【一幕】魚々島 洋 VS 松羽 烏京 其の八


「うわ、グロっ」

「あン? 鼻血くれー普通だろ」

「あれもう鼻血じゃなくない?」

「ハハッ、鼻がねーから鼻血じゃねーッてか」

 見物二名の呑気なやり取りとは裏腹に、烏京は血相を変え、《オオカマス》から引き下がった。

 口腔に溢れかえる血の味に、軽い眩暈めまい。赤く染まる視界はダメージではない。敵と己に対する激しい怒りだ。

「天狗の鼻をへし折られた、てートコだな」

 浪馬の哄笑が耳に入った。血まみれの歯噛みが止まらない。 

 ──落ち着け。昂ぶるな。

 湧き上がる殺意をどうにか押さえつける。暗殺者に感情は必要ない。

 口元の覆帯を外し、鼻を強く縛る。息を整え、逆流した血を吐き捨てる。血の味は容易に消えないが、ひとまず呼吸に難はない。

「わりぃわりい。

 アゴを狙ったんだが、片足じゃ手元が怪しくてよ」

 烏京は洋を睨み据えた。 

 鼻に命中したにも関わらず、《オオカマス》の勢いは衰えていない。これほどの威力ならば、顎すら消し飛ばしかねない。致命傷ではないが、脳は盛大に振られ、昏倒確実だろう。ルール的には理想だが、手元が狂えば頭蓋骨を砕きかねない。

「──殺す気か」

「お互いにな」

 烏京は薄く笑った。《独楽打ち》で頭を狙ったのは、烏京が先だ。

「それにまあ、死なねぇだろ。おまえさんなら」

「ああ──死ぬのは、おまえだけだ」

「そこは『お互いにな』って返すとこだぜ?」

「図に乗るな、豚が」

 悪態とともに血を吐き捨て、烏京は改めて構えを取った。

 

「よもや、あそこから反撃するとはな」

 傍で感嘆したのは、荒楠あれくすの通訳を名乗る少女、雁那かりなである。

「松羽が仕掛けたのは、《鮫貝》の尖端が目前を通過した時点。

 礫が首に届いた時点で、尖端は魚々島の背後にあった。

 松羽の死角になるこのタイミングで、魚々島は《鮫貝》を操作した。

 首に命中した礫を捌きながら、指先だけで射程を2メートル伸ばしたのだ」

 武の術理には、対戦者を騙すものが存在する。いわば手品で、角度を変えれば簡単にタネが割れる。これもその一つだ。

「それだけじゃねーゼ。

 いきなり間合いを伸ばしゃ、スピードは必ず落ちるもンだ。

 伸ばす直前に加速して回転をキープしなきゃ、一発でバレる。

 問題は手を使わず、どうやって加速したかだ。オレにゃさっぱりわからねぇ」

「槍使いならではの分析だな。

 確かにその点は、私にも不可解だが」

 雁那は目をすがめ、暴風に対峙する烏京を見た。

「いずれにせよ、松羽の油断が招いた被弾だ。

 おそらく二度目はない。松羽有利の戦局も動かないはずだ」

 

 ──油断などでは、ない。

 《オオカマス》を見た時、かすかな不安があった。

 踏み込みはわずかに浅く、被害が鼻で済んだのは、そのおかげである。

 裏を返せば、用心した烏京ですら、被弾を免れなかったということだ。

 まさかあの回転のさなか、指二本で白線を引き出すとは。高をくくっていた過去の自分を絞め殺したくなる。

 雁那の解説を聞いたわけではないが、烏京の分析も彼女と同じだ。

 その上で、気付いたことがある。

 浪馬の指摘した加速の謎だが、ひいては洋の謎の答えである。

 攻撃を見切り、透過するように躱す《ウミホタル》。攻撃を受けた瞬間に回転を加えて弾く、真の《ウミホタル》。そして体型にあるまじき機動力と反射神経。

 常識的には、体重が増えれば攻撃の威力は増すが、スピードは落ちる。筋肉より脂肪が多ければなおさらだ。肥満は肉の鎧の価値こそあるが、機動においてはマイナスしかない。特に瞬発力の減衰は著しい。

 そんな脂肪を貯め込んだ洋が、非常識な機敏さを発揮する。脂肪のハンデがない者を上回りさえする。単純な筋量差ではあり得ない現象だ。

 謎を解くきっかけは、片脚を失った後の洋の動きだった。

 《鮫貝》を回しながら近づく洋の体が、かすかに揺れている。

 これまでほぼ棒立ちであり、重心も安定していた洋のささいな変化を、烏京の眼は捉えていた。

 《オオカマス》の反動? 否。右手は止まって見える。揺れているのは、奇妙にも胴体だけだ。

 技は原因ではない。これまでも揺れていたものが、急に見え始めたのだ。 

 この揺れの意味は何か。はどこなのか。何故見え始めたのか?

 その答えは──だ。

 格闘技やヨガの奥義にありがちなオカルトではない。脚と胴体を繋ぐ骨盤、その中心にある仙骨を軸に、骨盤を回して原動力にしている。

 単純な回転ではない。おそらくは下肢の付け根にある二つの股関節を、交互に、自転車のペダルのように回し続けている。いわば《仙骨エンジン》とでも呼ぶべき代物だ。

 主力は大殿筋と腹直筋。背中に次いで筋量の多い部位である。あの分厚い脂肪の下に、高密度の筋肉が埋蔵されているとすれば、異常な高トルクも頷ける。

 そして洋は、この《仙骨エンジン》を常にさせている。

 体の振れはその顕れだ。これまで気付けなかったのは、膝と足首を巧みに使い、揺れを消していたから。体に触れれば、震動を感じ取れたはず。片足を潰され、揺れの制御が甘くなったのだ。

 《仙骨エンジン》の仮説は、異常な瞬発力も説明できる。いわば体内で助走をつけているのだ。

 クラッチを繋げば、即座に強烈な回転を技に付与する。弾を弾く《ウミボタル》の回転、予備動作なしで回転を上げる《オオカマス》がそれだ。原動力が同じなのだから、自然と攻防一体になる。

 《仙骨エンジン》こそが、洋の体技の根幹を成しているのだ。

 弱点は──見当たらない。

 あえて言えば足だが、それは既知の事実である。

 烏京は顔をしかめた。

 分析ができても、すぐに役立つわけではない。時間をかければ弱点が見つかるかもしれないが、今は闘いのさなかだ。

 眼前の《オオカマス》には、己が力量で立ち向かう他にない。

 

「松羽有利ィ?

 オレにゃ、そうは見えないがネ」

「鼻こそもがれたが、松羽の負傷は戦力に影響なしだ。

 片足の魚々島は松羽に追いつけない。

 そして、戦場の設定は、御苑の道上全てだ。

 行き止まりがない以上、どこまででも逃げられる。

 私なら、《オオカマス》の回転が止まるまで逃げ続ける。

 敵の疲弊を待つのも戦術。ルール上は問題ないからな」

「……は、やっぱ女だネ」

 浪馬の薄笑いを、雁那は冷ややかに見上げた。

「何が言いたい?」

「戦局は読めても、男心が読めてないつッてンのよ。

 大の男が文字どーり、面目潰されてンだぜ?

 ンなやり方で勝っても、スカッとするわけねーだろ。

 ヤローなんて全員馬鹿なんだからヨ」

 雁那は沈思した。絶対零度の視線が氷解する。

「ならば、すぐにも終わるぞ」

「そーゆーコト」

 満足げに言うと、浪馬は闘いに目を戻した。

 

 彼我の距離、15メートル。

 風切る轟音が、進撃を再開する。  

 浪馬の読みは正しかった。

 迫る《オオカマス》を前に、烏京は足を止め、新たな構えで対峙した。


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