【幕間】魚々島同盟 ー手札交換ー 其の三
「おいおい、きったねーな」
コーヒー塗れになったテーブルに、洋が呆れた。
「失敬──だが、今のは誰でも吹く」
「そ、そうですよ、洋くん。不可抗力です」
咳込む青沼に蓮葉の反応はない。
「……そうか。盲点だったな」
手際よく卓上を拭きながら、洋は妹を見つめた。
「オレ以外に興味持たないから、人嫌いかと心配してたんだが、そうじゃない。
無視するのは男だけで、女は目に入ってるってことだ。
ずっと男所帯で、そこの可能性に気付いてやれなかった」
畔は女系の一族である。
排斥された男より、女に馴染みがあるのは当然ともいえる。以前、服を選んでくれた女性店員に拒否反応がなかったのも、これが理由に違いない。
「すみませんね。小汚いおっさんで」
「──貴様はさっき、畔をけしかけたはずだが」
「あれは洋くんがピンチだったからでしょう。
私の声に反応したの、ほんとに今日が初めてですよ」
「同盟相手、忍者より巫女の方がよかったかもな」
「忍者じゃない。暗殺者だ──何度も言わせるな」
火花を散らす視線を遮るように、青沼が手を上げた。
「はいはい、そこまで。
蓮葉ちゃんの情操教育も大事ですが、今は情報交換が先です。
次の候補者について、お願いします」
「おっと、そうだった。二人目は、
全身を皮鎧で固めた、身長2メートル超の重戦車だ。
サンタみてーな白髭だが、体はジジイなんてもんじゃねえ。
鎧越しでも、火薬庫みてえな筋肉が見て取れた。
武器は、馬鹿デカい大槌。
並みの男じゃ持ち上げも出来ない代物だが、奴さんなら使えそうだ」
説明する洋の手振りまで大きくなる。
「ふむふむ」
「後はそうだな……孫みたいな女の子を連れてたな。
こっちの名前は
「──通訳を自称していたな」
「通訳……ですか。その荒楠さんの?」
「──そういうことだろう。
奴の鎧は、熊皮と骨格から作られている。
本土の熊ではない。おそらくは
あの仮面も羆の頭蓋骨を加工したもの。羆を獲るといえば──」
「……アイヌか」
アイヌとは、
「──知っているか?」
「いんや。魚々島が巡るのは本州近海だけだ。
北海道は行ったことがねえし、アイヌもろくに知らねえ。
青沼さん、何か知ってるか?」
「すみませんが、常識程度の知識しか。
最近、先住民族の権利を求める活動がさかんだと聞いたくらいです。
おそらく、この件には関係ないものと思いますが」
「──そもそもが
裏社会でも聞いたことがない。
輩のように、部族としてアイヌが生き残っているかと言えば──」
「けど、北海道は広いぜ?
人知れず生き続ける部族の一つくらいあるかもしれねえ」
「──北海道ならば、通訳は不要のはずだ」
「なら、北方領土だな。
ロシアが実効支配してるから、日本語が話せないんだろ。
どこにも情報がないのも、北方領土なら説明がつく」
「──確かに、理屈は通るな」
「いや、ちょっと変じゃないです?
ロシアの実効支配は終戦後ですよ。百年も経ってません。
仮にも日本人が、日本語を忘れますか?
まして
言葉が通じないという話は、どこか不自然に思います」
青沼の指摘に、二人の候補は首をひねる。
「……孫の方は日本語ペラペラだったな。
考えりゃあ変か……あいつら、どういう出自なんだ?」
「──そもそも、そんな連中が《神風》候補なのが異常なのだ」
不愉快さを隠そうとせず、烏京が吐き捨てる。
天皇直属の部隊である《神風》の前提は、天皇を頂く祖国への崇敬である。
治外に居を構え、闇で生計を立てる《輩の末裔》に唯一通底する正義。
それが《上ナシ》──天皇へのひたむきな忠誠なのだ。
日本語すら解さぬ者が、《神風》になろうなど言語道断。そう考える烏京の気持ちは、洋にもわからなくはない。
それでも最寄 荒楠は候補となった。それは事実だ。
「あの忍野が選んだんだ。オレは問題ないと思うがね」
「──貴様はどうも、忍野に甘すぎる」
「そうかねえ」
曖昧に応じる洋に、烏京は納得しかねる様子だ。
「どのみち、彼の調査は難しそうです。出自以外の情報を共有しましょう。
彼個人について、気付いたことはありませんか?」
烏京は左で拳を握ると、右の指先で軽く叩いた。
「──おそらくは、巫女と真逆の戦法の荒武者。
速度に劣るが、筋肉と鎧で護りを固めて接近、大槌を叩き込む。
小細工なしの力押しだが──攻略は至難。
あの鎧を貫ける攻撃手段があるかどうかが、勝敗を分ける」
「飛び道具との相性は最悪だな」
「舐めるな──オレは《投げを極めた男》だ。
追いつかれない限り、勝負は終わらない。
それまでに、あらゆる手段を用いて──あの重戦車を沈める」
「おお、言うねえ」「茶化すな、豚が」
洋の口笛に、そっぽを向く烏京。
「──貴様は、どう見る?」
「ん-、あれだけの巨体は、魚々島にもいなかったな。
あの武器にしたって、オレに振り回せるとはちょっと思えねえ。
単純な
あとは《鮫貝》があの鎧に通じるか。ま、やってみるしかねーけどな」
「──煮え切らん感想だな」
「いいんだよ、それで。
敵を知ったつもりで油断する方が、よほど危険だ。
情報はありがてえが、頼りすぎると足元すくわれんぜ?」
「フン──豚風情が、人間様に忠告とはな」
毒づく烏京だが、表情はそうでもない。
自然と口元が緩むのを、青沼は感じた。
「さっきの『海か山か』で言えば、どっちなんです?」
「──山だな」「海だろ」
真っ二つに別れた意見に、両雄が再び睨み合う。
「──羆の鎧に仮面だぞ。海で熊が獲れるのか?」
「落としちゃいるが消し切れない、潮の匂いがしたんだよ。
海で暮らさなきゃ、あんな体臭にはならねえ」
「──あれは猟で鍛えた
「漁で鍛えたかもしれねえだろ」
「はいはい。いい加減、学習してください」
自然と口元が引き締まるのを、青沼は感じた。
この同盟、油断するとすぐ暗礁に乗り上げる。細心の注意を払わねば。
「蓮葉。おまえはどっちだと思う?」
唐突に兄に話を振られ、蓮葉が小首を傾げる。
「……どっち……も……?」
「「──ううん??」」
少女の仕草に釣られ、揃って首を捻る男衆。
諸々の謎を残したまま、かくして最寄 荒楠の議題は終了したのである。
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