【幕間】魚々島 洋  ー千客万来ー 其の二


「おまえが来るとは、やったで」

 唇に指をやり店長に断りを入れると、文殊は洋を連れ店を出た。

 店裏はフェンスで区切られ、関係者以外立ち入り禁止になっている。小さな扉を潜った路地には、椅子代わりのコンテナボックスと、灰皿スタンドがある。

 狭い場所を嫌ってか灰皿だけ持ち出し、文殊は扉の前に置いた。

 懐に手を入れ、煙草をくわえる。

「吸うか?」「いや、やらねぇ」

 眼光鋭く、文殊が睨みつけた。

 視線の焦点は洋の後ろだ。物見高い野次馬が、水を浴びた猫のように退散する。

 《ガスタの鬼デブ》と《審判邪眼ジャッジメントアイズ》の元頭領。因縁のが始まるとでも思ったのだろうが、

「……まあ、やらんわな」

 一人火を点け、紫煙をくゆらせた。

「族やめたとは聞いたが、ここでバイトしてるとはな。

 わりと似合ってんぜ、その制服」

 目つきと金髪こそ威圧的だが、文殊は細身で背丈も平均的だ。それでも緑を基調とする制服姿は、武闘派のリーダーと隔世かくせの感がある。

「ほっとけ。それで何の用や、おまえ」

「遅くなったが、頭下げとこうと思ってな」

 洋は神妙な面持ちになった。

「少し前、名越って馬鹿に夢洲ここに呼ばれて、闘いになってよ。

 おまえの元チームの奴らもいたんだが、名越以外は全員死んだ。

 オレが殺したわけじゃねーが、まぁ似たようなもんだ。

 おまえらは殺さねえって約束してたのに……悪かった」

「アホか」

 あっさりと文殊が言った。

「名越のアホについてったのは、チーム抜けた連中や。

 おまえと最後までった仲間は、誰も参加しとらん。

 だいたい殺さんゆうのは、おまえが勝手に言い出したことや。

 殺すつもりで戦ったやつが殺されて、文句言う筋合いないやろ」

「そうか……わかった」

「しょーもない用で呼び出すなや」

 ほっとする洋を揶揄する文殊の目は、どこか嬉しそうだった。 

 二人は親しいわけではない。一年戦い続けた、それだけの関係だ。

 けれど、ただの敵と味方でもない。

「一年もって、誰も殺さんかったおまえがおかしいねん」

「おまえも殺す気なかっただろ」

「アホか。超本気やったわ」 

「殺気ですぐわかる。おまえは人を殺せない奴だ。

 昔の殺しも、相手の運がなかったって話じゃねーか」

 文殊の煙草の灯が明滅した。

「青沼情報かよ。まだいんのか、あいつ」

「おかげさんでな」「嫌味かよ」

 青沼が洋に雇われたのは、文殊に拉致されたのがきっかけである。

 一年間の抗争は、あの夜から始まったのだ。

「まーでも、一年も続くとは思わなかったぜ」

「一度も勝てんかったけどな」

「二、三回はマジでヒヤリとしたさ」

「あんだけ戦って、そんだけかよ」

「ガスと閃光弾はヤバかった」

「あれで勝てんとは思わんかったわ」

「人海戦術も楽しめたぜ」

「あの後、チームが半分なったけどな」 

「最後は精鋭部隊になったよな」

「今は全員、総合格闘技ソーゴーやってるわ」

 金髪と太っちょは、ともに笑った。

「解散って聞いた時は、ちょっと寂しかったぜ」

「一年も負け続けたら、フツー折れるやろ」

「おまえは普通じゃないだろ。生まれる時代を間違えたタイプだ。

 戦国時代なら、ひとかどの軍師だったろうよ」

「持ち上げすぎや。

 確かにオレは、ゾクで天下取るのが夢やった。

 けど、おまえに負け続けて、器やないと痛感した。

 頭だけで勝てる世界やない、ってな」

「おいおい、オレに刺さってんぞそれ」

「おまえは強いやろ。エゲツナイくらい。

 腕っぷしだけやない。頭も鬼みたいに切れる。

 そのおまえが、オレに才能ある言うから、試したなってん。

 ゾクやめて、表社会カタギで、商売やってな。

 解散はそれが理由や……しょーもない話やろ」

「いいんじゃねーの、商売。向いてると思うぜ。

 ああ、それでコンビニか」

 文殊はにやりと笑った。

「ここで接客できりゃ、どこでも通用するやろ?」

 ヘブンイレブン夢洲店の異名は、《戦場コンビニ》。

 仮眠をとりたい大型トラックの運転手と、店外で馬鹿騒ぎに興じる暴走族が、夜ごとにぶつかり合う、いわくつきの店舗である。通報が多過ぎるせいか、警察の対応は後回しにされがちで、処置もずさん。過去複数回の強盗事件は、全て店員自ら撃退している。西部さながらの無法コンビニとして、業界では有名だという。 

「さっき見た店長も、ただモンじゃあなさそうだしな」

「ようわかったな。 

 見た目はただのおっさんやけど、この店で一番キレる人や。

 フダ付きのオレを、一発採用したんもあの人や」

「いい師匠になりそうだ」

「かもしれんな。

 まあ、しばらくはこの店におると思うわ」 

 そう言うと、文殊は美味そうに煙草を吸った。

「そっちはどやねん。

 聞いたで。最近ガスタに女、連れ込んだて」

「ブフッ! そりゃあ妹だ。

 話すと長くなるんだが、皆殺しも妹がやった件でな」

「鬼デブの妹は、殺人鬼かよ」  

「オレより遥かに強い鬼だよ。

 その妹と昨日、京都に行った。

 《神風天覧試合》の開催式に出るためにな」

「練習練習言うてたおまえの、てわけか」

「ああ。詳細は言えないが、闇の《天下一武道会》みてーなもんだ」

現実リアルにあるんやな、そういうの」

 男の御多分にもれず、文殊も目を輝かせる。

「勝ったんか?」

「緒戦はな。

 長丁場だから、決着まで夏いっぱいかかる」 

「余裕やろ」

「いや、紙一重だった」

「マジか。おまえが苦戦するやつがおるんか」

「日本中のバケモンを集めた大会だからな」

 忍野の苦笑が目に浮かぶ。「洋殿が言いますか」と言いたげだ。

「バケモンなら、オレも一人知ってんで」

「へぇ?」

「昔、西に遠征行った時にやりおうた奴や。

 九州最強のデカいゾクの頭でな。

 チームのケンカはこっちが押してたが、最後にそいつが出てきた。

 あっちゅう間に蹴散らされたわ。策を考えるヒマもなかった。

 おまえと同レベルのバケモンやったで。名前は──」

「「八百万やおろず 浪馬ろうま」」

 絶句する文殊の手元から、灰が落ちる。

「……まさか。

 出てんのか、その大会に」

「ああ。まだ当たってないが、いずれ闘ることになる」

「勝てんのか?」

「おまえに訊きたいくらいさ。両方とやったんだろ?」

「手抜きで負けたオレにわかるかよ。

 おまえら二人のタイマンか……壮絶やろな」

 考えただけで背筋が凍る。けれど血は熱くなる。 

「結果くらいは教えてやるよ。

 さーて、そろそろ帰るわ。時間取らせたな」

「待てよ」

 吸殻をもみ消し、安寿は洋を呼び止めた。

「知りたいんじゃねーのか。八百万の情報」

 彼を知り己を知れば百戦殆からず。

 孫子の兵法を持ち出すまでもなく、敵の情報は勝敗の分け目となる。

 百戦錬磨の洋が、その重要性を知らぬわけもない。

「顔見りゃわかる。

 その八百万とは、ダチなんだろ?

 ダチの情報ネタを売らせる気はねーよ」 

「ダチっつーか……

 負けた後、やけに気に入られただけで」 

「ははっ、オレと同じじゃねーか。

 ならなおさら、敵味方を決めちまうのは不味いだろ」

 文殊は言葉が出なかった。

 対立する二者のどちらかに寄れば、中立ではいられない。洋の指摘は事実だ。

「ああ、オレの情報はいくら回してもいいぜ。

 何を知られようと勝つのが魚々島だからよ」

 手を上げ、立ち去る洋の背を見ながら、文殊はしばし動けなかった。



 店に戻ってからも、心ここにあらず。

 そんな文殊を引き戻したのは、排気音の奏でるアクセルミュージックだった。

 いつのまにか店頭に、派手な改造バイクが停まっている。

 またがるのはライダースーツを着た、ピンク髪の男だ。


「──千客万来かよ」


 思わずつぶやき、苦笑いを浮かべた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る