【後幕】魚々島 洋 VS 松羽 烏京 其の四



「ああ……JR京都駅だ。先回りしろ」

 皮鎧の巨人、最寄もよろ 荒楠あれくすの肩の上で、雁那が指示を飛ばす。

 相手は巨人ではない。ワイヤレスイヤホンの通信先だ。

「対象の目的地は大阪だ。おそらく始発を待つ。

 それまでに、京都駅内で確実に対象を発見、尾行に入れ。

 対象の外見特徴は先ほどの送信データを参照。衣服は異なるものと思え」 

 京都御所の西に位置するはまぐり御門。二人が向かうのは、そこに隣接する中立売なかだちうり駐車場である。

「念を押すが、絶対に油断するな。

 対象は《神風》候補者だ。野生動物が相手だと思え。

 直視を避け、20メートル以内に近づくな。違和感があれば即座に離脱しろ。

 危険を犯すな。目的駅が判明すれば十分だ。通信終了カニェツ・スヴャージ

 通話を切った雁那は、荒楠の足が止まっていることに気が付いた。

 眼前に駐車しているのは、一台のキャンピングカーである。バスと見紛う大型サイズに加え、巨躯の荒楠でも不便なく暮らせるよう、随所に改造を施している。移動だけで騒ぎになりかねない相棒を持つ以上、当然の施策だ。

 丸太のような腕が伸び、運転席の扉を開けた。

 同時に、肩に座る雁那に話しかける。

「…………」

 仮面越しの声はささやくようだった。

「仕方ないだろう。

 私は面が割れているし、おまえは尾行に向かない。

 住処を調べるには、無関係な人間を使うのが一番だ」

「…………」

「わかっているさ。その後の調査は私がやる。

 闘いはおまえ、それ以外は私。

 いつも通りだ、安心しろ」

「…………」

「冷蔵庫にある。移動中に好きなだけ食え」

「…………!」

「納得したなら出るぞ。大阪に向かう。

 我らがこの国に根を降ろすため、失敗は許されん」

 巨人がうなずき、キャンピングカーの扉を開ける。

 肩から飛び乗り、運転席に座ったのは、まさかの雁那だった。 

 荒楠は助手席に入り、天井に頭を擦りながらシートベルトを締める。

「──心配するな。

 おまえを勝たせるのが、私の仕事だ」 

 エンジンが唸りをあげ、ライトが瞬く。

 何故か開いたままのゲートを抜け、キャンピングカーは御苑を後にした。



 残る者もわずかな、京都御苑の夜の下。

 最後に洋の前に立ったのは、烏京だった。

 兄に張り付いた蓮葉の目が、冷然と烏京を穿うがつ。洞穴どうけつのような瞳の奥でほの揺れる敵意に身動みじろぐ烏京だが、すぐに洋の手が上がった。無言で妹を制し、退しりぞかせる。

「──貴様に訊きたいことが、二つある」

「いいぜ?」

「何故、左手を使わなかった。

 魚々島は全員、両利きのはずだ──」

「おまえがつぶてで撃ち抜いたからだろ」

「──ごまかすな。

 両利きならば、複数の武器を用意するもはず。

 おそらくはもう一つ、《鮫貝》を隠し持っている──そうだろう」

 烏京の指摘に、洋は意味深な笑みを浮かべた。

 左手に新たな《鮫貝》が出現する。手品のような早業だった。

「それを使えば、負傷は免れた。

 ──オレのハンデに合わせたつもりか?」

「そんなご大層な理由じゃないさ。

 壁に当たった《石手裏剣》は四散して、正体が掴めなかった。

 なら、素手で捉えるのが確実だと思っただけだ。

 あん時も言ったが、てのひらを抜かれたのは予想外だった。

 一瞬、しくじったと思ったぜ」

「── 一瞬?」

「あの《石手裏剣》で、確信したからな。

 こいつは最後までハンデにこだわるやつだ。

 なら、左手が使えないくらいでちょうどいい──そう思い直した」

 烏京は複雑な表情を浮かべた。《独楽こま打ち》を凌がれた直後、何故か大笑する洋に怒りを覚えたが、そんなことを考えていたとは。 

「で、もう一つってのは」

「──何故、この《野試合》を受けた?

 つぶて縛りのハンデ以外、貴様の利は何もなかったはずだ」

 騙し合いのシーソーゲームを経て、烏京は理解している。

 とぼけた風貌に反して、洋は切れ者だ。「小賢しい系のデブ」の自称は伊達ではない。事前に烏京が弾いた程度の算盤そろばんは、洋にも見えていたはず。挑発に乗り、計算を誤ったとは考えにくい。

 洋がかえりみたのは、蓮葉だ。それが答えだというように。

「うちにはがいるからな。

 候補者の技を一つでも多く引き出して、蓮葉に見せるのがオレの役目だ。

 《石火打ち》は収穫だったぜ。初見なら蓮葉でもやばかったかもしれねえ」

 飄々ひょうひょうとした洋の顔に、烏京は改めて戦慄を覚えた。

 魚々島と畔が同盟関係にあることは、烏京も知っている。

 しかし、《神風天覧試合》は道々のともがらの頂上戦である。日本最強を決める場所と言っても過言ではない。

 その舞台で、自他ともに認める天才の烏京を相手取り、技を引き出す──すなわち受けることを主眼に闘い、勝利まで拾ってのけるとは。

「しかしま、ちいっとやられすぎたわ。

 威張れる勝ち方じゃねぇ。かろうじて生き残っただけだ。

 蓮葉は半泣きだし、次の試合に向けて反省しねーとな」

「──負けたオレは、それ以下と言いたいわけか」

「そうカリカリしなさんな。

 まだまだってことさ。オレも、おまえもな」 

 洋はにやりと笑った。

だぜ、烏京」

 烏京は瞠目した。

「──当然だ」

 やや遅れて応じた烏京に、洋が目を丸くする。

「……おまえ、笑うんだな」

「!?」

 露わな口元に触れ、蒼白になる。

 首に降ろした覆帯を、かつてない速度で引き上げるなり、

「──用件は、以上だ」

 桜の向こうの闇へ、烏京は姿をくらませた。

 

 努めて表情を殺しながら、烏京は自戒する。

 捨て台詞ではない。目的は果たし終えた。

 《死合い》ならぬ《試合》の意味。決着の約束。

 ──を、最後に確認できたのだ。

 

「あちゃー。悪いこと言っちまったか」

 頭をかきながら、烏京を見送る洋。

 彼方で身をよじる八海の後頭部に、忍野の手刀が決まった。


「さーて。オレらもラーメン食って帰るとするか」

「うん!」



 かくして《神風天覧試合》、第一試合の幕は閉じ。

 新たな幕を待ち切れぬ、怪傑どもが闇に跳ぶ。

 次なる幕の主役や、如何いかに──刮目かつもくの上、お待ちあれ。

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