【後幕】魚々島 洋 VS 松羽 烏京



「──場外!

 勝者──魚々島ととじま 洋ッ!」

 立会人・空木うつぎ 忍野おしのの勝ち名乗りが、京都御苑にこだまする。

 歴史の影に永らえ続ける道々のともがら、その代表を決める《神風天覧試合》。

 ともに秘術を尽くしたすえ迎えた意外な決着に、観戦勢は詰めた息をようやく、吐き出した。

 拍手はない。観客はいない。彼らは敵同士なのだ。

 それでもなお、複雑な感情が闇に膨らみ、くぐもるのが感じられる。

「──お兄ちゃん!」

 最初に動いたのは、蓮葉だった。

 土下座の姿勢で動かない兄へ駆け寄り、懸命に声をかける。長身端麗のスーツ姿にそぐわぬ慌てぶりである。

「心配いらねーよ。たいした傷じゃない」

 顔を横に向け、笑い飛ばす洋だが、満身創痍は誰の目にも明らかだ。

 切り飛ばされた右の耳朶は、顔の左右に刻まれた無数の切り傷とともに、今しも頬を血で染めている。《鮫貝》を巻きつけた両腕は切れ込みの入ったウインナー状態。両手の甲の風穴からは、下の玉砂利が覗かんばかりだ。

 もっとも重傷なのは両膝だった。石手裏剣に撃ち抜かれた上、限界まで酷使され、正視に耐えない状態になっている。分厚いカーゴパンツに隠されてはいるが、土下座の姿勢から動かないのも無理はない。

「お兄ちゃん、これ」  

 蓮葉が取り出したのは《ほとりの妙薬》である。

 以前、忍野に脚を貫かれた傷を、神がかった速さで癒した軟膏だが、洋は首を振り、それを拒む。

「気持ちはありがてーけどな。今回は《神風》の治療を見ときてえ。

 おまえらもそう思ってんだろ?」

 洋が声をかけたのは、いつのまにか周囲に集まった候補者たちである。

「そりゃ見ンだろ。面白そうだし」「うわ、傷グロッ」

「空木の秘術が他者にどの程度の効用を持つのか、確かめるのは当然」

 やはりというか、どの顔も興味津々だ。

八海やつみ。急ぎ、二人の治癒を」

「はい、お兄さま」

 二人目のが、闇の中から現れた。

 白装束に透けるような肌色の少女である。長い黒髪を背に垂らし、包帯で目隠ししたその姿は、背後の闇とあいまってうし三つ参りか幽霊と見紛わんほどだ。喜色満面の表情を除けば、であるが。

「洋さま、おめでとうございます!

 お二人の一歩も譲らぬ勇猛な戦いぶり、まことに感服致しました」

「お、おう。ありがとさん」

「わたくし戦いについてはよくわかりませんが、相克から始まったお二人の関係が、武を交えてうつろい、互いを理解し合うことで終焉を迎えた様子は、一巻の絵巻物を読み終えたような感動を覚えました。この先、お二人の関係も、必ずや素敵なものになると──」

「慎まぬか、八海」

 早口でまくしたてる目隠し娘を一喝し、忍野は頭を下げる。

「洋どの、申し訳ありません。

 妹はその、何かとをこしらえる悪癖があるもので」

「関係性?」

「……どうか、お気になさらず」

「お、おう」

 忍野が「変わりもの」と呼んでいたのはコレらしい。正直よくわからないが、深く突っ込まない方がよさそうだ。

「おまえも治療を急がぬか、八海。

 負傷者を置いて雑談に興じるなど、主催以前に人としてまず恥じよ」 

「ふーんだ。兄さまのいけず。

 言われなくても、やるつもりですわよ」

「頼むぜ、嬢ちゃん。そろそろアドレナリンが切れてきた。

 妹の前で泣いちまうのだけはカンベンだからな」 

 身も世もない顔の蓮葉を振り返り、笑みを作る洋。

「承知致しました。

 それでは、始めますね」

 蓮葉と入れ替わり、洋の前に立った八海は、おもむろに両手を広げた。

 五指の先を唇にあてがい横に滑らせる。犬歯に裂かれた指先が赤く染まる。その両手を掌を下に向け、洋に翳す。

 慈雨の如き純白の糸が、洋の体に降り注いだ。

 糸の出先は八海である。指の傷から垂れたその糸を伝い、数え切れぬほどの蟲たちが、洋の上に降りてくる。

 洋はまじまじと蟲を見つめた。忍野の際は遠目だったが、今は自らが対象だ。これ以上の観察の機会はない。

 その蟲──《白銀さま》は、ウジとも蜘蛛くもとも知れぬ、奇妙な生物だった。

 色は白く、形も蛆虫に似た紡錘形だが、細い足を何本も備え、動きは機敏だ。大きさはノミ程度で、洋の視力でなければルーペが必要だろう。蜘蛛のように糸を吐き、それを伝って無数に降り注いでくる。

「うへっ、虫グロッ」「へー、こんな虫なんだ」

「オマエ、こっちはグロくねーのかよ」

「ぜんぜん?」

「さっすが田舎モン」

「あんたと勝負するのが、楽しみになってきたわ」 

 洋の傷口に舞い降りた蟲たちが、白アリのように潜り込む。

 刺すような痛みは、すぐにくすぐったさに変わった。

 異物が侵入したというより、体内が独立したような感覚である。

 筋肉、血管、皮膚、細胞。自分以外の意思で肉体が動かされ、修理リペアされていく。被支配の恐怖の一方、全てを委ねた心地よさもある。

「……はい、終わりです。立てますか? 洋さま」

 全身を苛む苦痛が、いつしか引いていることに洋は気がついた。

 ゆっくりと身を起こす。立ち上がり、両手を握った。

 力がこもる──疲労と気怠さこそ残るが、動かせる。

 傷口も全て塞がり、傷跡すら残っていない。まさに完治だ。

「改めてたいしたもんだな。ありがとさん」

「どういたしまして。

 あとはお顔を洗って、水分と栄養、睡眠を十分にお取りくださいませ。

 《白銀さま》にできるのは、ここまでですから」

「そうするよ。ラーメンでも食って帰るか」

 縋りつく蓮葉をあやしながら、周囲を見回す。

「そういや、千切れた耳は拾ってなかったよな」

「耳や鼻くらいなら再生できます。

 その分、よそのお肉や骨は減っちゃいますけど、洋さまなら大丈夫」

「そりゃあよかった。なら、烏京の鼻も安心だな」

 《オオカマス》で消し飛んだ鼻は、木っ端みじんで拾えそうにない。

「……貴様に心配されるいわれはない」

 呼ばれたように烏京が姿を現したのは、その時だった。


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