【幕間】魚々島 洋 ー千客万来ー 其の五
「──ドロ婆が、オレに?」
洋の説明に烏京が得心したのは、東向きの窓が輝き始める頃だ。
烏京が、ドロ婆と彼女の趣味を知っていたのは幸運だった。さもなくば話は余計にこじれただろう。それにしても変装芸を披露していたのが、洋の前だけではなかったとは。
「夜が明けちまうな。中に入れよ」
烏京の返事を待たず、洋は工事用フェンスを持ち上げ、隙間を作る。門のない廃スタンドにとっては、これが玄関だ。
二人は無言で、スタンドの敷地に足を踏み入れた。
油断なく、四方を窺う烏京。
コンクリート床のフィールドは、正面を建物、三方をフェンス、頭上を
「それで、さっきの提案ってのは?」
床と屋根を繋ぐ白柱に背をあずけると、洋は改めて問うた。
計るような一瞥の後、烏京が口を開く。
「《天覧試合》にあたって、協調の必要を痛感した。
魚々島 洋──貴様と同盟を結びたい」
「同盟、ねえ」
洋に驚きはない。想定内の答えだった。
魚々島と畔がそうであるように、候補者同士が組めば、何かと有利になる。
ルールで禁止されてもいない。この手の取引も戦いの内ということだ。
「オレをあんだけ豚呼ばわりしてくれた、おまえとねぇ」
半笑いの洋に、血相を変える烏京。
「あれは本意ではない。
松羽流に伝わる、《弾要らずの飛び道具》として──」
「口撃だったって言いたいわけか。
まあいいけどよ。たいして効かなかったし」
「──面の皮が分厚すぎたか」
「おまえそれ、絶対性格だろ。
つーか、おまえは毒舌の前にメンタルを鍛えろよ。
オレ程度の挑発にカッカ来て、よく暗殺者とかやれるな」
「殺し屋を挑発する者など──存在しない」
「なるほど。打たれ弱いのはそれでか」
「──
「そういうとこだぜ? まあ、そう焦るなって」
今しも業を煮やす烏京をよそに、洋は思案した。
「同盟って、どの程度の話だ?」
「──《神風天覧試合》において、互いの勝利に役立つ万事に。
情報と資金の融通、外敵の防衛と排除などだ」
「
そっちとはどうするつもりだ?」
「その同盟に、オレが参加する形で構わん」
「おまえさん、この先、蓮葉と戦るんだぜ?
試合の終わったオレはともかく、敵の蓮葉と組めんのか?」
「──松羽は山の民だ。畔がどんな存在か、よく知っている。
認めたくはないが、あの畔はオレの遥か上──入神の域だ」
洋はにやりとした。この男、やはり馬鹿ではない。
「たとえ同盟を組もうと、畔に勝ちを譲るつもりはない。
情報を探り、弱点を探し──全力で試合う所存だ。
だが、勝敗の結果が変わることは、おそらくない。
──貴様もわかっているはずだ」
洋はうなずいた。
「蓮葉が敵でなくて、一番安心してるのはオレだからな」
「──オレは勝負を捨ててはいない」
「そこは見習うべきかもな」
洋は右手を広げ、烏京に差し出した。
その手を握りかけた烏京の目を、ふと見上げる。
「まーさか、オレらを暗殺しようってハラじゃねーよな?」
覆帯越しに、烏京が傲然と笑った。
「だったら──どうする?」
「ま、それもアリか」
洋も不敵に笑い返す。
二つの手が、固く結ばれる。
「「──同盟成立、だな」」
すっかり朝を迎えた廃スタンドに、朝食が用意されていく。
テーブルと椅子を持ち出した、庭ならぬフィールドでの食事である。
メニューはホットサンド。それにコーヒーカップが湯気を立てている。
もちろん洋がこしらえたものだ。断る烏京を引き留めたのも洋である。
「軽食だが、朝ならこんなもんだろ」
「ずいぶん手際がいいな」
「炊事洗濯、全部オレだからな」
「──畔はどうした?」
洋が蓮葉と同居しているのは調べ済みである。
「着替えてんだろ。じきに出てくる」
「この具はなんだ」
「当ててみな」
「わからん──何だ?」
「サバ缶だ」
「──それは普通、パンに挟むものか?」
「いいじゃねえか。美味いんだからよ」
「納得できんが──フン。食えなくはない」
「上等だ」
洋は破顔し、自身も特大サンドにかぶりついた。
「しかし──随分と簡単に認めたな」
「同盟の話か?
候補の連中、どいつもこいつもヤバそうだからな。
対するオレは、まだまだ腕が足りてない。
腕の立つ修行相手が欲しいと思ってたから、渡りに船だ」
「──畔とは修行しないのか?」
「蓮葉はちょい問題があってな。いずれ話すけどよ」
「フン──確かに、
洋の胸元に万歩計を見つけ、烏京が鼻で笑った。
「こいつか? 走り込みは基本だろ」
「どれだけ走ろうが、街で得るものなど、たかが知れて──」
烏京の
その神眼が、万歩計の数字を拾ったのだ。
表示されているのは、わずかに数歩。
走り込みはおろか、食事の準備だけでもありえない数値である。
どれほどの技量があれば、こんな芸当が出来るのか──?
「な、便利なもんだろ?」
「──調子に乗るなよ」
ドヤ顔の洋に釘を刺すと、烏京はホットサンドに手を伸ばした。
「お兄ちゃん」
その時、ロビーの扉から、蓮葉が顔を覗かせた。
「こっちだ、蓮葉。おまえも食え」
「蓮葉も食う」「食うじゃない、食べるだ」「食べる」
白いワンピースを着た長髪の少女は、人懐こい犬のように洋の肩にもたれ、ホットサンドに手を伸ばす。春の朝に相応しい、花のような笑みを浮かべる。
熱いコーヒーを口にしながら、烏京は肌寒さを感じた。
確かに完璧な笑顔だ──同席する自分が、その瞳に映っていないことを除くなら。
無視ではない。完全に眼中から外されている。
「おっと、先に紹介しとくか。
蓮葉、こいつは松羽 烏京。オレと戦ってたろ」
兄に促され、妹がようやく烏京を認識する。
敵意も興味もない平坦な瞳に、言い知れぬ戦慄を覚えた。
山の民である烏京にとって、野生動物は見慣れた獲物である。鹿も熊も、数知れず獲って来た。この眼は、それらと似て非なるものだ。猛獣など比べ物にならない、未知数の危険だ──
「さっき、同盟を組んだんだ。
今日からこいつもここに住むから、よろしくな」
過酷な修練を修め、自他ともに天才と認める烏京でなければ、コーヒーを噴いたに違いない。
「──今、何と言った?」
「何って。住むんだろ、ここに」
「そんな取り決めを交わした覚えはないが!?」
「おいおい、冷静に考えてみろよ、烏京。
外部の襲撃を想定するなら、一番安全なのはここだぜ。
なんせ候補者三人が寝泊まりしてる。警戒網も戦力も三倍だ。
修行相手にゃ事欠かねえし、三食昼寝も保障されてる。
どうせ宿なんてねーんだろ?
かなりの優良物件だと思うぜー、ここは」
まくしたてる洋に、烏京は思わず唸った。
にやにや笑いが気に障るが、正論だ。そこがまた気に障る。
「放し飼いの雌虎と住めだと──?」
「蓮葉のことかよ。
おまえ、蓮葉と試合うんだぜ? ビビってどうするよ。
さっきは情報を探るとか言ってたじゃねーか」
困ったやつだと言わんばかりの洋に怒りを覚えるが、背後に控える雌虎のせいで目を合わせられない。今すぐに卓を飛び出し、ありったけの手裏剣を打ち込みたい衝動に駆られる。けれど、その結末が読めぬほど愚かでもない。
「ほら、蓮葉も挨拶しとけ。
オレ以外には、ほんっと不愛想だからな、おまえ」
「……よろ……し……く……?」
虎が口をきけばかくやという神妙さで、蓮葉が挨拶した。
「こいつは味方だから殺すのはなし。青沼さんと同じな」
「うん。わかった」
「もし襲われたら、死なない程度に殺していい」
「うん。わかった」
「──おい」
「冗談だよ、冗談。
蓮葉にはよく言っとく。こいつとも同盟なんだからな。
青沼てのはウチの情報屋で……おっと、噂をすれば」
スタンドに近づくバイクの音を聞きつけ、洋が相好を崩す。
「相変わらずタイミングいいな。朝から千客万来だ」
「──くそったれ」
どうやら、とんでもない兄妹と組んでしまったらしい。
どっと感じた疲れを忘れるべく、烏京は胃にコーヒーを流し込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます