【前幕】畔 蓮葉 VS 八百万 浪馬 其の二



『夜中もクソもねーだろ、豚野郎。

 テメーらどーセ、夜行性だろーが。

 ゼッテー起きてると思って、コッチにかけたらアンノ・ジョーだ』

はブランド名じゃねーぜ。

 それに夜行性はおまえだろ。鼻息が荒くて聞こえやしねえ」

 興奮気味の浪馬を、洋がからかう。

 ちなみに魚々島の生活サイクルに昼夜の区別はない。好きな時に眠り、好きな時に起きて動き出す。睡眠は昼寝のように短く、必要ならいつでも目を覚ます。蓮葉も烏京も、洋の寝食に合わせ活動している。さながら猫の共同生活である。

『鼻息も荒くなンだろ。明日はオレ様の試合だぜ?』

「そりゃめでたいな。祝電でも送ってやろうか?」

『口の減らねー豚だなオイ。

 テメーに用はねンだよ。オレの蓮葉ちゃんを出しやがれ』

蓮葉ちゃんは、この世のどこにもいねぇよ」

『うるせーゾ、ブタッ! いいから代われ!』

「蓮葉なら、シャワーを浴びてるとこだ」

 廃スタンドの明りの下から、洋はロビーに目をやった。

 ガラス張りの壁は、真新しいカーテンに閉め切られ、不自然なほど完璧に隠蔽されている。奇妙なのはカーテンが内側でなく、外に付いていることだ。加えて、烏京と青沼の神妙に過ぎる顔。

 魚々島同盟を組むにあたり、洋は幾つかの規則ルールを定めた。

 中でも最大の項目、破れば同盟破棄という規則が、今まさに適用中なのだ。

 ──蓮葉の入浴中は、男全員、外で待機。 

 提唱者である洋も例外ではない、厳粛なルールである。

 男たちの名誉のため断言するが、非は彼らにはない。

 元凶は、入浴後に姿でうろつく蓮葉の方だ。

 兄の薫陶くんとうかドラマの影響か。少しづつ常識を知り始めた蓮葉だが、その忘却癖の故か、覚えないことはに覚えない。

 「風呂上がりに服を着る」というマナーも、その一つだった。

 元より露出に抵抗のない蓮葉だが、特に湯上りにはタオル一枚纏わず、ロビーで涼むのがお気に入りらしい。何度注意しても繰り返す妹に、兄の取った弥縫策びほうさくが特注のカーテンと、この規則だ。

 ひとしきり涼んだ後なら蓮葉は服を着る。それまでのひと時、男どもを隔離すればは起こらずに済む。カフェテラス風のテーブルセットは、このルールの副産物である。

『なーるほど。それで電話に出なかったワケね。

 オレのために体を磨いてたンじゃ、ショーがねーな』

「絶対違うが、まぁそういうことだ。

 蓮葉に話があるなら、オレが聞いてやる」

『マネージャーかヨ、テメー』

 こればかりは浪馬が正論だが、洋にも言い分はある。

 訂正するつもりもないが、浪馬は勘違いをしている。蓮葉の気配察知は獣以上だ。シャワー中であれ、《耳袋みみぶくろ》の着信を聞き逃すわけがない。

 では何故、電話を取らなかったのか? 

 洋が使用を限定したからだ。《耳袋》の使い方を教える際、洋以外の電話を取らぬよう、厳しく言い含めた。

 他人に無関心な蓮葉が、電話やメッセージに応じる確率は低い。しかし青沼がしたように、洋の名を使えば、話に乗ってしまう可能性がある。

 そうなれば、疑うことを知らない蓮葉は、いいように利用される。蓮葉の自立を促したいのは山々だが、それとこれとは話が別だ。何より、妹を狙うチャラ男の着電を許す兄など、この世に存在しない。

『ま、いいや。テメーのが話が早いかもしれねェ』

 意外にあっさりと引き下がった浪馬に、洋は拍子抜けした。

「何の話だ?」

『吉田は知ってるよナ? 吉田 文殊』

「ああ」

『明日の試合を、あいつに見せたくてヨ』

「そりゃ無理だろ。部外者だぞ」

『そこがオレ様の偉大さヨ。忍野のOKは取ってある』

「マジかよ」

 さぞゴネられたであろう忍野の苦悶に、思わず同情する。

『試合に出るやつの関係者で、一人まで。

 危険対応は自己責任で、他言無用。

 でもって、対戦相手の許可が必要てンで、電話したワケよ』

「そりゃ面白え。お手柄じゃねーか。

 バカとハサミは使いようって奴だな」

『バカ?』

「紙一重で天才って意味だよ。

 もちろんオレはいいぜ。蓮葉の了解も取っておく」

『話が早くて助かンぜ。兄貴って呼んでいいか?』

「蓮葉抜きの話なら、好きにしろ」

『妹抜きで呼ぶワケねーだろボケ! 調子に乗ンじゃねーゾ』

「にしてもおまえ、いい度胸してんな。

 勝ち目のない試合に、ダチを招待するなんてよ」

『なーに言ってやがる。

 あいにくオレァ、女相手でも手加減しない主義だゼ?』

「その自信が、ハッタリでないことを祈ってるぜ」

『テメーこそ、妹のピンチに乱入してくンじゃねーゾ』

 不毛な煽り合いを指先で終わらせ、洋は二人に振り向いた。

「《天覧試合》にゲストを呼べるようになったってよ」

「ふむふむ。それで浪馬くんは、誰を呼ぶと?」

「文殊だよ。覚えてるだろ、青沼さん」

「そりゃもちろん。

 因縁の二人がここにきて急接近、というところですか」

「知ってたのかよ」

「一度きりではありますが、あの二人の勝負は九州じゃ語り草ですからね。

 連絡を取るほど親密だったとは知りませんでしたが」

「こないだ話した限りじゃ、そうでもない感じだったけどな」

「……組んだ、ということですかね?」

「それはそれで面白くなりそうだ」

「自信家って意味じゃ、洋くんも大概だと思いますよ」

 盛大なため息をつく青沼に、洋がにやりと笑う。

「何なら、その目で確かめに行くかい?

 蓮葉の関係者って言えば、浪馬も嫌とは言わねーだろ」

「うーん、遠慮しときます。私は裏方ですから」

「ふうん。なら烏京はどうよ?」

「くだらんな──《死合》は見世物じゃない」

「ボッチの言い訳か」

「貴様の友人──豚舎で群れてるアレか?」

「裸の蓮葉ちゃんを召還されたくなければ、そこまでにしてください」 

 無駄に散る火花を手際よく消火して、青沼は表情を改めた。

「それより洋くん。くれぐれも気をつけてください。

 蓮葉ちゃんが浪馬くんを殺してしまわないように」

 青沼の懸念は、「殺せば失格」という《天覧試合》のルールのことだ。

 武力に於いて比類なき蓮葉だが、気持ちが昂ると一切の加減が効かない《殺戮装置》と化す。《畔の最高傑作》でありながら《失敗作》と呼ばれる所以である。

 洋が制止すれば加撃を止めることはわかっているが、《天覧試合》の相手は並ではない。常ならぬ闘いの熱に呑まれた蓮葉の耳に、果たして洋の声は届くのか。

「もし止まらなきゃ、こいつを使うさ」

 洋の手中に現れる《鮫貝》。愛用の戦闘巻尺メジャーだ。

 前触れもなく、烏京の手からトランプが放たれた。

 照明の下を飛ぶ薄片に、洋の手が閃く。

 軽やかな音を奏で、伸張する《鮫貝》の白線。

 カードに追いつき、先端のフックを引っ掛け、巻き戻される。

「ほらよ」

 空気抵抗に取り落とすこともなく、いとも容易に紙札は引き戻され、烏京に手渡された。

「なかなかの精度だが──果たして、今際いまわのきわに間に合うか?」

 蓮葉の狂刃が浪馬の命脈に触れ、断ち切るまでの刹那。

 剃刀かみそりのようなその隙間に《鮫貝》を挿し入れなければ、蓮葉の勝利は拾えない。烏京すら鼻白む薄氷の難題だ。

「そこはまあ、浪馬の頑丈さに期待するしかねーな。

 どのみちぶっつけ本番だ。使わず済むなら、それに越したことはねえ」

 いつもの飄々たる調子で、洋は鼻頭を擦り上げた。


 

 

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