【後幕】魚々島 洋 VS 松羽 烏京 其の二



 ──このまま戻らず、姿を消した方がだ。

 そう考えなかったと言えば、嘘になる。

 烏京が仕掛けたのは、洋の弱みを暴露した上で挑発し、退かせることで面目を潰す作戦だった。けれど想定外の応戦によって、試合は烏京の場外負けで決着した。敗因は、挑発時に設けたハンデだ。武器使用の禁を破り、鮫貝の束縛を断てば、烏京は場内に戻れた。満身創痍の洋に、勝ち目はなかったはずだ。

 言い訳をするつもりはない。

 これがなら、敗者の弁など存在しない。

 自分は負けた。認めるしかない。それだけが事実なのだ。

 問題は、この敗戦によって、作戦が裏返ることだ。

 魚々島の面子を潰す作戦をしくじれば、松羽の面子が潰される。挑発を繰り返した挙句に敗れた烏京が、どんな扱いを受けるかは容易に想像できた。死んだ方がよかったと思えるほどの屈辱だろう。

 それを承知の上でなお、烏京は戻ることを選んだ。

 鼻を治すという理由はある。鼻がなくとも生きてはいけるが、感覚器官の喪失は武人として避けたいのが本音だ。

 しかし、それ以上に──烏京は


 玉砂利を踏み、近づいて来る烏京を、一同は無言で迎え入れた。

 歓声も拍手もない。彼らは敵同士なのだ。 

 それでも、感情はおのずと伝わる。水に落ちた一滴の血が、色を薄めながら広がるように。

「烏京さま、お疲れさまでした! ささ、こちらへどうぞ。

 さっそく治療致しますので、お顔の布をお取りくださいませ」 

 横から沈黙を破ったのは、八海である。

 無邪気な物言いに毒を抜かれ、烏京は言われるがまま、鼻を覆った口布を解いた。巫女が慌てて目を逸らすのが見える。

 先刻同様、傷つけた指先から無数の糸が放たれた。

 一見すれば雪虫のようだが、こちらは風任せではなく、意思をもって烏京の顔に群がっていく。糸を伝い、さらに多くの《白銀さま》が体内へ送り込まれる。

 欠損した鼻が、3Dプリンターのように再生していくのを見て、候補者は揃って驚きの声を漏らした。

「さっすが、皇室御用達。

 空木の一族が表舞台に立たないのもわかるぜ」

 改めてつぶやく洋に、雁那がうなずく。

 効用が自身に限られる忍野に対し、他者を癒せる八海は、生きた万能薬だ。その希少価値ゆえ、戦争が起きてもおかしくはない。

「しっかし、わッかんねーな」

 ふいに疑問を呈したのは、浪馬である。

「松羽の怪我は鼻と足首だけ。魚々島のが終わりカケの重傷だ。

 武器でも何でも使って抜け出しゃ、勝てたじゃねーカ。

 ハンデにこだわって勝ち星逃すとか、バカだろーがヨ」

 烏京は鼻を探る手を止め、浪馬を見つめた。

「──勝算はあった。勝機も十分だった。

 敗北は、オレの油断と読みの甘さ故──ハンデは関係ない」

「ハンデ捨ててりゃ、勝てた勝負じゃねーカ」

「自身が認められない勝利など、無価値」

「ハ! 殺し屋のクセにお高いこった。

 何をやろうが、勝たなきゃ意味ねェだろーがヨ」

 振り向いた浪馬の舌鋒は、洋にも向かう。

「てめーも、こうなると読んで場外に投げたンだよな。

 壁にぶつけてたら、確実に勝利じゃねーカ。

 なんでやらなかった?

 松羽がハンデ捨てる気になったら、どうすンだ?」

「こいつなら、壁で受け身取れただろうぜ。

 もし戻って来たら……ま、オレの負けだろうな。

 予想外じゃあるが、別にそれでもいいさ。

 オレは生きてるし、負けたとも思わない。十分だろ」

「星は落としてンじゃねーカ」

「まだ緒戦だぜ? 取り返せるさ。

 つーかおまえさん、なんで他人ひとの勝負に熱くなってんだ」

「はァ? 当ッたり前だろ」

 突如、浪馬の槍が唸りを上げた。

 夜気を裂いて回転した穂先が、寸毫のぶれなく、洋の喉元に突きつけられる。

「タマのついてる男で、あんな勝負の後に熱くならねェ奴がいるかヨ。

 さあ──やろうじゃねーカ、魚々島。

 次の相手は、この八百万やおろず 浪馬だ。

 茶番じゃねえ、本物の戦いッて奴を教えてやンぜ」 

 あっけに取られる洋を前に、槍武者の闘気がごうと燃え上がった。


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