後れを取るわけにはいかない。

 やりこめられたたつきの前で、文殊と浪馬はハイタッチを交わした。


 

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