【前幕】畔 蓮葉 VS 八百万 浪馬 其の三
「あっクソ、切りやがッたアイツ。ブタの分際で」
沈黙したスマホを睨みつけ、ベッドの上に叩きつける。
《神風》候補者の一人、
同じく候補者である
不愉快を顔に貼り付けたまま、窓辺に向かうその姿は、一糸まとわぬ全裸である。ピンクの長髪を後ろで束ねた髪留め以外、何も身に着けていない。
ヒルトン大阪32F、エグゼクティブルーム。
浪馬を悦に入らせたのは、宝石箱のような梅田の夜景ではなく、ガラスに映る己が肉体美だった。
細身の体躯に緻密に編み込まれた、しなやかな筋肉が脈動している。
プロスポーツ選手を優に超える筋量が
ナルキッソスよろしく鏡像に魅入る姿の是非はともかく、このルックスで金に不自由しないのだから、女が群がるのも無理はない。
「……ま、用は済んだし、どうでもいッか。
じきにラウンド2って頃合いだしヨ」
ベッドからスマホを拾うと、浪馬は露骨に鼻の下を伸ばした。
格闘技のリングにも似たキングサイズのベッドは、ラウンド1終了の後、選手たちがシャワーを浴びている間にクリーニングされている。女に先立ち風呂から出た浪馬は、手持ち無沙汰から洋に電話を入れたというわけだ。
女の風呂は長いのが定番だが、そろそろ上がる頃合いだろう。風呂上がりにシャンパンとスイーツを振舞う
「女なら帰らせましたよ」
ルームサービスを頼みかけた浪馬を制したのは、執事然とした女の声だった。
浴室の方向から現れたのは、黒のパンツスーツに身を包んだ痩身の女性だ。腫れあがった
「うおっ、来てやがッたのかよ、オメガ!」
あわてて下半身を隠しながら、浪馬は悪態をつく。
「帰したッて、三人ともか?」
「三人ともです」
「もう電車ねーだろ」
「足代は十分以上にお渡ししました」
「テメー誰に断って、ンな勝手なこと……」
「浪馬さまの生活のサポートが、私の仕事ですので」
「オレのサポートだってンなら、オレの都合を優先しやがれ」
「《
我々を引き抜くだけの甲斐性が、浪馬さまにあれば別ですが」
「あるワケねーだろ、クソが」
《醜女衆》とは八百万の当主、八百万 暁馬子飼いの異色組織である。人並外れた才能を有するも、人並外れた容姿から正当な評価を受けられない、そんな女性を破格の報酬で集めた、まさに実力主義の集団だ。そんな彼女たちが何故、浪馬の世話役を任されたのか。その経緯は不明だが、並みの女性であれば、容易く浪馬に篭絡されただろうことは間違いない。
「女遊びの続きは、作戦会議の後でどうぞ」
「テメーのツラ見た後で、ンな気になれっかよ。
この股間を見やがれ。強制賢者モードじャねーか」
「聞き分けの良いご子息で、ようございました」
ピンク髪のセクハラを下ネタで迎撃したのち、オメガはタブレットを操作した。
壁掛けモニタに文字列が並ぶ。どれも《神風》候補者の情報である。
「まーたソレかヨ。どうでもいい
バトルってのは、何が起こるかわかンねーから面白いんだヨ。
相手をチマチマ調べたり弱点探ったり、弱い奴がやりャあいい。
オレぁゴメンだね」
「お言葉ですが、浪馬さまの緒戦の相手は、あの畔 蓮葉です。
候補者最強とも噂される絶世の美女……興味がおありでは?」
強調が功を奏してか、浪馬は尖った口端を緩めた。
「……ま、ねーと言やーウソになるがヨ」
「それではお座りください」
オメガに言われるまま、豪華なソファに身を沈める。
「手短にしろヨ」
「そうならざるを得ません」
「あアん?」
「情報が少なすぎるので。
八百万には諜報部があり、畔とは抗争状態にあります。
情報を得るのは容易なはずですが、蓮葉については、ほぼノーデータ。
彼女による襲撃案件は複数件見つけましたが、生存者は一人もいません。
隠しカメラの映像さえ、この有様です」
大画面に並ぶ写真はどれもピンボケで、被写体を捉えたものが一つもない。
戦闘中の動画はさらに酷かった。被写体不在の映像に悲鳴か呻き声が加わり、あらぬ方角を映した末、暗転──その繰り返しである。隠しカメラの画角が見えているとしか思えない。
「魚々島 洋との合流後は情報収集が捗りましたが、戦闘力は依然、謎のままです。
廃スタンドに向けたドローンは、全て魚々島 洋の《鮫貝》に破壊されました。
さらには松羽 烏京も同盟に加わり、廃スタンドの調査は絶望的とのことです」
「松羽が魚々島と同盟だとォ? マジかよ、初耳だゾ!」
「報告書を読まないからです」
「そーゆー面白ェ話は、チョクセツ言やァいーだろーがヨ」
「女漁りにかまけて、ホテルを転々としていたのは誰ですか。
ちまちま調べた情報の価値、少しはご理解されましたか?」
「わーッたわーッた。今後は耳くらい貸すからヨ。
そンで蓮葉ちゃんの情報は、何がわかってるンだ?
まさか3サイズとか言わねーヨな。オレはナマで現物を見てンだぜ?」
両手を膨らませ、くびれた図形を描く浪馬を黙殺して、オメガは説明を続けた。
「氏名は畔 蓮葉。異名は《最高傑作にして失敗作》。
八百万の戦術班を単身で壊滅させるなど、際立った戦闘力を持つ。
暗殺技術も高く、痕跡を残さない為、その正体は長く謎に包まれていた。
……身体的特徴については、説明の必要はないですね」
うなずく浪馬を一瞥し、続ける。
「それだけの戦力がありながら、実戦件数も情報も極端に少ない。
畔の切り札として温存されているのか、何らかの問題を抱えているのか。
いずれにせよデータ不足で、推測の域を出ない。
《天覧試合》では他候補の対戦からデータを取り、本戦に備えるのが望ましい。
……残念ながら、望ましからざる展開ですが」
「残念じャねーだろ。むしろありがてーくらいだ。
《最高傑作》の蓮葉ちゃんに敗北を教える、最初の男になれンだからヨ」
オメガは冷ややかな表情で、浪馬を見た。
「楽観も結構ですが、現実を直視するべきでしょう。
八百万と畔は
異能を武器とする畔の半妖は、個の実力において圧倒的。
八百万は専用兵器と頭数で抗していますが、その差は未だ埋まりません。
そんな畔で《最高傑作》と称されるのが、明日の浪馬さまの相手です。
浪馬さまの強さは怪物級ですが、蓮葉は怪物中の怪物。
いかな浪馬さまでも、勝ち目が薄いと言わざるを得ません」
「豚野郎と同じこと言ッてんじゃねーぞ、オメガ!」
思わず立ち上がった浪馬が、口を尖らせる。
「では、必ず勝つと言えますか? その根拠は?
勘当中とはいえ、浪馬さまは八百万を代表するお立場です。
畔との勝負は、もはや《天覧試合》の一幕に収まりません。
結果次第では、闇社会の勢力図が塗り替わる可能性もございます」
「──知ったことかヨ」
底冷えする一言に、オメガは思わず息を止めた。
「オレを勘当したのも代表に選んだのも、全部クソ親父の勝手だろーが。
結果をどうこう言われる筋合いは、これッぽちもありゃしねエ。
面白けりゃ
《天覧試合》を引き受けた時、オレはそう言ったはずだぜ?
文句があンならてめーがやれって、あのクソ親父に伝えとけ!!」
浪馬の
「……懸念はもう一つございます。
浪馬さまは女性と闘った経験がございません。
異性相手に全力を尽くせるのかどうか。
そもそも浪馬さまにとって、畔は……」
「あー、そりャまあ、確かにな」
ころりと表情を変え、若者はうなずいた。
「魚々島にはテキトー言ったけどヨ。
ぶっちゃけそればッかりは、やッてみなけりゃわかンねエ。
ま、何とかなんじゃね? 死にさえしなきゃ治せンだし。
新たな性癖に目覚めるかもしンねーし」
「浪馬さまは、女に強そうで弱いですから」
「わーってるッつーの。
女扱いしなきゃいーんだろ? オマエみてーに」
「そういうことです」
「皮肉も通用しねーのかヨ」
浪馬は嘆息し、ソファに身を沈めた。
「ところでさっき、勝つための根拠とか言ッてたよな。
たった今、そいつを見つけたって言ったら、どうする?」
「本当ですか?」
それが愚問だと悟り、オメガはかぶりを振った。
モニタに表示された蓮葉の情報を、改めて振り返っていく。
「そいつだ──止めろ」
浪馬が指さしたのは、動画のワンカット。悲鳴の後にカメラが映した、片脚の切断面だった。
切り落としたハムのような滑らかな切り口に、浪馬は何を見つけたのか。
「こりャあ刀傷じゃねエ。傷の角度が微妙に違う。
二本の刃で左右から断ち切られなきゃ、こんな傷にはならねえ。
多分ハサミ……それも馬鹿デケェ殺人
オメガは、飛び出した眼をさらに見開いた。
若武者に浮かび上がる、不敵な
「……だとしたら、オレの勝利は確定だゼ」
梅田の摩天楼を背景に、浪馬の
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