【幕間】八百万 浪馬 ー遷客騒人ー



 《戦場コンビニ》ことヘブンイレブン夢洲店のカウンターで、吉田 文殊もんじゅは悩んでいた。

 ろくに話もせず、浪馬と別れて二時間経つ。煙草休憩を理由に、洋と話し込んだ直後である。休憩を伸ばすわけにはいかず、シフト上がりである二時間後まで待つよう伝えたのだ。

 九州の客人は嫌な顔もせず、「そンじゃ、タコ焼きでも買ってくるかな」と姿を消した。

 心ここにあらぬ状態は、それからずっと続いている。

 魚々島が来たのは予想外だが、浪馬の来訪は更にその外だった。

 共に敵と呼ぶには近く、友と呼ぶには遠い関係。超人的な戦闘者である二人が何故、自分風情を気に入ったのか未だに謎だが、問題はそこではない。

 この二名が、《神風天覧試合》という闇の大会で争うというのだ。

 双方と戦った自分は、どちらの情報も持っている。魚々島は詮索しなかったが、浪馬に求められれば、答えを考えなければならない。

 それは畢竟ひっきょう、どちらに付くか決めることを意味する。

 未知の敵との戦いにおいて、情報の価値は白金プラチナにも優る。勝敗を分ける、突き詰めれば生死に関わる話だ。浪馬が訪ねてきた理由も、そうなれば容易に想像がつく。

 ──よう考えたら、頭おかしいな、あいつ。

 浪馬について、ろくに聞こうとしなかった洋を思い出し、文殊は苦笑した。

 鷹揚を通り越して馬鹿のたぐいだ。気遣う理由などないというのに。

 感じ入るところがなかったと言えば、嘘になる。

 あからさまに探りを入れられたなら、こうは悩まなかっただろう。双方に情報を売って、高みの見物を決め込んだかもしれない。

 文殊は時計に目をやった。じきにシフト上がりだ。まだ考えはまとまらない。

 

 一際眩しいヘッドライトが、駐車場に現れた。浪馬の改造バイクだ。

 ノーヘルのピンク髪が、外からカウンターに手を振る。手に提げたビニール袋はタコ焼きだろう。こんな時間に、よく店が開いていたものだ。文殊が来るのを待たず、パックを取り出している。

 そんな浪馬に、物陰から近づく人影を認めた。

 迷彩柄の無骨な背中に漂う、剣呑な空気。

「店長」

「行ってこい。人死にだけは出さんようにな」

 文殊は頭を下げると、自動扉を潜り、浪馬の元へ向かった。

 到着した頃には、すでに対峙している二人の姿があった。

「それがし、毛呂けろ青三せいぞうと申すもの」

 迷彩柄が名乗った。

 浅黒い肌と太い眉が印象的である。年の頃は三十代。背は人並だが、二の腕ははち切れんばかりに太い。暴力という火薬をありったけ詰め込んだ人型の皮袋だ。ミリタリージャケットに甚平という異色のファッションが薄れるほど、危険な殺気をまとっている。

「自分をソレガシって言うやつ、初めて見たゼ」

 対する浪馬は呑気極まりない。バイクは降りたが、無頓着に袋から白いパックを取り出し、開ける。夜空の下に湯気が立ち昇った。タコ焼きは熱々のようだ。

「おまえ沖縄人シマーだろ。見りゃわかンだよ。

 おかしな言葉使いやがって、笑わせンじゃねーゼ」

「……おまえも博多弁やないやろ」

「おう。戻ったゼ、文殊。

 ウチは母親が九州じゃねーからナ。

 それに標準語の方が、なーンかモテんだよね、オレ」

「どうでもええわ」

 二人のやりとりに表情を動かさず、毛呂は話を続ける。

「九州制覇で名高い、八百万 浪馬サンとお見受けしました。

 今宵、お会いできたのも何かの縁。

 それがしとっちゃいただけませんか?」 

 ──よう言うわ。文殊は内心で思う。

 僻地の夢洲を訪れるのは、トラックの運転手か暴走族、或いはその関係者だけだ。毛呂のような腕自慢は、明らかに毛色が違う。大方、浪馬出現の噂を聞きつけ、ここまで出向いたに違いない。表面こそ慇懃だが、放つ殺気は猟犬そのものだ。

「……あっ熱つ! 熱っつッ!」

 爪楊枝を手に、タコ焼きを頬張った浪馬が身悶える。金魚のように口を動かして、空気をタコ焼きに送り込む。

 まるで眼中にない空気を察してか、毛呂が動いた。

 腰の後ろから取り出したのは、双節棍ヌンチャクである。木製だが、握りにびっしりとびょうが打ち込まれている。連結も紐でなく、鎖仕様だ。

「それがしの得物は、これで。

 そちらは得意の槍を使っていただいて構いやせん」 

「本気かよ」

 文殊の突っ込みは、得物の差に対するものだ。

 武器の間合いは長いほど強いのが常識である。十分な技量を持つ相手とのリーチ差は、並み大抵の膂力や速度では埋められない。剣道三倍段という例えにある通り、間合いは圧倒的なアドバンテージなのだ。

 言うまでもなく、槍とヌンチャクの間合い差は絶大である。

「──心配は御無用」

 毛呂は、おもむろにヌンチャクを振り始めた。

 脇に挟んだ棒が放たれ、躍り出す。光を反射する鋲の輝きは、切り返すごとに加速し、流星と化した。腕、腰、首を支点に左右の手を渡り、風切り音を放つ残像はさながら流星群。もはや肉眼では、ヌンチャクの位置を把握できないほどだ。

 そのまま、毛呂が歩を進める。

 浪馬にではない。店前に停まる乗用車にだ。

 運転席の扉が、ヌンチャクの旋風に触れるかという瞬間。

 ギャリリリ! 唸りを上げたヌンチャクがサイドミラーを捉えた。

 打ったのではない。ミラーの根元を、鎖で絡め取ったのだ。

 気合一閃、毛呂が腕を振り上げると同時に、千切れたミラーが宙を舞う。

 頭上に降ったそれを、返すヌンチャクで粉々に破砕して、毛呂のデモンストレーションは終わった。

 素人目にも瞭然たる、見事な腕前である。

「……なるほどな」

 文殊は唸った。つまり毛呂は、浪馬の槍を捕るつもりなのだ。

 鋲や鎖は刃物対策。そして捕ってしまえば、槍は文字通り、無用の長物と化す。そうなれば、おそらくは唐手の修行を積んでいる毛呂の有利となる。不遜な態度を見ても、よほどこの技に自信があるに違いない。

 果たして、浪馬の返答は──

「いいぜ。相手してやンよ」

「待てや。うちの店先で暴れんな」

「十秒で終わらせッから、目ェつぶってくれ」

 確かに、浪馬なら十秒で事足りるかもしれない。

「……絶対に殺すなよ」

「手加減だろ? ヨユーヨユー」

 返事の軽さが気になるが、浪馬が負ける気もしない。

 文殊は引き下がり、勝負を見守ることにした。

「それがしも随分と安く見られたもんで。

 まあ、勝負できるなら何でも構いやせん。

 どうぞ、得物を用意してくださいやし」  

「得物? もう持ってンだろ」

 得意満面な浪馬の口ぶりに、毛呂が瞠目する。

 浪馬の手にあるのは、たこ焼きのパックと、爪楊枝だけだ。

「おまえ程度の相手なら、槍でもコレでも同じだヨ」

「……ウソやろ」

 心の声が思わず口をついた。

 浪馬は、爪楊枝で戦うつもりなのだ。

 得物のリーチ差を計算していた自分が馬鹿のようだった。もはや間合いもへったくれもない。爪楊枝は武器以下、ただのハンデだ。おまけに左手はタコ焼きで塞がっている。ハンデもここに極まれりである。

 ここまで人を舐め切った男を、文殊はかつて知らない。

 毛呂の瞳は、無音で色を失った。

 慇懃な仮面はかろうじて残すも、声に怒気がこもる。

「──すぐに、後悔させて差し上げやす」 

 その顔のまま、ヌンチャクが躍り出した。

 駐車場の薄闇が、光の乱反射に拓かれる。怒りに勢いを増すそれは、もはや流星群を超え、銀河に等しい奔流を描き出す。暴力の奔流を。

「いーから、早く来やガれ。

 十秒過ぎちまウだろ、ボケが」

 されど、まるで臆した様子なく。

 浪馬は足を進める。タコ焼きを突き刺した爪楊枝を、前にかざしながら。

 唸りをあげる銀河に触れる寸前で、タコ焼きが止まった。

 浪馬が何を狙っているのか、遅れて文殊も気が付いた。

 ──まさかこいつ。ヌンチャクの風で、タコ焼き冷ましてんのか?

 驚きを通り越して、もはや呆れるしかない。

 人を食った浪馬の挑発を、毛呂も見逃したわけではない。

 手首の捻りでヌンチャクの間合いを変え、タコ焼きを弾き飛ばさんとした。

 だが、寸前で手を引かれる。当たらない。軌道を見切られている。

「そろそろ、イケるか?

 ……熱っチ! アチチクソ、まだ熱ィなコレ」

 再び身をよじる浪馬を前に、毛呂はついにキレた。

「舐めるなよ、餓鬼がッッッ!!」

 ヌンチャクの銀河を纏ったまま、毛呂が地を蹴った。

 隙だらけの浪馬の頭頂に、渾身の一振りを叩き込む。

 ただでさえ絶命必至の急所に、限界まで高めた遠心力。さらには体ごと振り下ろすことで威力を底上げした、一打ちで三人は殺せよう一撃。

 直撃の瞬間、文殊は総毛立った。

 浪馬の両手は塞がっている。防御は出来ない。避けてもいない。

 頭蓋骨が二つに割れてもおかしくない威力──そのはずなのに。

 ぷすり。

 何事もなかったように伸ばされた手が、毛呂の眉間に爪楊枝を刺す。

 男は白目を剥き、支えを失った緞帳どんちょうのように、浪馬の足元に崩れ落ちた。


「ほらヨ、十秒。

 ぶっちゃけ、タコ焼きのが手強かったゼ」  


 あっけに取られる文殊を他所に、浪馬は次のタコ焼きを取り上げ、息を吹きかけ始めた。


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