【前幕】畔 蓮葉 VS 八百万 浪馬



 指をはなれた紙札カードが、宙を舞った。

 何の変哲もないトランプである。プラスティックですらない。

 舞い上がったそれが、廃スタンドの天蓋キャノピー付近で宙返りし、テーブル上の収納ケースへと滑り込む。

 おお、と声を揃えたのは、傍に立つ洋と青沼だ。

 トランプを投げた烏京からテーブルまで10メートル。普通に投げても容易に届かない距離を、当然のように届かせ、命中させる。ケースのサイズはトランプにほぼ等しい。バスケの遠距離3ポイントシュートが児戯に見える離れ技である。

 烏京の指が、次のトランプを引いた。

 無造作に放たれた紙札は、今度は高速回転し、鋭く大気を切り裂く。突き刺さらん勢いで壁に跳ね返り、落葉のように翻然ほんぜんと泳いだ末、またしてもケースに収まる。まるで魔法だ。

「さすがは《投げを極めた男》ですねえ」

「何をどう修行すりゃ、んなことが出来るようになんだよ」

 もはや呆れ顔の洋に対し、烏京に感慨の色はない。

「──状況を把握し、適切な角度と力を与えれば、狙い通りに飛ぶ。

 至極単純な話だ──この程度の技に驚ける貴様らに、逆に驚く」

「単純じゃねえから、スポーツてのが存在してんだろ」

「──静物の標的を、外す方がどうかしている。

 動きに反応する獣を狙えて、ようやく松羽の初級だ。

 万物の動きを見極める──投げの要諦はそこにある」

 まんざらでもない口ぶりで、烏京は次々とトランプを放つ。奔放かつ無軌道に思われるそれらが、示し合わせたようにテーブルに向かい、整然とケースに吸い込まれていく。

「洋くんの《鮫貝》だって、精確じゃないですか」

「さすがにここまでじゃねーよ。

 それにオレのは《鮫貝》に特化したやつだ。

 こいつみたく、何を投げても精確ってのは頭がおかしい。

 勉強にゃなるが、参考になるかは怪しいくらいだぜ」

「──オレが貴様に教える義理が、何処にある?」

「まぁそう言うなって。

 ちょうど、訊いてみたい話を思い出したんだ」 

 言い置き、洋はロビーに向かう。カーテンの降りた室内に姿を消し、戻った手には大きな黒球があった。表面に「16」の文字がある。

 ボウリング用のマイボール。いつか、洋と蓮葉が、これを使ってキャッチボールをしていたのを、青沼は思い出した。あれから半月も過ぎていないはずだが、妙に懐かしく思えるのは何故だろうか。

「蓮葉に出来て、オレに出来なかった技があるんだよ。

 おまえさんなら、どうやるかと思ってな」

「ほう──言ってみろ」

 高回転に加え、遥か頭上に投げられたマイボールを、背面ノールック、片手かつ三つの穴と指だけ使い受け止める、蓮葉の妙技。

 あの日の答え合わせは、青沼の予想通りだった。

 忍野の来訪にかこつけ、洋がキャッチボールを切り上げたのは、やはり妹の挑戦を避けるためだったのだ。

「邪魔が入らなければ──造作もない」

「盗み見るのもナシだぜ?」

 烏京の神眼は、背後にまで届く。鍛え上げた周辺視野は正面と変わらぬ視力を持ち、小首を傾げるだけで全方位の視界を得られるのだ。

「問題ない──やってみろ」

 距離を取った烏京が手招きする。左手はトランプの束を握ったままだ。

「そんじゃあ、行くぜ」

 アンダースローで投げ上げたボールが、烏京の真上に到達した。

 風船と見紛うほど柔らかい軌道である。まるで重さを感じないのは、強烈なスピンの副作用だ。三つの穴は高速回転に溶解し、青沼の目には消えて見える。

 果たして、烏京はどうか。

 上昇するボールを見定めた後、黒衣の若者はおもむろに目を閉じた。

 頭上に迫る剛球をおそれる素振りもなく、長い腕を背に回す。

 あわや頭に命中するというタイミングで、一歩前へ。

 わずかに身を捻り、膝をたわめる。

 両目を開いた刹那、戻された右腕は、鮮やかに黒球を掴んでいた。

 三つの穴は対応する指で塞がれている。こちらも注文通りだ。

「……いや、さすがとしか」

 思わず拍手する青沼をよそに、洋は真剣な表情だ。

「そうか……螺旋なんだな」

「フン──気付いたか」

「えっ、どういうことです?」

 話の見えない青沼を挟んだまま、烏京が洋を見やる。

「──回転する三つの穴を、点で追うから至難になる。

 点ではなく、線として捉える──

 回転が安定する限り、穴の軌道は正確な螺旋を描く。

 その螺旋を指でなぞり続ければ──穴の方から、指にはまってくる」

「ああ、なるほど」

 ようやく理解し、青沼は二人の顔を見比べた。

 理屈はだが、実行できるのは彼らだけでは、とも思う。常人では指を折るのが関の山だ。それ以前に回転するボールを見切れる者が、この世に何人いるというのか。

「こうでこうで、こんな感じか……よし行けた」

 投げ上げた球を指で捉え、破顔する洋。恐るべき学習速度である。

「ま、蓮葉はこんなこと考えてなかったと思うがな」

「解は一つにあらず──備わる才の活用こそ肝要だ」 

「確かに、烏京くんが神眼を使えば、こんな手順は不要ですね。

 では、洋くんの才能というと……」

「んなもんねぇから、こうして苦労してるのさ」

「フン──どうだかな」

 烏京が言葉を濁したのは、真実を知るが故である。

 海中で修行する魚々島にとって、視力はさして重要ではない。

 しかし、群れなす猛魚を相手取る彼らが、気配察知に長けないわけもない。

 烏京のまなじりに、あの闘いの記憶がよみがえる。

 撃ち込まれたつぶてを、着弾と同時に受け流せる

 洋は泳げない陸亀おかがめだが、あれは紛れもなく魚々島の血の成せる技だ。

「なら、蓮葉ちゃんはどうです?」

 青沼の無邪気な質問に、怪傑二名は揃って顔を見合わせた。

「うーん、蓮葉はなあ」

「──畔と人を比べようとはな」 

「えっ、比べたらまずかったです?」

「気配察知で畔に勝てる人間は、まずいねーだろうな」

 ちらりとロビーの方に目をやった後、洋が続ける。

「女はカンが鋭いって言うだろ? でもって妖怪は気配にさといもんだ。

 両方の素質を持つ畔が人間以上に鋭いのは、驚くことじゃねえ。

 まして蓮葉は、畔の中でも別格だからな」

「──武芸者が目指すは人外の高みだが、畔は人外から高みを目指す」

「ともあれ、うちの三人の中じゃ、蓮葉が断トツだ」

 不承不承ふしょうぶしょう、烏京もうなずいた、その時。

 怪傑二名の手が、合わせて動いた。

 ともに取り出したのは《耳袋》──《神風》候補専用の携帯電話だ。

「どうしました?」

「──第二試合の日時と戦場、対戦候補が報された」

 画面を見つめたまま、烏京が続けた。

「日時は明日の午前二時。場所は曽根崎そねざき地下歩道。

 対戦候補は──畔 蓮葉と八百万 浪馬」

「さっすが忍野。きっかり二十四時間前だ。

 でもって、戦うのは蓮葉と、浪馬……か。

 青沼さん、曽根崎ってどこかわかるか?」

「大阪駅の南にある区域、警察署が有名ですね。

 地下歩道のことは知りませんが、すぐに調べます」

「なら、ここから近くだな。頼んだぜ」

 指示した洋の手の中で、不意に《耳袋》が震え始めた。

 洋と烏京、そして青沼が目を合わせる。

 画面を二人に見せた後、洋は《耳袋》を耳元に当てがった。


「いよう、浪馬。

 ……こんな夜中に、何の用だ?」

 

   

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